第32話 媒介の媒介が媒介した
彼の声に、何故か無性に泣きたくなった。
十日ぶりの若林くんの声が、随分と懐かしく感じられる。
反射的に私は立ち上がる。
が、途端に頭痛がひどくなり、立っていられずに私は座り込んだ。
いかん。動けない。玄関まで行けるかも怪しい。
だけどこのままじゃ帰っちゃうよね。どうしよう、スマホで連絡しようかな。
閃いて、どういうわけか上手く言うことを効かない身体をずるずると動かし、テーブルの上に放ってあったスマートフォンに手を伸ばす。
掴んだ瞬間、また一段と頭が締め付けられて、私はスマホを取り落とした。
そうだ。
駄目なんだった。
私が、藍ちゃんに匿われているのは、若林紅太から隠れるため。
だから私は、いないふりをして、やり過ごさないといけない。
念のため、藍ちゃんにも急いで連絡しないといけない。
そのことに思い至って、私は電話のアプリを開く。
一人しか載ってない通話履歴から、藍ちゃんへ電話を発信したところで。
はたと、気付いた。
私のスマホは、どこにある?
十日ぶりに。十日も経ってからようやく思い出したその事実に、衝撃を受けて呆然と佇む。
スマホの画面には、やがて藍ちゃんが電話を取ったことを示す通話時間が表示されたが、私は何も喋らずそのまま切ってしまった。
ぼんやりと、手の中にあるスマホを見つめる。スマホが震え、藍ちゃんから折り返し電話がかかってきたが、出なかった。出る気に、なれなかった。
このスマホは、私のじゃない。
ここに来てから、藍ちゃんから連絡用に渡されたものだ。
アドレス帳には藍ちゃんの連絡先しか入っていない。
何故、私のスマホがないのか?
それは、最初の頃に藍ちゃんから簡単に説明がされていた。
店で黒崎が襲ってきた時に、壊れてしまったからだと。
だから直るまでの間、仮のものを借りていると、そういうことになっていた。
だけど、よく考えれば。あの時、私のスマホはバッグの中に入っていた。
ポケットに入れていたとか、手に持っていたとかなら分かる。
けれど、バッグはほぼ無傷で手元にあるというのに、どうしてスマホだけ故障しているのだろうか?
仮のスマホを貰っていたので、ネットやゲームでの暇つぶしには事欠かず、そこまで不便には感じなかった。
けど。私のスマホと違って、藍ちゃん以外の連絡先のデータは、一つもない。
藍ちゃんに言われて、電話番号を暗記していた実家には、スマホが壊れたからしばらくLINEやメールが通じない旨を連絡したけど。友人の連絡先は、いちいち暗記していない。
だからデータがないのなら実質、外部との接触を封じられているも同然だった。
見つからないように隠れている、という前提があるので、これまでそこをさほど疑問に持たずに来てしまった。
けれども。
蒼兄は、どうしてるの?
若林くんから逃げ、緋人くんが拘束されているという前提を踏まえるなら、二人と接触しないのは当然だ。環は無関係だけど、情報が漏れないよう警戒するなら、そこと連絡しないのもまあ分かる。
でも、蒼兄とまで接触を断つ理由はないはずだ。蒼兄は思いきり当事者なのだし、私がここで匿われていることにも一枚噛んでいるはずだった。
だけど蒼兄は、この家にこれまで一度も姿を見せていない。
ここが怪しいと気取られないよう、藍ちゃん以外は出入りしないようにしている、という可能性はあるけど。
けれど電話まで控える必要は、別にないはずだ。
それなのに、十日間も蒼兄が私を放ったままというのは、どういうことだろう?
安室
望月
店でのやり取りでも、当時の片鱗は見えていた。おそらく今でもそれは変わっていない。
あの
血が盗まれた件がなければ穏便に済まそうとしていた、的なことを言ってはいたが。いくら私が吸血鬼と関わりを持っていたからって、自分以外にも
その蒼兄が、この状況で、黙っているとは思えないのだ。
もしかすると。
味方であるはずの蒼兄含め、私が藍ちゃん以外との人間と連絡を取れないように、意図してスマホを没収されているのだろうか?
もしや、まさか。
蒼兄は、藍ちゃん側じゃないのでは?
そもそも、だ。
十日前のあの日に起こったこと。
『黒崎朔とその仲間が部屋に押し入って、私を攫おうとして。
だけど蒼兄のおかげで無事で。
その場で奥村緋人は拘束されたけど。
若林紅太には、逃げられてしまった』、ということ。
これは。
どこから、知った?
私はどうして、そう思った?
だって、私の記憶で思い出せる『光景』は。
部屋の中に煙が立ちこめて視界が奪われて、誰かに私が運ばれるところまでだ。
その後は気を失って、見ていないはずなのだ。
藍ちゃんから聞いた、というのならば分かる。
だけどこの部屋で目が覚め、藍ちゃんに事態を確認した時。
その時点で、既に私はそのことを認識していた。
自分の記憶として、そういうものとして認識していた。
まるで確定事項のように。
まるで規定事項のように。
それを刷り込まれていた。
さっきの、まるで文字情報の羅列のような事実を。
――若林くんが、黒崎と共謀して、襲ってきた?
違う。
違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!!!
そんなこと、ありっこない。
そんなこと、あるわけがない!
蒼兄に抗議した時にも言ったことだけど、緋人くんはこんな愚策はとらない。
まして若林くんは、そんなひどいことが出来る人じゃない。
感情論抜きにしても、あのタイミングで仕掛けることはないでしょうよ。拘束するのから話し合いに移行しようとしてたんだよ。
主観でもおかしいし、客観でもおかしい。
なんで?
どうして私は、それを事実だと認識した?
なんで私が、そう、信じた?
そういえば、あの時。
若林くんが敵だと認識させられた時、彼らを疑わしいと思わせるようなことを、心を惑わすようなことを『言われた』覚えはあった。
だけどそれだけで、すんなり信じるわけがない。
仮に、最終的に『若林くんたちの仕業だった』との結論を下すとしても。
そこに至るまでに、葛藤から思案から拒絶から、受け入れるまでの紆余曲折があるはずだ。
あっさり事実として飲み込むわけがないのだ。
だけど。そこを飛び越えて、私は疑いようもなく、それを信じてしまっていた。
何が、どうなってるの?
混乱して脂汗をかいていたところに、再三のチャイムの音で我に返る。
駄目だ、とりあえず今は考えている場合じゃない。
もたもたしてたら、若林くんが帰ってしまう。
慌てて玄関に駆け寄ろうとしたが、いよいよ頭がしゃれにならない痛みを覚えてきて、立ち上がることが出来ない。
仕方なく、這うようにして玄関のドアを目指す。
まずい、声が止んだ。諦めて帰っちゃうかもしれない。
それはまずい。
焦った私は、手にしているスマホを思い切りドアに投げつけた。ドアにぶつかったスマホが、ガゴン、と嫌な音を立ててから、床に落ちる。
ごめん藍ちゃん。でも最近のスマホは丈夫だっていうから、壊れてないことを信じてる!
その音で気付いたのか、ドアの向こうで彼が立ち止まった気配がする。
「待ってて! 今、行くから!」
最初から声を出せば良かったんじゃないかと今更、気付いたが、もう遅い。
壊れてたら後で弁償します。
必死で身体を引きずり、玄関までわずか三、四歩のはずの距離を、十数秒たっぷりかけて、這々の体で鍵を開けた。
体重をかけるようにドアを押し開くと、久方ぶりの若林くんと、目が合う。
十日ぶりの若林くんは、当たり前だけれど、最後に会った時とそう変わっているわけではない。
だけど彼の姿に心底安堵してしまって、また私は泣きそうになる。
気付けば私の手は、小刻みに震えていた。気付いてしまうと、途端に彼へすがりつきたいような、たまらない気持ちになって。無意識のうちに若林くんの服を、ぎゅっと握る。
彼は私の姿を認めると、一瞬、虚を突かれたような表情で目を見開き。
次の瞬間、途端に険しい目つきになる。
「望月さん、大丈夫!? どうしたの、何かされた!?」
「違う、違うの。なんか、頭が、痛くて」
頭が割れるように痛い、というのはこのことだろう。
どうにか気力だけで身体を引きずっては来たが。いよいよ耐えきれずに、またもや私は廊下に座り込んだ。
家の中に入った若林くんは、慌てて私の背を支えてくれる。
「ちょっと待ってて」
若林くんは、おもむろに深呼吸をすると。すっと、目を閉じる。
すると。
彼の髪の色が、さあっと色を失っていく。元々色素の薄かったその髪色は更に薄くなり、沈み掛けた太陽の橙の光に照らされて、きらきらと光った。
そして。
見開いた彼の瞳は、暮れかけた空の色よりも更に濃い朱に染まっていた。
――銀の髪に、赤の目、だ。
どうして?
今日は、まだ、満月じゃないはずなのに。
血が足りないから、満月より前にそうなってしまったんだろうか?
だけど私が血をあげるようになる前だって、髪と目の色は普通だったはず。
ぼんやりと、そう考えていると。
若林くんはバッグの中からカッターを取り出し、躊躇なく自分の指先を切った。
突然!?
なにを!?!?
しているの!?!?!?
驚いて頭を上げると。
断りなく、いきなり口の中へ、彼の人差し指が押し込まれた。
口内に、じんわりと鉄の味が広がる。
若林くんの、血だ。
……なんで?
逆なら分かるんだけど。
え?
なんで???
疑問が先に来て、抗うことを考える間もなく首をひねっているうち。
何故か、頭痛は途端に治まった。
「大丈夫?」
「あ、うん。何故か、もう痛くなくなった」
「よかった」
若林くんはほっとしたように息を吐き出すと、私の口から指をそっと引き抜き。
ちろりと血のにじむ傷口を舐めて、さっき切った傷を塞いだ。
あぐッ!?
えっと。
ちょっと待ってね。
それは、つまり。
ええと。
…………。
白香は 思考を 放棄することにした!
「あれ、どうしたの。まだ痛む?」
「いえ別になにもやましいことはでも推しと推しコンビの媒介が媒介を媒介することが動転なので」
「なんて???」
駄目だ、何一つ放棄できてない。
落ち着け。落ち着け私。
よく分かんないけど血を塞ぐのには必要な措置なんだ不可抗力なんだコレは。
胸に手を当てて数回、深呼吸してから。
ぶんぶんと頭を振り、ようやくしっかりと若林くんを見つめる。
若林くんだ。
髪の色と目の色が、最初に正体を知った時と同じで、いつもと違う吸血鬼の姿だけれど。
紛うことなく、彼だった。
黒崎じゃない。
この人は、本物の若林くんだ。
「ありがとう。……えっと。実は私、何がどうしてここにいるのか含め、よく分からないんだけど。なにがどうなってるの?」
自分でも大概どうかと思う間抜けな疑問を投げかける。
でも、実際そうなんだもの……。
「分からない?」
「一旦、詳しいことは省くけど。さっきまでは、若林くんと奥村くんが敵で、若林くんから隠れるために、外に出ちゃいけないって信じ込まされてたみたいで。
でも、多分ソレは、何かの能力のせいなんだと思う」
うん。頭痛もなくなって、思考がクリアになった状態なら分かる。
きっと吸血鬼か人狼とかの能力で、そう刷り込まれてたんだ。
「なるほど。だからか。本人も協力者にされてるなら、見つかりづらいわけだよ。
暗示か何かか、厄介だな。瀬谷の能力か」
「ううん、藍ちゃんの能力は、触った人を眠らせることだって。実際に何回も受けたから、それは間違いないと思う」
「……無理矢理、眠らされたの?」
「あ、それは違うよ!
ここにいる間、さっきみたいに酷い頭痛になることが多くて。そういう時に眠らせてもらってたんだよ。一人じゃ寝付くのも大変でさ。起きたら大体良くなってたから、むしろそこは助かってたというか」
「変なことしてねぇだろうなあの野郎が……」
あれ。若林くんの語調が、大天使の語調が乱れている。
何か引っかかるところでもあったんだろうか。
あと藍ちゃんは野郎じゃないです。
「ねぇ、実際には何が起きてたの?
私はどういうことになってた? 他のみんなは無事なの?」
私の質問に、若林くんは表情を曇らせた。
「安室たちと五人で話をしてたところは覚えてるよね?」
「うん。その後、煙が出てきて、誰かに連れてかれたところまでは、なんとなく」
「それから望月さんは。今日まで、ずっと行方不明だったんだ」
行方不明。
やっぱり、そうだったんだ。だから外部と接触させないようにスマホを取ったんだろう。
それでいて今回の関係者以外には大ごとにはならないように、親とは連絡を取らせてもらえたんだろう。
あれ、でも。
私、SNSはちらっとやってたぞ。
リアルで繋がってる人は高校の友人だけで、大学の知り合いは一人もいないけど。緋人くんはアカウントを知っているはずだ。
「望月さんは、あの場で誘拐されてそのまま行方知れずに。
で、緋人は安室側に拘束されてる。流石に安室もこの状況で、俺たちを手放しに解放するわけにはいかなかったらしい。変に疑われるのも嫌だからって、緋人もそれは了承した」
「緋人くんが!?」
敵であるという以外に、緋人くんは拘束されてるとも刷り込まれてたけど、それは本当だったんだ!
「安室は躍起になって望月さんを探してたけど、望月さんを連れ去って以来、黒崎からも他の誰かからも、相手からは一切、反応がなかった。
だから何も糸口がなくて、見つけようにも見つけられない状態だったんだ」
「でも、若林くんは、どうしてここが?」
「瀬谷をつけたんだ。あの安室が動いてて、ここまで見つからないんだ。逆に、敵は安室の身内にいるんじゃないかとみて、こっそり探ってみたんだけど、正解だったね」
思った通り、蒼兄は藍ちゃん側じゃなかったんだ。
……蒼兄にも探させておいて、私は三食昼寝付きのヒモ生活(素敵なお洋服付き)をしていたなんて、本当に土下座しても足りない状態である。
まさか、他の人狼の方まで駆り出したりしてないだろうな。なまじ蒼兄の立場的に、できそうだから怖い。もしそうだったら、私なんぞのせいで申し訳なさ過ぎる。
そうでなくとも、既にみんなの手を煩わせてしまっているのだ。
緋人くんに至っては無実の罪で拘束までされている。早く蒼兄に言って解放してもらわないと。
ああ。もっと早く私が正気に戻れれば良かったのに。
でも若林くんが来てくれなかったら、そもそも元には戻ってないかもしれないのか。戻っても、体調からして使い物になりそうになかったし。
ともあれ、このタイミングで解けて良かった。
全方位に土下座する構えで、頭を抱えていると。
若林くんは、ぽんと私の頭に手を乗せた。
「だいぶ警戒されて何度もしくったけど、ようやく今日ここまで辿り着けた。
ごめん、遅くなって。迎えに来たよ」
その言葉に、笑顔に、心が温かくなる。
来てくれた。
来て、くれた。
何よりも、その事実が。
ただただ、たまらなく嬉しかった。
けれども。
「まさか。よりによって、お前がここを嗅ぎつけるとはね」
玄関先から声が響いて、硬直する。
そこには、うっすらと笑みを浮かべた藍ちゃんが立っていた。
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