7章:瀬谷藍は男装の麗人である
第31話 楽しい引きこもり生活
窓から差し込む眩い光で目を覚ます。
気怠さを覚えながら、またすぐ目を閉じて、寝返りを打てば。
「おはよう、白香ちゃん」
爽やかなハスキーボイスが響いて、観念したように私の目は勝手に開いた。
隣の部屋からひょこりと顔を見せたのは、藍ちゃんである。
今日の彼女は、だぼっとしたコットンの白シャツにジーンズというラフな恰好であった。ノーブルな佇まいも最高だけど、こういう隙のある姿も大変にすばらしい。ぱっと見は本当に、見目麗しいただの美青年である。
眠気が負けるのも仕方ない。
あー格好いい。
朝からいいもん見た。よだれ出そうだわ。
なんなら寝起きだからもう出てるわ。
って、ちょっと待て。
なんで藍ちゃんがいるの?
っていうか。
ここどこ?
いよいよ脳まで本格的に覚醒し、混乱したまま跳ね起きた。
私が寝ていたのは、綺麗なピンク色の寝具で揃えられたベッドの上である。白く塗られた瀟洒なベッドフレームと合わせて、大変に可愛らしい。
部屋はさほど広くない。私の住んでいるアパートと同じくらいだろう。
だけど、私の部屋ではなかった。うちのファブリックは全体的に、心身の落ち着く緑とアイボリーである。こんな乙女でファンシーな部屋ではない。
ていうかちょっと上見て気付いた。
天蓋がある。
嘘だろおい。
えっ?
なにが起きてるの??
藍ちゃんがいるってことは、ここ藍ちゃんち???
前の日に藍ちゃんと遊んだんだっけ?
いやそれにしても朝までいるとかそんなはずは、
朝チュン……?
いやいやいや服着てるし! ちゃんとパジャマだ……。
し……?
なにこの超絶フリルの、めたくそ可愛いパジャマ。
白いふりっふりの、ファサアッとした素材のやつだ。
ロミジュリのジュリエットとか、二次元とか舞台に出てくるお人が着てそうなやつだ。
つぅかこれ、あれだ。パジャマじゃなくネグリジェだ。
うわぁ初めて見た。
ていうか着た。
着てる。
なにこれ。
知らん。
なんぞこれ……。
「はいぃっ!?」
自分で自分の格好に度肝を抜かれて、勢い余ってベッドから転がり落ち、テーブルの脚に頭をぶつけた。
地味に痛い。
そしてテーブルもガラスの天板のお洒落なローテーブルであり、ワァ状況は分からんけどインテリアの趣味徹底してるぅ。
「起き抜けからアクロバティックだねぇ」
間抜けな私の惨状に、笑いながらやってきた藍ちゃんに助け起こされる。
と。
おもむろに藍ちゃんは跪き、掴んだ私の右手の甲へ口付けた。
…………。
?????
今その仕草、要る?
手の甲にちゅーするの、要る???
なんで?
ねえなんでこの状況でそれやった???
…………。
白香は 思考を 放棄することにした!
「なにもかもよく分からないけど、おはようございます藍ちゃん」
「おはよう白香ちゃん。実はもう昼だけどね」
「マジか」
「でも、疲れてるんだから休まないとね。気にせず今日は、ゆっくり寝てるといいよ」
そうは言われても。
なにがどう疲れているのかすら、さっぱり分からない。
けど、指摘されて気付いた。確かに言われたとおり、全身に倦怠感が滲んでいる。体がずしりと重い。
待って。本当になにがあったの。
なにがどうしたのか。
なにが……。
ナニが……。
……まさか。
待ってください。
ナニかがどうにかしたんですか。
ちょっと。
私、記憶ないんですけど。
私は一体なんてことをしたんだ!?
いやむしろ私がされたのか!?
どっちなんだ!? ホワッツ!?!?!?
大変な想像に及んでしまい、一人でおたおたしていたら。その慌てぶりを見て、またもや藍ちゃんはくすりと笑う。
「心配しなくていいよ。ボクは君に一切、手出しはしてないから。ボクも君も健全な関係のままだよ。
まだね」
その怪しい発言、今この状況でやめてー!
盛大に戸惑うぅー!!!
でもとりあえず良かった!
別に襲ってなかった!!
犯罪者になるところですよ全く!!!
ひとまず安堵したところで、私は気を取り直して現状を確認することにした。
「あのですね、藍ちゃん」
「なぁに?」
「ええと。この状況が、まったくもって一切合切つかめないんですけれども。
ここはどこで私は誰でしょう?」
「まず、君は望月白香ちゃんだね。忘れちゃった?」
「ガッツリ覚えてます」
覚えてた。
そりゃそうだよ。
聞いてどうする。
うん、私は性癖を追い求めているだけのただの大学生(変態)である。
よし。
「で。この場所は、ボクの家みたいなところだね」
「みたいなところ?」
最初の推測はそう間違ってはなさそうだったけど。少々、奇妙な表現である。
家ではないの?
「分かりやすく言えば、セカンドハウスだよ」
「セカンドハウスぅ!?」
セレブの発言が出てきた!
少なくとも学生の発言ではないぞ!
「ボクが普段、生活している家は別の場所にあるんだけど。
そことは別にこっちも借りてるんだ。たまに必要になる時があるからさ」
「都心に家を二カ所」
「大丈夫だよ。そう広い部屋じゃないし、家賃も6桁前半だし」
大丈夫じゃない。
庶民にとって大丈夫じゃないそれ。
家賃で多分それ私が二ヶ月は暮らせる。家賃除いた生活費として。
でもそこを突っ込むのは後にしとこう。
なんか大変な話が出てきそうな気がする。
「それで、どうして藍ちゃんの家にお邪魔してるんだっけ?」
「ボクが白香ちゃんを保護することになったんだよ」
「保護?」
「若林が君を見つけ出さないように、ボクの家で匿ってるんだ」
その言葉に。
どくん、と頭の血管が脈打ったような気がした。
そっか。
そうだった。
そういうことに、なったみたいだ。
「店で何が起きたかは、覚えてる?」
「『黒崎朔とその仲間が部屋に押し入って、私を攫おうとして。
だけど蒼兄のおかげで無事で。
その場で奥村緋人は拘束されたけど。
若林紅太には、逃げられてしまった?』」
「そう。それで、このまま家に帰すのは危険だから、ここに来てもらったんだ。この場所ならあいつらにバレてないからね。
だから当分、白香ちゃんには、事が落ち着くまでこの部屋に居てもらうことになる。面倒は私が見るから安心して良いよ」
「そっ、か」
それは事実。
それが事実。
そういうことになっている。
だけど。
なんだか、頭がズキズキする。
「やっぱりまだ疲れが取れないみたいだね」
藍ちゃんは優しく私の頭を撫でる。
すると、急に瞼が重くなってきて、頭痛が遠のく。
「ボクの能力。触った人を、眠らせることができるんだ。
後はボクたちがどうにかするから、それまで静かにお休みお姫様」
私の膝裏に手を回し、お姫様だっこで抱えてベッドに戻す。
「考えなくていい。考えなくて良いよ、白香ちゃん」
私をベッドに横たえ、布団を掛けると。
藍ちゃんは、そっと私の髪を撫でた。
「このままだと。きっと、君も同じ道を辿ってしまうだろう。
でも、安心していい。ボクたちがそうはさせないよ。
君はなんにも心配しなくていいんだ。今はあいつに代えてボクが守ってあげるから、安心してお休み。
きっと全部、上手くいく。
ねぇ。そうだろう、
自分の意志とは裏腹に、否応なしに薄れゆく意識の中。
円佳って、誰だろう。
ぼんやりと、そう思い。
私は、意識を手放した。
それから私は、ずっと藍ちゃんの家(セカンドハウス)で過ごした。
危険だから、私は外に出られない。
ということで、私の面倒は藍ちゃんが全面的にみてくれている。
藍ちゃんは、昼間は大学に行き、私の代返などをしてくれ。
夕方にはここにやって来て、買い物や夕食作りなど、こまめかつ丁寧な仕事ぶりで諸々の家事をやってくれた。
私はただ外に出られないだけなので、別に買い物だけお願いすればいい話なのだけれど。いつも藍ちゃんが作るといって譲らないのと、彼女のご飯がめちゃくちゃ美味しいので、毎日押し負けている。
おまけに夕食ついでに朝昼の作り置きまでしてくれるので、本気で全然炊事をしていない。
ヒモじゃん。
そして洗濯についても、諸事情によりドライクリーニングが必要な衣類ばかりだったので藍ちゃん任せとなっていた。別に私は『アクロン使って家で洗えば良いじゃん』派なんだけど、気付いたら藍ちゃんがクリーニングに出しているのである。
結果、家でも洗濯できるのは下着のみであり、それも潤沢な数があったため、まだ一回しか洗濯してない。
ヒモじゃん。
そうすると私のする家事は掃除くらいしかないのだが、ウッカリすると寝ている間に掃除まで終わっているのが怖いところである。
ヒモじゃん。
藍ちゃんが将来、悪いヒモに引っかからないかが私は心配だよご飯美味しい。
ところで、洗濯の諸事情につながる余談なんですけれども。
藍ちゃんの家には、蒼兄と店に行ったときのまま来たので、私の持ち物はほとんどない。当然、服はその時に来ている分しか持っていなかった。
そして藍ちゃんと私では身長がだいぶ違うので、藍ちゃんの服を借りるのは少々不都合があった。
それなら、家に取りにいってもらうか適当な部屋着を買ってきてもらうところが妥当なところだと思うのだが。
気付けば、藍ちゃんは私のサイズに合う良いお値段の服をごっそりと買い込んできたのである。
そんなわけで。
普段、ユニクロやGUを中心としていた私のワードローブは。
現在、藍ちゃんチョイスの、主にひらひら、主にふんわり、主に乙女な、主にワンピースの、大変可愛らしいフェミニンなラインナップの、ブランドのお洋服に変容していた。
なんでだよ!!!!!
だって部屋にいるんだよ?
もったいなさ過ぎない??
ただの引きこもりにこれ?
その理由については。
「ボクの趣味だよ」
ということらしかった。
…………。
どう!
いう!!
ことだよ!!!
「可愛い女の子に、似合う洋服を選んで着せてあげるのが好きなんだ。
骨格診断って知ってる? ボクの見立てだと。白香ちゃんの場合、ショートパンツもいいけど、こういうふわふわしたワンピースとか、いかにも女の子って感じの服が凄く似合うんだ。どうしても着せてみたくってね。思った通りだ。
本当は髪もいじりたいんだけど、肩までのボブじゃあんまりいじりようがないからなぁ。もっと伸ばすといいよ。そしたらボクが、もっといろいろやってあげる」
理由を聞いたら、大変に饒舌な返答が返ってきた。
藍ちゃんが楽しいのなら何も言いますまい。
なお下着までもが、チュチュアンナからトリンプの天使のやつにちょっとランクアップしている。
そしてパジャマにはジェラートピケである。すごく快適でよく眠れる。
でも藍ちゃん、私は外に出ないんですぞ。
むしろ下着とジェラピケだけで十分なのですが。
まあ。藍ちゃんの見立ててくれた服は、最初は自分にはあまりに可愛すぎるのではと気後れしていたものの。着てみれば思いの外、悪くないなと思える感じだったので、正直なところ、まんざらではない。
とはいえ。藍ちゃんが調達してきた服は、庶民の大学生としては、ちょっとばかし勇気いる値段帯のブランドのものである。
そんなものがごそっと準備されたので、マジでどういうことなの状態ではある。しかもこれがプレゼントだというのだから本当に意味が分からない。
うーん普段の数着分のお値段だわ。これまで雑誌でしか見たことなかったわ。
コスメより先にお洋服でジルスチュアートを手に入れてしまった。
やぶさかではないですけれども。
本当に後で請求とか来ないよね?
身体で返せとか言わないよね?
そんなこんなで本日の私も、裾に刺繍・ウエストにリボン・パフスリーブ、という乙女三拍子の盛り込まれた、レッセパッセの可愛いワンピースである。
藍ちゃんもご満悦で、私も満足している。大変に平和である。
そんなわけで。私は大変に自堕落な引きこもり生活を送り。
気付けば、あっという間に十日ほどが経過していた。
外に出ることは出来ないが、それは仕方のないことだし。
元々、引きこもりが楽しいタイプなので苦ではなかった。
むしろ以前よりもQOLは上昇している。ご飯美味しい。
暮らす上で、不便はない。
ない、のだけれど。
しいていえば、厄介なのは。
何故かここに来てから、たびたび頭痛が起きることだった。
なんだろう。これまで、頭痛持ちじゃなかったのに。
外の空気を吸ってないからだろうか。
頭痛が起きる度に、藍ちゃんに眠らせて貰っているので、そこまでしんどい状態にはなってないんだけど。結果、やたら睡眠時間が多いことになっている。
そして、何か。
何かを、忘れているような気がする。
それだけが。
ここ数日、ずっと気がかりで、気持ち悪かった。
嫌なことといえば、それだけだ。
この日も怠惰な一日が過ぎていく。
そろそろ藍ちゃんが帰ってくる頃かな、と思いながら、藍ちゃんに取ってもらった講義のノートを眺めていると。
玄関のチャイムが鳴って、びくりとする。
この家に来てから、来客が会ったのは始めてだ。
新聞の勧誘かなにかだろうか。だけどどちらにせよ、私は出ることができない。
居留守とバレるといやだなあ、と物音を立てないよう縮こまっていると。しばらくして、またチャイムが鳴らされた。
続けて今度は、コンコンとノックの音も響く。
「望月さん。いるの?」
おずおずと遠慮がちにかけられた声に、どきりと心臓が跳ねる。
同時に、また最近お馴染みの、鈍い頭痛が来た。
この声は。
若林くんだ……!
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