第13話 あざとい天使は危険なかほり

「止めろ。今する話じゃない」


 絶句していると、若林くんが低い声で制した。

 奥村くんと私を引き離すように間に入ると、若林くんはぎこちなく笑みを浮かべてみせる。


「気にしないで、望月さん。ちょっと今は説明できないけど。望月さんには関係ないことだし、たいしたことじゃないから、心配しなくていいよ」


 作られた笑顔で私へフォローすると同時に、廊下から複数の足音が聞こえてきた。先輩達が戻ってきたのだろう。

 その音を合図に、思考が置いてけぼりのまま、私たちは距離をとって無理矢理に会話を終えた。









 『合宿の夜とは、イコール飲み会であると、古来より相場が決まっている』、というのは乾杯の音頭を取った三年の先輩の談である。

 そんな胡散臭い言と共に、我らが新歓合宿の宴会はスタートした。もっとも私を含む一年生は、まだ未成年が多いのでノンアルコールだ。けれどもハイスピードで酔っていく先輩方の様子を眺めていると、いつもはそれだけで気分で酔える。


 けれども本日ばかりは話が違った。

 一向にテンションが上がらないばかりか、むしろ、鬱屈していく一方である。



 いや。だって、ねえ。




 『撃たれた』って、何?




 事態が飲み込めないながらに、考えて。このあまりに現実離れした単語に、もしかして聞き間違えたのかもしれない、と思った。

 だけど補足された奥村くんの説明や、二人の状況を併せると、聞き間違いだなんてことはないだろう。


 つまり。

 何かの勘違いでなければ、誰か、若林くんを狙撃した人物がいる。


 そしてきっと、勘違いの類いではないのだろう。あるなら、奥村くんがあそこまで断言はしないはずだ。

 若林くんへ『撃たれた』ものが、いわゆる実弾なのか、『撃つ』と表現するなのかまでは分からないけど。



 勿論、私は誰にも二人の秘密を話してはいない。

 環には、若林くんが大変な性癖であるってことは話したけど、性癖が理由で彼らが狙撃されることはないだろう。それならむしろ私を撃ち給え。


 血をあげるところを見られた、という可能性も多分なかった。血の提供は密室でやっているし、サークル部屋はドアを開ける時に少なからず音が鳴る。誰かが覗いていればこっちだって気が付く。


 心当たりはなかった。だけど、私が二人と距離を縮めた直後のことである。奥村くんに疑われるのは仕方のないことだろう。

 若林くんはフォローを入れてくれたけど。


 ……関係ない、か。


 撃たれた、なんて、一般人からしたらとんでもない事態だけど。彼らには、予定外でこそあったのだろうが、晴天の霹靂というわけでもなさそうだった。

 攻撃を避け、周りに悟られずに冷静でいられる程度には。


 けれども。たとえば彼らに、誰かに狙われかねない込み入った事情があったとて。私には、それがどんなものか予想すらできなかった。


 うん。

 確かに私は、一介の被血者に過ぎない。

 私は、彼らが吸血鬼の末裔であるという事実、それくらいしか知らないのだから。



 そんなことを考えながら。

 私は宴会場を出て、盛大にため息を吐き出したのだった。




 まあ、とはいえ。このアンニュイな気持ちが原因で、飲み会から逃走したわけではない。

 現在進行形で、派手に指から出血しているからである。


 考え込んで気もそぞろだったせいだろう。栓抜きでオレンジジュースの瓶の王冠を開けようとしたら、手元が狂い、王冠の縁で指を切ってしまったのだ。結構ざっくりいってしまい、指先からは、だくだくと血が流れている。


 無駄な血を流している場合ではないというのに!


 そんなわけで、私は周りの人たちに心配されつつ、宴会場を後にしたのだった。幹事部屋で会費の集計をしている渉外担当の先輩に言えば、救急箱を貸してくれるはずだ。


 間抜けだ。実に間抜けだ……。




 階段を上がり、個室の扉が並ぶ廊下を歩いていると。背後から、小走りで人の近寄ってくる気配がした。

 物騒なことを考えていた直後だったので、少しどきりとしながら振り向くが、その姿を見て安堵する。


「若林くん」


 駆け寄ってきたのは、素晴らしき推しこと若林くんだった。




 尊い!!!




 若林くんは、今はパジャマ代わりの黒のジャージ姿だ。普段は見ることのない服装が、なんだかとても新鮮である。


 可愛いー!

 ラフな感じが萌えー!!

 どうあがいても尊いぃーーー!!!


「望月さん、大丈夫?」

「うん。痛いけど、これくらいへーきへーき」


 まさか心配して来てくれたの!?

 なんて天使なんだ……可愛い……とてつもない……大天使……ッ!


 若林くんは、怪我をしている私の手を、両手で取った。


 ってちょっと待って。


 君、袖が余ってるけど?

 萌え袖だけど!?

 そんなところで急激に私にアッパー食らわさないでください、っていうかそれは本来女の子がよくやる属性だでも似合うから許しちゃうオラァ! 可愛い!! 正義!!!

 しかも両手で掴んでる辺りが分かってるなァ!


 私の忙しい心情は知る由もなく、若林くんは指先の怪我を確認すると「思ったよりひどいね」と顔をしかめて呟いてから。

 微かに、こくりと喉を鳴らした。


「あのさ。もし、よければなんだけど」

「なに?」


 若林くんは萌え袖状態でぎゅっと手を握ったまま、上目遣いでおずおずと私の顔をうかがう。



「ちょうだい?」



 かッ……!

 かっわいいなぁぁぁ!!!



 そうだよねー目の前で出血してるんだもんね! 飲みたいよね!!

 いいよーいくらでも飲みな? こんな変態のうるさい血でよければいくらでもあげちゃうよ?


「いいけど、傷は塞いじゃだめだよ。皆に見られてるから、今回は絆創膏で我慢しないと」

「うん、分かってるよ。やった」


 返事を聞くや、彼は顔をほころばせた。



 かっわいいなぁ!



 とはいえ、人の目につきそうな場所は危険なので、奥まった死角へと移動することにした。

 歩きながらも浮足立っているのが分かる若林くんへ、つい私はからかい混じりに尋ねる。


「もしかして、最初からそれ目当てだった?」

「望月さんのことだって、ちゃんと心配だったよ! 遠目でも、痛そうだなって思って。今のボクの言動からして、そう思われても仕方ないけどさ」


 そうぼやいて、若林くんは口を尖らせた。



 …………?




「ちょっと待って」


 うーんと。

 えーっと?


 うん、いや、ただの勘違い、かもしれない。

 きっと、気のせい。かも、しれない、けど。


「若林くん」

「なあに?」


 こてん、と小首を傾げて彼はあどけない表情で切り返す。


 可愛い。

 クッソ可愛い。

 世界遺産確定。



 だが。


 しか。


 し。




「……その所作は心臓がまろび出て寿命に悪いです」

「そしたらボクの能力で責任を持って介抱してあげるから、安心して卒倒するといいよ」



 上目遣い萌え袖甘えボイスの天使。


 可愛い。

 可愛いのだが。




 あざとい。


 




 私の推しであるギムナジウム系大天使の若林紅太は、確かに大学生男子としては、どうかしている可愛さだ。


 だけど、これは違う。

 若林紅太の尊さは、天然物なのである。


 彼から発せられる尊みは、意図せずに為されている性癖だ。それにいちいちニヨニヨ反応する変態わたしの言動に、困惑しているのが彼なのである。

 なのに、これを逆手にとって私を翻弄するのは、流石に行き過ぎている。

 この方向性はまるで、どこかのシブヤディビジョンのリーダーに近いものがあるし、どちらかというとそれなら奥村くんの方がまだ近いというか、っていやそういう話をしているのではない置いておけ私。


 そう。つまり、こういう計算が入った仕草だったら、まだ奥村くんがやってる方がしっくりくる。

 まあ奥村くんは奥村くんでちょっと方向性は違うけどね。彼が計算尽くで媚びる場合は、下から見上げるより上から見下す方が似合うからね。例えとしてね。



 それに若林くんは、さっきの文脈なら、一人称に『僕』じゃなくて『俺』を使うはずだ。もし仮に『僕』が出てしまったとしても、直後に『俺』に訂正が入るはずだった。


 もっとも、彼は二次元のキャラクターではなく生身の人間である。そうそう毎度テンプレ通りの言動をするってわけじゃあない。

 私には本性がバレてるからと、別に一人称を訂正しなくなったという可能性だってあるだろう。



 だけど、生身の人間だからこそ。

 この違和感のある言動が、二つも同時に来るのは、ちょっと不自然だ。



 なにか、後ろめたいこととか、隠したいことがあるとか。

 あるいは。




 そこまで思考が思い至ると。

 心底、戦慄して、ぞわりと鳥肌が立つ。




 目の前の人物を、恐る恐る見上げた。

 私のすぐ側にいる人物は、、この一ヶ月で何度も話をして何度か血を提供した、若林紅太の姿をしている。


 常識という物差しで測れば、そんなこと、あるはずがない。

 けれど私は。

 この一ヶ月で、これまでの常識では測れない存在を、知っていた。


 まさか、と思いたい気持ちとは裏腹に。

 直感で、それが正解なのだという、確信を持ってしまっていた。






「誰?」






 ほとんど無意識に口から漏れ出てしまった言葉に。

 目の前の人物は、ふっと無表情になる。



「へぇ。気が付いたんだぁ」



 途端。

 声が、変わった。


 若林くんのそれとは違う。

 少し低く、冷たさと怪しさをはらむ声音。



 それで、私の直感が間違っていなかったのだと決定的に思い知らされ。

 ますます体温がすっと下がっていくような心地がした。



 この人は。



 私の知る、若林紅太では、ない。




「だけど。今更、もう遅いけどね。不用心だって、言われない?」



 そう。

 私たちは、血を飲むために。

 ひと気のないところまで、移動しきったところなのだった。


 先ほど口走った単語が意味する事実に、思考の方がようやく追いつく。

 この人物が若林くんの姿を模した別人だという事態に、最大級の警鐘が脳内で鳴り響いたが、時は既に遅く、私は壁際まで追い詰められていた。

 逃げだそうとしても、正面からそいつに阻まれる。狭い廊下に、横から逃げ出す隙はない。


 あっれー、これ少し前にサークル部屋で似たような展開になったな!?

 でも奥村くんのそれよりガチで危険度が高すぎない!?!?!?


「だ……誰……?」

「さぁて。ボクは誰でしょう? 正解は、」


 途端、腰をぐいと掴まれて引き寄せられ、顎の下には冷たいものが突きつけられる。

 視線だけそちらへ向ければ、黒い無骨な鉄の塊が見えた。


 私の記憶が正しければ、この形は。

 そう、銃である。



 待って。

 現実?



「全部、喰わせてくれたら、教えてあげるよぉ」

「喰?」

「情報と、君自身をね」



 事もなげにそう告げて、彼はちろりと唇の端から舌を覗かせた。

 そこから見えたのは、鋭い犬歯。




 待て待て待て待て待て待てぃ!!!!!




 PG12じゃなくて、いろんな意味でのR18がやって来てしまったんですけどぉーーー!?!?!?

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