第33話 生ける人形
「瀬谷。お前の仕業なんだな」
私を抱き寄せながら若林くんが低く響かせた声に、藍ちゃんは答えず。
腕組みして、ゆるりと首を横に傾げる。
「残念。白香ちゃんのその様子だと、
やっぱり『こちら』は難しいようだね」
朔!
私への偽の事実の刷り込みは、黒崎朔がやったものなのか。
つまり、それは誰かの能力の
蒼兄の懸念は当たっていた。
黒崎朔は、姿だけでなく、能力まで模倣できるのだ。
もしかすると。
タイミング的に、これは蒼兄の能力なのかな?
若林くんは立ち上がりながら、さりげなく私を部屋側に押しやる。
促され、ようやく私も立ち上がった。
「お前が黒崎と共謀して望月さんを攫ったんだな」
「ざっくり言えば、そんなところだねぇ」
「何をしたんだ?」
「安心しなよ。お前らと接触させないために、朔がちょっと能力を使って暗示をかけただけだ。別に無体は働いてない。白香ちゃんには傷一つつけてないよ」
「なら、どうして彼女を巻き込んだ。何が目的だ?」
「お前が。お前が、それを言うの?」
さっきまで鷹揚に返事をしていた藍ちゃんだったが。
途端に険しい表情になり、右手を拳にしてガンと壁を叩いた。
「なら、どうしてあの子を巻き込んだ。
どうしてあの子が犠牲になった?」
拳を打ち付けた体勢のまま。
藍ちゃんは、若林くんを射抜くような視線で睨め付ける。
「
乾いた声で発せられた、その名前を聞いて。
若林くんの手が、びくりと跳ねた。
「お前だって、覚えているだろう?
知らないとは言わせない。
覚えてないとは言わせない。
お前が殺した、彼女の名前を」
「え?」
藍ちゃんの言葉に、無意識に声が漏れる。
今。
なんて、言った?
聞き間違い、だろうか。
でなければ、誤解か錯誤か、何かの思い間違いだ。
だって、そんなこと、あるはずがない。
だけど。
当の若林くんは、黙ったままだ。
「白香ちゃんは、ほとんど知らないよね」
この状況にあって藍ちゃんは、優雅とすらいえる微笑みを浮かべた。
部屋の中が、妙に冷んやりしているように感じる。
「円佳は、ボクの一番大切だった女の子で。
桜間環の、妹だ」
さらりと告げられた事実に、鳥肌が立った。
藍ちゃんから、さっき名前を聞いた時に。どこかで聞いたことがあるような気がしていたのだ。
『桜間』は、環と同じ名字で。
『円佳』は、前に藍ちゃんが呟いていた名前だ。
そして、彼女が環の妹であるということは、おそらく。
吸血鬼の眷属にされたという、行方不明の人物。
環が、吸血鬼の末裔を敵視していた理由。
「円佳はね。数年前、悪い吸血鬼にたぶらかされて、そいつの眷属になってしまったんだ。そのせいで、もう表の世界では暮らせない状態になってしまった。
ここまでは、桜間から聞いてるだろう?
だけどね。この話には、酷い酷い続きがあるんだ」
藍ちゃんは無表情で、淡々と感情を込めない声音で言う。
「悪い吸血鬼は、同族からも別の種族からも追われていた。遂にそいつが追い詰められて、これで終わりかという時に。
円佳は奴をかばって、自らの血を全てあいつに捧げたんだ。
最終的に、悪い吸血鬼はちゃんと始末されたけれど。
その結果、円佳も物言わぬ人形になってしまった」
告げられた事実に、背中がすっと寒くなり。
同時に、環の顔が思い浮かぶ。
そうか。
環の妹は、藍ちゃんの友達だったその人は。
今は、もう。
だけど。
「それと若林くんと、何の関係が?」
「こいつはね」
藍ちゃんは一旦、そこで言葉を切って。
冷ややかな眼差しで若林くんと見つめながら、ひときわ重い調子で続ける。
「若林は、かつて、混じりけない人間だったはずの男を吸血鬼にしてしまったんだ」
「人を、吸血鬼に……?」
単純なはずのその言葉をすぐには飲み込めず、間抜けに反芻する。
そして、ようやく彼女の言ったことの意味を理解が出来た。
「あいつを。円佳を拐かしたあの忌まわしい男を、吸血鬼にしてしまったのは。
他ならぬ、その若林紅太だ」
人間を、吸血鬼に変える。
およそ現実のものとは思えないその事象に。一月半ほど前、あれこれ文献を読みあさった中で、複数の本に書かれていたことを思い出す。
『吸血鬼は、生き血を吸った人間を吸血鬼にする』。
それは吸血鬼について調べる前から、なんとなく私もお伽噺の範疇の知識として、ぼんやりと知っていたことだった。
だけどそれは、あくまで物語の中の話だ。
現代に生きる吸血鬼の末裔には、そんな力はないと。
一般人のよく知る吸血鬼の特徴は、過去か架空のものなのだと。
そう、認識していた。
そう、聞かされていた。
「だけど、若林くんがそんなこと」
「本当だよ」
半分以上、混乱したままに口を開いて。
けれども若林くんは、私の言葉を遮った。
「瀬谷の言うことは、本当だ。
僕が、彼女を、殺した」
彼の台詞に、言葉を失う。
肩越しに若林くんの顔を見上げたが。
藍ちゃんの方を向いたままの彼の表情は、ほとんど見えなかった。
「そうとも。お前が、あいつを吸血鬼になんてしなければ。
円佳はボクの前からいなくならずに済んだんだ。
あんな姿のまま、無為な時間を過ごすこともなかった」
藍ちゃんは悲痛な面持ちで、じっと手に視線を落とした。
「可哀想に。円佳の肉体も、流石に脆くなってきている。この前なんて、爪が剥げてしまったんだから」
「……待てよ、瀬谷」
若林くんは目を見開き。
一歩、藍ちゃんとの距離を詰める。
「円佳は。彼女は、消えたんじゃないのか?」
「円佳はね。まだ、ちゃあんとボクのところにいるよ。あの時の綺麗な姿のままでね。美しく着飾って、地下の棺の中で眠っている。
不思議だね? もう何年も経っているのに、何もしなくても、彼女は腐ることも朽ちることもない。
まるで、生きているみたいに。
つまり。あの子は、まだ死にきってはいない」
妖しく微笑んで、藍ちゃんはそう答えた。
待って。
どういうこと?
つまり。
円佳さんは、意識はないけどまだ生きてはいるってこと!?
「さっき。目的は何かと聞いたね」
藍ちゃんは長い指で、すっと若林くんを指し示す。
「私たちの目的はお前だ。お前の血だ。
お前の犯した罪を、お前の血をもって
「そういうことか」
若林くんは、何故か合点したようすで頷き。
急にこちらを振り向くと、私の肩を掴んだ。
「それなら。俺がここに残るなら、彼女は用済みなんだろう?」
「生憎と、そういうわけにもいかないんだけどな」
「なら。そこは強行突破させてもらうよ」
言うなり、若林くんは瞬時に藍ちゃんとの距離をゼロに詰めると、彼女の鳩尾に拳を叩き込んだ。正面からまともに受けた藍ちゃんは、片膝をつく。
ひえっと思う間もなく、私は若林くんに手を引かれるまま藍ちゃんの横をすり抜け、玄関を飛び出た。
裸足のままマンションの廊下を走り、エレベーターに飛び乗る。若林くんは急いで『閉』と『1』のボタンを押した。
まだ平日の日中で、他に住人の姿が見当たらないマンションのエレベーターは、すんなりと閉まる。藍ちゃんは、まだ追ってこない。
「望月さん、逃げて」
扉が閉じるなり、若林くんは私の両肩を掴んで真剣な面持ちで告げた。
「この場所は、安室たちと話してた店からそう遠くない。マンションを出たら右に曲がって、そのまままっすぐ行けば、知ってるところに出ると思う。店の人に言って、安室に保護して貰うんだ」
「でも、若林くんは?」
「俺が逃げたら、間違いなく瀬谷は追ってくる。だけど俺がここに残るなら、俺の見張りを手薄にしてまで望月さんを追ってこようとはしないはずだ」
「だけど、若林くんに一体、藍ちゃんは何をしようと」
不穏な藍ちゃんの言動への懸念を言いつのろうとしたら。
その口を塞ぐように、思い切り、強く抱きしめられた。
「大丈夫。僕のことは心配しなくていいから」
耳元で、若林くんが囁く。
頬のところで銀の髪がさらりと触れ、彼の香りが鼻腔をくすぐった。
その表情は、見えない。
「お願いだ。どうか、君だけは無事でいて」
そう言い残すと。
若林くんは、一階に到着したエレベーターから私を押し出し、すぐさまその扉を閉めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます