第67話 お伽噺のお約束
何が起きたのか、しばらくは分からなかった。
頭をしたたかにテーブルへぶつけたはずだけど、何故か痛みはない。
貧血とはまた違うようだった。くらっとしたのはその時だけで、今は平衡感覚が元に戻っていた。こうしてはっきりと考え事だってできている。
体は動かないし、瞼も固く閉じられたままだ。
だけど、意識はあった。
そのおかげで、聴覚はしっかり生きていたようで、こちらの方へ近付いてくる足音に気付いた。
どうやら桃子さんが人を呼んできてくれたらしい。
私の状態に気付いたのか、はっとするような息づかいと。
続けて、どこか緊張したような固い声がした。
緋人くんの声である。
「アリス。お前がやったのか」
「違う!」
音声として聞こえてきたのは緋人くんの声だけだったけど、ここに来たのは彼だけではないようだった。口こそ開かなかったけど、他にも人の気配がある。
誰だろう。緋人くんと一緒に来たって事は、若林くん、だろうか。多分、そうだ。
「私は。話を、してただけなの。だけど、そしたら急に倒れて」
「そこのお菓子に毒でも盛ったの?」
「違う!」
違う。
そのとおりなんです、違うんです、緋人くん。
自分で焼いたアップルパイなら、まだともかくですよ。
私が今食べたのは、お土産用にその辺で売られている個包装のものだ。毒を盛るような隙なんてない。
そもそもコレは、直前までぴっちり包装されていたのだ。紙の包装だけだったらまだしも、その内側にあるビニール袋は、開封済みだったら誤魔化せないだろう。
注射器とかで事前に注入しておく方法はあるだろうけど、わざわざそれを手に入れてまでやるだろうか。そんな面倒なことをするんだったら、私だったら飲み物の方に毒を入れる。
それに、食べた瞬間に落ちるのは、おかしい。
たとえばコレが毒なんだとしたら、効果が出てくるのは普通、体内に入ってしばらくしてからじゃないのか。
おそらく。原因は、アップルパイそのものじゃあないんだろう。
と、すると。
私が知っている限りの知識で推測するなら。
おそらく、亜種と呼ばれる人が持っている特殊な能力、によるものなんじゃないかと思う。
紅太くんに傷の治癒能力があるように。
緋人くんに感覚を麻痺させる能力があるように。
蒼兄に人に暗示をかける能力があるように。
藍ちゃんに人を眠らせる能力があるように。
桃子さんも吸血鬼の末裔だ。そういう能力を持っている可能性はある。
たとえば今の私が陥ってるような、人の体の動きを奪うような能力があったって、おかしくない。
だけどそれじゃあ、あまりにもバレバレだ。きっと緋人くんたちは、桃子さんの能力については知っているだろう。自分が犯人だと言っているようなものだ。そんなお粗末な真似はしない。小学生だってもっと上手くやるだろう。
それに。今の私は、外から見たら単に意識を失って倒れているように見えるだろう。
今の私に意識があることは、他の人は知らない。それを知らせるすべがないからだ。なにしろ、指先どころか瞼だって動かせないでいる。
桃子さんの能力が、今の私が陥っている症状に酷似していた場合、彼女が疑われる可能性はぐっと高くなるだろう。
それでなくても、私が喋れず証言できない今、桃子さんが毒を盛ったという可能性は第三者から見て捨てきれないはずだ。どちらにせよ、桃子さんへの疑いが濃厚になる。
昨夜、桃子さんが怪しいという話になった時は、『なんとなく違う気がする』ってぼんやりとした直感だけだったけれど。
今は、そうじゃないってのが、確信に近くなっている。
これ、多分。
桃子さんが犯人になるように、仕向けられている。
思索する限り、桃子さんが私に何かをした、という可能性は限りなく低いように思えた。
それに犯人だったら、この状況で人を呼んだりしない。桃子さんが関与したという目撃者はいないのだ、そのまま私を放っておくはずだった。
犯人はきっと、逐一私の行動を監視しておいて、桃子さんが怪しまれそうなタイミングを狙ってきたんだ。
だから、つまり現状は。
敵の狙い通りってことで、大変によろしくない。
緋人くんと桃子さんの口論が聞こえてくる。
けれどそれは口論と言うには一方的なものだった。
うろたえる桃子さんの歯切れはよくなく、ただ責められているような状況。
くううう私さえ!
私さえ動ければ!!!
今、考えた内容を説明すれば、緋人くんだって納得するはず!!!
それに。さっき気付いた、一連の襲撃に絡む『白雪姫』というキーワード。これだって、伝えないと。
多分、偶然じゃない。一回目のはともかく、わざわざ櫛を落としたり、私がアップルパイを食べた瞬間を狙ったりってのは、流石に意図があるとしか思えない。
私からしたら意味不明だけど、緋人くんに伝えれば、彼なら心当たりがあるかもしれないし。
体を動かせないか試すが、力を入れようにもそもそも感覚がない。緋人くんの吸血時のアレが、全身麻酔になったみたいだ。手術かよ。いや全身麻酔だったら意識も飛ぶハズだからまた違うか。
あれ、というか。
私も、このままだと、どうなるんだろう?
健康優良児で生きてきたから、手術なんて受けたことないし、全身麻酔がどういう風に推移するのか知らないけど。麻酔なら、いずれ体が動かせるようになる。
だけどそうすると、私が動けるようになったら全部、バレてしまう。
桃子さんを犯人にしようとしている、というのが犯人の目的だとしたら、それはいただけないはずだ。
もしかして。
今はかろうじて意識があるけど、だんだんそれも薄れていって、このまま目が覚めなかったりするんだろうか。
麻酔みたいになってるのはまだ初期症状だからで、実態は普通に致死性の毒だったり……。
エッそれはやだ……。
普通にいやだ……。
段々と毒に蝕まれて、手足に痺れと痛み……めまいと吐き気……激痛がきて体が縮みだし失神……そして目覚めた時には蜘蛛になってしまったり……。
……はしないと思うけど。
冗談はさておき、今更になって、ぞくりとする。
今はただ動けないだけだから余裕かましてるけど、このまま無事で済むという保証はどこにもないのだ。
いや、この状況でも、私が桃子さんは犯人じゃないということに気付かない、ポンコツだと思われている可能性もありますけれども。
その場合は、無事に目覚められるかもしれないですけれども。
それはそれで、なんかむかつくな……。
いずれにせよ。状況を打破するに越したことはない。
だけどな。どうすればいいんだこれ。
聴覚だけじゃ、伝えようがないぞ。
どうしたものかと、そこまで性能のよくない脳をフル回転させて考えていると。
唐突に、さっきまで聞こえていた周りの音が、遠くなった。
エッ何!?
何が起きたの!?
慌てる心を無理矢理静めて、耳を澄ませてみるが。状況は変わらなかった。
完全に音が消えたわけではないが、音はくぐもって聞こえる。もはや何を話しているか、何が起きているのかも分からなくなっていた。
待って聴覚までなくなりつつあるの!?
嘘、さっきの嫌な予感が当たったわけ!?
進行していってるのかコレ!?
混乱しながら、心の中だけで絶叫するが、なすすべはなかった。
なにしろ、意識があるだけで、どうにもできない。
自発的にできることなんて、何一つないのだ。
泣けるものなら泣きたい状況下で、脳内だけでわめいていると。
不意に、目の前が明るくなった。
突然の出来事に、またもや混乱する。
そして、どうやら。
明るくなったのは仰向けになったからだ、ということに気付いたのは。
「目が覚めた?」
至近距離でのぞき込まれた紅太くんの顔と、その向こうに見える天井とを確認してからだった。
「な」
えっ。
ちょっ。
まっ。
「な!?」
遅れて気付いたのは。
どうやら痺れがとれて、私の体は無事、元に戻ったらしいということ。
それから。
麻痺していたながらに、最後の方には戻っていた、唇に残る感触。
…………。
はい?????
「……なにがどうなりました?」
「なにって」
どこか悪戯めいた表情で、彼はにんまりと笑う。
「白雪姫を起こすのは。目覚めのキスってのがセオリーでしょ?」
どうして。
どうしてこう、平然としていられるんだろうか、この人は……。
いや、分かる!
分かりますよ!!
ちょっと冷静になれば分かるよ!!!
さっきだって考えたじゃないか、『若林くんの能力は治癒』!!!!!
彼の唾液には!
治癒能力が!!
あります!!!
これまでも散々お世話になってきました!!!!!
そうだ。彼の能力が及ぶのは、別に外傷のみってわけじゃない。
今まで外傷しか治してもらったことはないけど、緋人くんから説明を受けたじゃないか。骨折だって治せるし、外傷以外にも効果はあるって。そんな強力な能力なら、毒だって解毒できてもおかしくないだろうし。
そそそそんで外傷じゃないなら患部は存在しないし、仕方ないから目には目を歯には歯を経口摂取なら経口摂取だし、いや本当は経口摂取じゃなさそうだけどさておき、だから今こうやって治してくれたんですよ、お分かりいただけましたか自分アンダスターン?????
意識するな。
意識しすぎるな自分!!!!!
慌てて頬をバンと叩き、高鳴る鼓動を無理矢理に沈め、紅太くんから目をそらす。
すると。そらした先に桃子さんの姿があり、別に意味で心臓が跳ね上がった。
今の見られてなかったァーーー!?!?!?
せっかく仲良くなれそうな流れだったのにド修羅場突入とかマジでごめんなんだけど!!!!!
いやいやそのあの今のは治療行為であって不可避の不可視であって!
きっと桃子さんもその辺は理解してくれるはず!!!
そうであってくれお願いプリーズ!!!!!
……と。
半分、反射的に身構えてしまったけれど。
幸いなことに。その瞬間については、桃子さんに見られていないようだった。
それどころか。
桃子さんは呆気にとられたように、くいいるように、窓の外をじっと見つめていた。
彼女の様子に、私もようやく我に返る。視線につられて、開け放った窓の向こうへ視線をやれば。
そこには私が予想していなかった人物が、あと三人いた。
推しこと加州清光を抜き放った、村上くん。
同じく、抜き身の刀を手にした、蒲沢くん。
そして。
彼ら二人に取り押さえられた、全身を黒の衣装で固めたもう一人の人物。
いつの間にか、窓のそばに移動していた緋人くんは。
その人物の目の前に立つと、大変にどす黒い笑みを浮かべた。
「ようやく姿を見せたね、子ネズミさん?」
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