エピローグ:紅ノ月
第44話 奥村緋人は妖艶に微笑む
それから。
無事に円佳さんを助けることができ、緋人くんと蒼兄、環と藍ちゃんもどうにか和解して、めでたしめでたしの大団円を迎えられたのでした!
……という、話をしたいのは、山々だったのだけれども。
あの直後。
なんと私は気を失ってしまい、次に目が覚めたのは病院のベッドの上だった。
どうやら貧血で倒れたということにして、病院に運んでくれたらしい。
いや。事実として、ガッツリ貧血だったんだけど。
円佳さんを助けたはいいものの。想定よりも、だいぶ派手に失血していたようだった。
点滴に繋がれた状態で意識を取り戻したとき、傍らには若林くんがいて。
ほっとしたような表情をした後に、軽く頬をつねられ、
「ばか」
と怒られた。
「どうして言わなかったの」
「え?」
「来る前に。緋人にも血をあげてるって」
……そうでしたね?
そういえば。車の中で、緋人くんにも血をあげたのでした。
完全に忘れてた。
「完全に忘れてましたね……」
間抜けな返答に、一瞬、呆れたような顔をしてから。
若林くんは、大きな手で顔の上半分を覆うと。
「ばか」
と、口の動きだけで、またそう言われた。
ともあれ。
私たちは無事に、全員が、帰ってきた。
******
大事を取って一日入院した、翌日の朝。
病院まで迎えに来てくれた緋人くんには、顔を合わせるなり顔面を鷲掴みにされた。
「俺が、車から出た時にお前に何て言ったか、言ってみようか?」
にっこりと、緋人くんは例によって、多くの人を魅了する爽やかな笑みを浮かべる。
同時に、私の顔へ五本の指がぐにゅりと食い込んだ。
顔が!
顔が潰れる!!
ヒエェェェェェ!!!
「『間違っても着いてきたら駄目』って、言ったよな?」
私の答えを待たずして、正解を告げると。
笑顔のままで、ぎりり、と更に緋人くんの手に力が加わった。
顔が!
顔が縮む!
しわくちゃになる!!!
いや、マジで、容赦ないなこの強さ!?
……それはそれとして、男の人の手のひら大きいー!
萌え!!!
「そしてこんな時にまた変なことを考えてるね?」
「考えてますん! ごめんなさい!」
カエルの潰れたような声を上げて謝罪すると、ようやく緋人くんは顔から手を離してくれた。
が、今度は代わりに人差し指で、額をぐりぐりされる。その爪で皮膚を切り裂かれそうな気がして、ぞくりと背筋が冷たくなった。ウヒャア。
あれから。
円佳さんの脈を確認した後、安心してぶっ倒れた私を抱えて、紅太くんは四人のところに向かった。
緋人くんと蒼兄、環と藍ちゃんは、玄関ホールで絶賛膠着中だったらしいが、紅太くんからの報に、さすがに事態は直ちに収束したらしい。
円佳さんのことは環と藍ちゃんに任せ、紅太くんたち三人の手配により、私は近くの病院に搬送されたというわけである。
因みに。吸血鬼の末裔は、人とは少々異なる彼らがつつがなく暮らしていくために、政界から医療界から、あらゆる場所へ密かに入り込んでいるらしい。私が運ばれた病院も、彼らの息のかかったところだった。
だから今回の私の貧血に伴うあれやこれは、深く突っ込まれることなく、いい意味で『適当』に処理してもらえたのである。
親を巻き込むとなると面倒だったので、めちゃくちゃありがたい。
そして無事に釈放のお許しが出た、八王子事変の翌日の今。
家がこの近くだという緋人くんが、地理に疎い私を迎えに来てくれたのだった。
目を覚ますまでは紅太くんが付き添ってくれていたけど、今日は彼もかかりつけ医での体調確認が必要らしく、不在だ。
蒼兄たちが車で迎えに来てくれる案もあったらしいけど、あちらはあちらで事後処理が忙しいらしく、緋人くんに一任する形になったようだった。
「お手数をおかけして申し訳ありません……」
万感の思いを込めて、私は深々とお辞儀した。
本当に。色々なところで、本当にすみません……。
上体を起こし、私は緋人くんを怖々見上げた。
が。
意外なことに、黒い笑みを浮かべていらっしゃると思っていた緋人くんは、どこか浮かない様子だった。
「お前は。どうして俺たちがその方法をとらなかったか。
どうして黒崎がその方法を提案したのか、分かってる?」
突然の問いかけに首を傾げるが。
『その方法』というのが、私のやらかした、黒崎に持ちかけられた策を指していることに、遅れて気付く。
「ええと。ただの人間を巻き込んじゃうと、後で色々問題があるから?」
「それも、ある意味で正解ではあるけど」
息を吐き出し、緋人くんは両手をポケットに突っ込んだ。
「桜間たちがその手を使わなかったのは。その理由に加えて、単純に血を補充する過程で紅太に逃げられる可能性が出てくるからだろうけど。
俺たちにとっては。お前をダシにすれば、紅太が逃げられないことが分かってたからだよ」
「逃げられない?」
「あいつに丸め込まれて覚悟を決めた状態の、既にそれなりの血を流しているお前が目の前に現れたら。他の人間の血をもっとかき集めてくるとか、別の可能性を判断させる余地なく、無理矢理に最速で、黒崎朔の望む方向に持って行くことができるからな」
黒崎朔の望みは、『若林紅太の生存』と『桜間円佳の復活』である。
それを両立するには、若林くんに十二分な血を飲ませることが必須だったのだけれど。緋人くんの言うとおり、あの場に居た全員の血をかき集めれば、私が貧血になることはなかったかもしれない。
だけど、あの状況で、あの対立状態で、環や藍ちゃんと和解して同意を取り付けることは、そう容易ではなかっただろう。決裂する可能性だってあった。
だったら手っ取り早く、動けるポジションにいた私の血を使って、先に円佳さんをどうにかしてしまおうというのが、まあ黒崎の狙いだったんだろう。
奴はあれきり姿を見せてないというし。何か時間の都合とかもあったのかもしれない。
「その案は。俺だって検討しなかった訳じゃない。
お前の血のポテンシャルを考えれば、不可能じゃないとは思っていたからな」
「それなら。最初から、その手段を使えば」
「俺に血を飲ませていたことを差っ引けばな」
強い口調で遮られて、口ごもる。
「俺が血を飲まなければ。俺の血とお前の血を合わせて、足りたかもしれない。
けど俺が血を飲まない状態で乗り込んでも、まず紅太を助けられない可能性が高いし、どのみち血の量はかなり必要になるからお前にかかる負担が大きい。足りない可能性もゼロじゃなかった。
だからまずは俺がシロに血を貰って紅太を助け出してから、段取りを整えてその手段を講じるのが一番無難で安全だろうと、総合的に判断してたんだよ。
桜間円佳本人をどうにかするってのは。あくまで、最終手段のつもりだった。俺だってそんなこと、躊躇しないわけじゃないよ。そもそも最初からその物騒な結論に持って行ったのは安室だ。
どう転ぶか分からなかったから、子細を説明しなかった俺にも非はあるけど」
早口で、ほとんど一息にそれを説明してしまうと。
緋人くんはじっと私を見据える。
「黒崎はそれを承知した上で、『一番手っ取り早くて楽だから』お前をたきつけたんだ。
つまりお前は。黒崎にいいように使い捨てられる可能性があったってことなんだよ。分かってる?」
「……結果オーライ?」
「わ・かっ・て・ま・す・か?」
「いひゃひゃひゃ、いひゃいいひゃい、いひゃいれす!」
二回言われてから、口を思い切り引っ張られた。
地味に痛い。
解放されてから、口元をさすっていると。
緋人くんはばつの悪そうな表情で呟く。
「……ったよ」
「え?」
「悪かったって、言ってるんだよ」
…………。
ええと。
あの。
その。
「あの緋人様が謝ったァ!?」
「俺だって謝罪くらいするけどバカにしてるの?」
アッしまった心の声がダダ漏れてた!?
ヤバい切り裂かれる!?
と、思ったけど。
「お前のことを。無闇に害するつもりは、本当になかったんだ」
想定と違い、覇気のない様子で。緋人くんは、静かに続けた。
「新歓合宿の時だって。あいつには、黒崎には、くれぐれも手は出すなと言ってあったんだ。それなのに、必要以上に危ない目に合わせたし。
結果的に昨日のことだって、俺のせいで巻き込んだようなものだ」
「だけど、別に大したことはされてないよ?」
「それ、本気で言ってる? 昨日のことも、合宿のことももう忘れたの?」
半ば呆れた口ぶりの緋人くんに、慌てて弁解する。
「だって、本当に実害はなかったし。アッ紗々を食べられたのは普通にムカつきましたけど!」
「無事だったのは結果論だろ」
「だったら緋人くんのだって結果論でしょ。黒崎に依頼したのも、状況考えれば仕方ないことだしさ」
「……シロのそういうところは美徳でもあるけど。身内からしたら、とんでもないよな」
何故か緋人くんは渋面を浮かべると、くるりと背を向けて歩き出した。
小走りで追いかけて、隣に並ぶと。
「今回の件は。本当に自業自得ではあるし、俺が言えた立場じゃないってのは分かってる。だけど」
ちらりと横目で一瞥して、彼は遠慮がちに言う。
「俺はもう。お前のことを、信頼している。
だから。
その言葉に。思わず、立ち止まった。
状況的に、黒崎の誘いを断るのが難しかったとはいえ。途中どこかのタイミングで、連絡を取ることだって出来たはずだった。
そうしたら、緋人くんなら、私みたいにゴリ押しじゃない、最善の策を講じられたかもしれないし。
きっと心配をかけることだって、なかったのだ。
邪魔をしたくない気持ちや、先走る気持ちはあったにせよ。
昨日のそれは、確かに彼を信じきれていなかったが故の行動だった。
「……ごめんね」
「謝るなよ。さっきも言ったけど、俺の自業自得なんだからさ。
でも。肝に命じておいてよ」
緋人くんは、すっと目を細め、私の首に手を這わせると。
耳元へ口を近づけて、低い声で告げる。
「また、今回みたいな無茶して、何かあったら承知しない。
お前は、俺の大事な非常食なんだからね。
もし、勝手に俺たちの前から消えたりしたら。地獄の底まで追っていくからな」
その宣言に、私はたじろいで、またうっかり脳内の絶叫をそのまま口に出てしまう。
「近い近い近い近いッ!!!」
「吸血鬼だからね」
「そうなの!? マジでそういう仕様なの!?」
「距離が近くないと仕留められないからな」
例によって意味深な発言をして。
漆黒の貴公子、奥村緋人は、妖艶な笑みを浮かべた。
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