九月十一日水曜日

 片波は目の前の状況を咄嗟に理解できなかった。さっきまで椅子に座っていたはずなのに、目を開けると天井が見えていた。左右に視線を走らせると、愛用のパソコンから埃を被った宿題まで、傷ついたり、散らばったりしている。自分が荒らしたのか。学校から帰って、手を洗って、パソコンに向かって。片波はここまでの記憶を伝ったが、荒らしたことも、床に横たわったことにしても、思い当たる節はなかった。

「──そんなことより」片波は立ち上がり、机の下に落ちているパソコンへ急いだ。幸い液晶は傷ついておらず、外側部分に白い筋が数本あるだけだった。近くには、プログラミング基礎の本も転がっていた。

「翔也、ごはんよー」一階から母の声がした。パソコンをゆっくりと閉じ、片波は散乱した部屋を後にした。一階と二階の階段の途中にある鏡を覗くと、片波の目のまわりには大きな隈ができていた。


 九月十四日土曜日

 薬を飲んでから一週間が過ぎた。あれから部屋が荒れることも無意識に床に伏せていることもなかった。夕食時に母と父に聞いたところ、1時間ほど前に、二階から大きな物音がしたという。すぐに止んだから二階には行かなかったらしいが、やはり片波は、物音を立てた覚えなどなかった。

 それで、片波が不可解な現象の原因を推測したところ、あの薬に行き着いた。最近摂取した未知のものといえば、薬しか思い当たらない。今日で一週間になる。試す価値はあると、片波は机の引き出しに手を伸ばした。もし、もう一度同じことが起これば、そのときはそのときだ。


 九月十九日木曜日

 片波は、薬の商品レビューを自身のブログに上げた。ほんの一瞬、気を緩めた隙に襲いかかってきた。推測は当たっていた。この薬の製薬会社を徹底的に調べ上げ、他に販売している商品の情報を網羅した。片波は警察に相談しようと思ったが、事情聴取やらをされだすと、いよいよ親にバレると思い、諦めた。そうして、ブログ以外にも口コミや掲示板に情報を流した。この薬を買った人が、自分と同じ目に遭わないように。片波は人の役に立つ正義らしい行いだと思い、キーボードを押す音は多くなっていった。


 九月二十三日月曜日

 パソコンでネットニュースを閲覧している途中、片波はあるニュースをクリックした。東京郊外で、車が住宅に衝突し車に乗っていた五〇代の男性が軽傷を負ったという事故だった。特出した事故ではないが、最近交通事故が大幅に上昇していると、夕食のときテレビで報道していたのを片波は思い出した。男は事故時の状況を覚えていないらしく、道が狭く夜だったため操作を誤ったとして、警察は詳しい事故の原因を調べているという。


 九月二十九日日曜日

 書き込みが拡散し、ネットのスレやコメント欄が盛り上がると信じて疑わなかった片波は、事態が思わぬ方向へ進んでいることに、頭を抱えるばかりだった。レビューや口コミ欄は、ただいま大規模な整備を……と、会社の都合で他の人のレビューを含めて非表示にさせられていた。掲示板のスレは‘なんか薬に躍起になってて草’だとか‘被害妄想強すぎぃ’などの荒らしコメだけが湧いており、真摯に受けとめる者など誰一人としていなかった。レビューもスレもブログも埋もれていき、ネットによる普及は無理だと、片波は断念した。

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