断章 ノ 一
第43話 若林紅太は覚悟を決める
死ぬことは、本意ではない。
けれど。
死んだとしても。
それはそれで、致し方ない、とは、思っていた。
身じろぎすると、鎖にすれてできた傷が、ひりりと痛む。
吸血鬼化して形ばかりは抵抗してみたものの。案の定、鎖はびくともしなかった。それどころか、無茶な力を加えたせいで、服の方が破れる始末だ。
それはそうだ。十日も血を飲んでいないのだ、力など出るはずがない。
皮膚に刻まれた傷の痛みを感じて。
破れた服の残骸を見下ろすと。
自分の生物としての本能では、きっとまだ性懲りもなく生きたいのだろう、とは、思う。
けど、自分の人間としての理性と。
このパーテーションの向こうで眠り続けているのだろう彼女のことを思うと。
潔く彼女へ命を明け渡した方がいいのではないか、という気はしていた。
もっとも。この状態で血をやったところで、能力の精度だって落ちている。彼女を救えるかどうかは微妙なところではあった。
まあ。最後の最後まで血を絞り出せば、ギリギリ間に合いはするか。
それと引き換えに、彼女が目覚めるのであれば、御の字ではあるのだろう。
最期には、服と傷の状態も合わせて無惨な状態になるだろうが。
それはそれ、お似合いの末路なのかもしれない。
心配なのは、緋人が、ここに乗り込んで、俺と同じ所に堕ちるような真似をやらかさないかどうかだったけれど。
いずれにせよ、それならこの部屋に乗り込んで来るはずだ。
そしたら、どうにか阻止すればいい。
ただ、一つだけ。
一つだけ、心残りなのは。
あの子が。ちゃんと無事に戻れたのかどうかを、確認できないことだった。
辿り着けさえ、したのならば。
きっと後は、安室や、緋人がどうにかしてくれるだろう。
どうにか、色んなことを誤魔化してくれるだろう。
そしたら。
もう二度と、こっちに来たらいけないよ。
しばらくは。少しの間くらいは、俺のことを、覚えていてくれるだろうか。
だけど、時間の経過と共に、全部、忘れてしまって。
そして、普通の生活に、戻って欲しい。
……やだなぁ。
……駄目だ。
こんなこと。全部を、忘れて貰うのが、一番いいはずなのに。
心の奥底に居る、僕の声が、邪魔をする。
ようやく、居場所が出来始めていたのに。
せっかく、彼女に、会えたのに。
もう、君に忘れられたくは、ないんだ。
何故か。何故か、そんな詮無いことを、考えていると。
部屋の奥から、こちらへ駆けてくる足音が聞こえた。
「若林くん!」
その声に。
心臓が、跳ねる。
間違えようのない。
あの子の、声だ。
来るはずのない。
来てはいけない。
あの子の、声だ。
予想外の、展開に。
予想外の、人物に。
暗い室内の筈なのに。
まるで目が眩んでしまったかと思った。
来ないことを、願っていた。
いや。願ってすら、いなかった。
だって。来るはずが、なかったんだ。
これはどこまでも僕の事情で、僕の罪だった。
彼女を、巻き込むわけにはいかない。
それでも。
あの子は、ここに来てくれた。
そして。
彼女は、僕の名前を、呼んでくれた。
バカな話かもしれないけど。
その一言。
その、一言で。
僕は、全部、救われた気がしたんだ。
僕は、心のどこかで、ずっと。
こうなることを祈っていたのかもしれない。
ずっと、ずっと。
何年も前から。
真っ暗闇の僕の世界から。
血に塗れた僕のことを。
まるで、闇を切り裂く光のように。
手を差し伸べてくれる、ことを。
だけど。
これは、困った。
これ以上、関わるまいと思ったのに。
これじゃあ。
覚悟が、出来てしまうじゃないか。
とはいえ。
僕が動揺している一方。
それをさておいて、別の意味で看過できないことが起きていることには、すぐ気が付いた。
「望月、さん?」
流石に動揺して、声が続かず、掠れて消える。
彼女の服は、夕方に見たものと同じ、全体が白系統のワンピース、の筈だ。
だけど、その服は。
上半身が不自然に赤く染まっている。
彼女の、首からは。
大量の、血が流れ落ちていた。
そうして。
生きたいことを。
生きなければならないことを思い出したのは、この時だった。
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