第25話 想定外の属性がログインした

 しょうもない私の発言に対し、歯切れ良く切り返してきたテンションも合わせて、彼は私の知る安室くんその人だったけれども。


 しかし今、彼の頭にはケモ耳が生えている。

 どうしようもなく生えている。

 もふもふしたい。


 え? ケモ耳には萌えないって言ってただろって?


 ばか! 萌えるか否かと、もふもふしたいかは別物でしょうが!

 もふもふをもふもふするのは礼儀だろうが!!!

 いや礼儀ではないかもしれないごめん。



 そして。

 実のところ……現状は、大変にやばい。


 これまでに散々、安室くんは萌えないと連呼してきたけど。

 実際、メガネもケモ耳も、それ単体では別に性癖じゃあないんだけれども。


 その、いとやんごとなき黒髪はどうにもならない。

 それは大変によろしくない事態である。

 その、射干玉の黒髪とメガネのコラボはどうにもならない。

 それは大変によろしくない事態である。


 これはこれは大変なものである。

 これは本当に大変な事態である。


 世の中、どうなるか、分かったものではない……。

 鼻血出てないかな……。



「安室くん。ルンペルシュツルツキンってお呼びしてもいい?」

「何がどうしてそうなるんだよ!?」

「ルー・ルツキンでもいい」

「混乱させたのは分かったからとりあえず落ち着いてくれ」

「あるいは薬研やげん藤四郞とうしろう。お願い白衣着て」

「だからなんでだよッ!?」


 何故かと言えば、今のあなたは私の理想の『成長したギムナジウム系ショタ(過去)』だからです。

 君もその姿なら、私の心の中のギムナジウム入り決定だ。歓迎しよう。

 若林くんと共に、伸びやかに鳥籠の青春を過ごしてくれ。




 色々とキャパを超えてしまったために、私はスーハーと深呼吸する。

 と、複雑そうな表情をした安室くんと視線が合う。


 まずい。引かれちゃったかな。

 流石に失礼か。そりゃそうだよな。


「この姿を見てのコメントが、それ?」

「不躾にごめん。本当ごめん。目の前の事態にもういろいろと、いっぱいいっぱいで」

「確かに、いきなりではあったけどな」


 息を吐き出し、安室くんは自分の前髪をぐしゃりと掴んだ。


「さすがにそろそろ、堪えるな。狙ってたわけじゃあないが。

 姿


 彼はいつもより更に低いトーンで唸るように呟くと。

 どこか寂しげな笑みを口元に浮かべ、私を見つめる。



「ねぇ。本当に、忘れちゃったの? 

「え?」



 その呼び名に、どきりとする。


 あれ。

 おかしいな。



 既視感が、ある。



「しょうがないけどね。十年以上前だし、俺も随分変わったからさ」

「待って。それって、どういう」

「昔は、結婚まで誓った仲だったっていうのに」

「へあッ!?」



 とんでもないことを言われ。

 とんでもなく、間抜けな声を上げてしまった。



 だって。

 だって、そんな人は。






 私がかつて、恋をした相手は。

 二度と会えないはずだったその人は。


 この世に、たった一人しかいないはずなのに。






 まさ、か。




「うそ。もしかして。あ」

「おっと。その反応が見られたなら、上々だ」


 口を塞いで私の言葉を遮ると、安室くんは満足げににやりと笑い。意味ありげに、口へ人指し指を立ててみせる。


「積もる話は山とあるけど、そろそろあいつらが痺れをきらしたらしい。まずは下手くそな尾行をしてる奥村たちを迎えてやろうか」


 あ、バレてる。

 あの二人、普通にバレてる。


「俺たちをつけるなんて無粋な真似をしてくれたんだ。お返しに、からかいがてら遊んでやろう」


 そう言うなり。安室くんは私を、お姫様抱っこの要領で抱え上げると。

 地面を蹴り、高く飛び上がった。

 ヒエッという悲鳴は、喉の奥で潰れたように消える。


 普通、の、ジャンプじゃない。

 これは、優に数メートルは飛んでる。


 だって、高いところにあったはずの窓が目の前にあるもの!

 さっきまで地面にいたのに、今なんかベランダみたいな場所にいるんだもの!!

 明らかに地面が遠いんだもの!!!

 そしてまた、次の足場に向かって飛んでるんだもの!!!!!

 なにこれ!?!?!?



 決して軽いわけではない私を、人一人を抱えておきながら、彼はなんてことない風に軽やかに駆ける。

 しかも、お荷物がなかったとしても、普通の人間じゃ考えられないアクロバティックなルートを通って、だ。


 後ろからは、もはや隠れることを諦めたらしい二人分の足音が聞こえた。

 が、私も私で、それを確認する余裕はない。

 アクロバティック移動への恐怖で、しがみつくのに精一杯である。

 声を上げたら舌を噛みそうだ。




 えっと。

 ギムナジウムへのときめきが先行して、一旦、隅に置かれてしまったけれど。


 頭に生えたケモ耳。

 人間離れした身体能力。


 詳しいことは知らないけど。

 これは、もしかして。




 人、狼?




 その単語がよぎったところで、地面に着陸した衝撃がはしり、私はヒュッと息を飲んだ。


 駄目だ。余裕ない。

 後で落ち着いた時に話をいろいろ聞こう。本当いろいろ聞こう。

 今はこの場を乗り切ることに全力を注ごう。


 安室くんの服の袖を必死に掴みながら、ちらりと顔を伺う。

 サークルで見慣れていたはずの、安室蒼夜という人物。

 その彼が顕わにした、あの頃の面影に。

 無性に懐かしい気持ちがこみ上げてきて、胸が高鳴った。




 しばらく駆け続けてから、更に細い路地に入ったところで、ようやく安室くんは立ち止まった。

 やがて、ばらばらと裏路地に響く足音が近付いてきたかと思うと、十数秒遅れで若林くんと緋人くんが追いつく。息切れしている二人を、安室くんは余裕の笑みで迎えた。



「やあ。の連中は、相も変わらず貧弱で困る」



 彼の言葉に、緋人くんから険しい視線が飛んだ。

 が、気にする素振りなく安室くんは続ける。



「随分と奇遇だね、二人とも。仲良く銀座観光か? それとも」



 安室くんは、二人を見据えながら私を地面に下ろし、すっと目を細める。




に、何か用かな?」




 やっぱり。

 すっかり様変わりしてしまったけれど。この人は。



 半信半疑ながらに。

 私は今度こそ、その名を告げる。



「あお兄?」

「やっと思い出してくれたね」



 安室くんは優しい笑みを浮かべた。

 けれど私は、動揺したままに上ずった声をあげる。


「でも。だけど、名前」

「しぃちゃんは小さかったから、俺の名前の漢字までは覚えてなかったもんね。分からなくても仕方ない」


 地面に座り込んだまま、若林くんが困惑して尋ねる。


「待て。何がどういうことだよ?」

「そのままの意味だよ、若林」


 三人に向き直り、安室くんは――彼は、宣言するように、高らかに言う。




「俺の昔の名前は、望月蒼夜あおや。望月白香の、元だ」




 そう言って。

 安室あむろ蒼夜そうやだったはずの彼は、懐かしすぎる面影を湛えたその顔で、不敵な笑みを浮かべた。







 こうして、私は。

 性癖ではなかったはずの、安室蒼夜、改め。

 超絶性癖だった、生き別れの兄である望月蒼夜と、唐突に再会した。

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