3章:黒崎朔は胡乱な襲撃者である
第12話 水も滴るなんとやら
五月も終わりにさしかかった土日。
私の所属する国際法研究会では、毎年恒例の新歓合宿が開催されていた。
うちのサークルは年に数回、合宿がある。他の合宿は、学習会や討論など中身の詰まったものらしいけど、この新歓合宿は親睦を深めることが主目的だ。
だから、ただただ飲んで遊ぶことが我々のミッションである。
というわけで、私たちは概論書を家に投げ捨て、湘南の民宿に来ていた。シーズンがシーズンなので、テレビで見るような活気はなく静かなものだ。その辺を散歩したり、ほとんど貸切状態の海辺でだらだら遊んだりして、我々はまったりと過ごしていた。
そう。
実にまったりと、
「うわーーーーー!!!」
うららかな平穏を切り裂くように、男子大学生の悲鳴と、どばーん、という派手な水音が響く。
白く泡立った海面には、サークル員が服を着たまま浮かんでいた。私と同じ一年生の同期男子である。
「バッカじゃないの?」
一緒に歩いていた女の先輩が、冷ややかに呟いた。
岩場では、悪ノリした男の先輩達に、一年生男子が海へと放り込まれていた。
五月下旬とはいえ、当然ながら海開きにはまだ早く、パーカーを羽織っていても強く吹く海風が肌寒い。
海中にいる分にはまだマシだろうが、陸に上がったときが悲惨だろうなと、私は心の中で合掌する。
とはいえ多分、本当に無理矢理、後輩を放り込んでいるようなら、私と一緒にいる女の先輩達も止めているんだろう。
でもあれは。ニュアンスとしては、『押すなよ押すなよ、絶対押すなよ(つまり押せよ!)』のアレである。
現に、本気で嫌がっている一年男子は手を出されていない。なんなら今は、さっき一年を放り込んでいた先輩達が自ら飛び込んでいる。
すげえな……これが大学生のテンションか……!
というわけで、呆れ顔の女性陣と一緒にいる私も、その様子を静観していた。
つい探してしまうのは、やはり若林くんと奥村くんである。
意識して見回すと、すぐに発見できた。二人とも、岩場の上から飛び込んだ人の様子を見ている。服は乾いたままだ。
やっぱりね。
別に海がらみの逸話はないし、吸血鬼の末裔だからって、海に飛び込んだら駄目なわけじゃないだろうけど。単純にこういうことするタイプにはみえないもんなー。
一方その頃、同じ一年生の安室・村上・長谷川という、いじられキャラとか体育会系とかの連中は、既に二回は放り込まれているので、なんというかキャラによるところが大きいよね。
しかし。寒いのは嫌だけど、少しだけ彼らのことを羨ましくも思ってしまう。
方向性は違うけれども、テンションとしては、女子校育ちの私だって似たようなものなのだ。
入学してから二ヶ月ほど御無沙汰している、気の置けない同性との馬鹿騒ぎが懐かしくなり、ほんのりと寂しくなる。
なまじ一年生女子は私一人なので、女の先輩達には気を遣って貰っているが、それにも少し心苦しさがあるのだ。
「そろそろ戻ろっか」
「あ、はい!」
感傷に浸っていたところを、先輩に声をかけられて我に返る。
騒がしい岩場を尻目に、私は女の先輩達と一足先に宿へと戻った。
******
「うわ、大丈夫!?」
「大丈夫じゃないです……」
先輩達と広間でくつろいでいると。海から引き上げてきた一年男子が宿に戻ってきた。その惨状に、一緒にいた秋本先輩が思わず声を上げて立ち上がる。
私が予想したとおり、陸に上がってからは海風にさらされて、だいぶ冷え込んでしまったらしい。全身震え、唇は青紫になり、可哀想なくらいに血の気が引いていた。
しかし。
予想していたはずのその光景に、私は度肝を抜かれていた。
何故なら。
全身濡れそぼって立っていたのは、なんと、若林くんと奥村くんだったからだ。
嘘でしょ!?
この二人が海に飛び込まれたとな!?
さっきまで無事だったよね!?
いや!
いやそこはもう今や問題じゃない!!!
ちょっと!
早く暖を!!
暖を取って!!!
ギムナジウムの少年達の薔薇色の頬が!
青白くなってるじゃないかーーー!!!
なんということだおいたわしい麗しき推しの肌から血色が失われさながらそれこそ古式ゆかしい吸血鬼が如くに、でもそれはそれとして超絶絵になる、あと水の滴るなんとやらで肌に衣服が張り付いて体の線がくっきり分かるようになってるのと顔に張り付いた髪の毛がクッソエロ違うそういうことじゃないだけどこれは目に毒PG12ーーー!!!
私が脳内で一人勝手に視聴制限していると、一緒にいた先輩方は、宿の人にお風呂の準備をお願いしに行ったり、タオルを取りに行ったりと、手際よく動き各所に散っていった。
残されたのは、間抜けな私と、悲惨なお二人である。
すぐに先輩達が戻ってきてくれるだろうけど、大変に所在なくて、私は鑑賞の際に保護者同伴が推奨される彼らへ声を掛ける。
「えっと。二人とも、海に飛び込んだの?」
「ちょっとね」
若林くんは肘を抱きながら曖昧に笑った。
これは。
これは、よろしくない。
ただでさえ薄い身体なのに、水に濡れ服がぴったり密着している所為で、それが殊の外に際立ってしまっている。
その上、淡色のTシャツは当然のように透けているのである。
下手に脱がれるより余程もまずい。
とどめに、未だ雫を垂らす髪である。
ヤッベ刺激物だわこれ。
保護者先輩達、早く帰ってきて……。
しかし私の煩悩は、先輩達の帰還を待たずして遮られる。
「好きで飛び込んだように見えるか?」
「見えません!!!!!」
エロい奥村くんの、間違えた、怖い奥村くんの不意打ちの眼光をくらい、ヒッと息をのんだ。
そうだった。先輩達がいないということは、奥村くんも猫は被っていないのでした!
ただし若林くん同様に、奥村くんもまた、水の滴る美人に成り果てている。凄まれても、半分以上ご褒美にしか感じない。
若林くんを『耽美』と表現するのなら、奥村くんは『妖艶』だ。
そして若林くんの方が色素が薄いので、奥村くんの方が、いと
いと射干玉ってなんだ。
そんな、しょうもない思考を巡らせていると。
「お前」
奥村くんはすっと私の前に詰め寄り。
私の喉元に、人差し指を突き立てた。
「誰に何を漏らした?」
「へっ!?」
ほとんど反射でホールドアップしながら、言われた意図が分からずに素っ頓狂な声を上げた。
慌てて若林くんが、奥村くんの腕を掴む。
「おい緋人、望月さんは関係ないだろ」
「関係ない、か。へぇ。このタイミングでか?」
短いながらに深刻さの滲む二人のやり取りに、私の煩悩塗れの思考は一気に吹き飛んだ。
「何かあったの?」
私の質問に、二人は顔を見合わせ。
ややあって、奥村くんは息を吐き出す。
「撃たれたんだよ」
「……は?」
「岩場にいる時。紅太を狙われた。それを周りに悟られないよう避けるのに、海に落ちたんだ」
言われても、その現実離れした内容を飲み込めずにいると。
駄目押しのように、低い声で奥村くんが告げる。
「紅太に。吸血鬼の末裔に、危害を加えようとした奴が、すぐ近くにいるってことだよ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます