第66話 大天使を巡った殺し合いの関係性(文学)
合宿三日目のスケジュールは、少しゆとりがある。
いつもなら、午前、午後、夕方と三回実施される学習会が、二回目の午後の学習会で終了となるからだ。
この最後の学習会に、蒼兄はギリギリ間に合って参加していた。到着してすぐ学習会だったから話す暇はなかったけど、遠目で見るに疲労がにじんでいるようだ。
そりゃそうだよね……新潟から夜行で帰宅して現在だもんね……。
午後の学習会の後は、自由時間を挟んだ後に、打ち上げも兼ねたバーベキューが行われる。今はバーベキューを控えた自由時間、のんびりした午後だった。
自由時間には、同室の先輩たちから辺りの散策を提案されたんだけど、体調を理由に断った。本当は体調は万全だったし、行きたいのはやまやまだった。だけど緋人くんからいつ連絡があるか分からないので、すぐに動けるよう待機しておきたかったのだ。
とはいえ。連絡を入れれば、行っても大丈夫かどうか確認できただろうけど。
それをしなかったのは、ひとえに罪悪感である。
そんな私は食堂のテーブルで、スマホを握りしめながら突っ伏していた。ここは普段、食事や学習会が行われている場所だ。宴会場となっている和室は、昼間は片付けられているのもあり、空き時間に人が集うのはこの場所が多い。
なるべく一人にならないようにと、誰かいることを見越してここに来たけど、予想が外れて、あいにくと今は私一人だった。
この自由時間に結構な人が外に出かけて行ってしまい、残った人も夜に備えて部屋にこもって寝ているようだ。合宿最後の夜である、今夜はおそらくオールする人が多いのだろう。
それでも開けている分、部屋にこもっているよりはマシなはずだ。同室の人たちが出かけてしまった今、部屋だとそれこそ孤独である。
だけどこの場所なら万一、不審者がやってきたとしても、気付きやすいし逃げやすい。悲鳴の一つもあげれば、サークル員か、宿の人が気付いてくれるだろう。いざという時に備えて、陣取っているのも食堂ど真ん中のテーブルである。
現状で最大限の警戒態勢をとった私は、手持ち無沙汰に、風にそよそよと揺れるレースのカーテンを眺めてぼんやりしていた。南側の一面を占める大きなガラスの窓は、開け放てばそのまま庭に繋がる。今夜はこの窓が開放されて、バーベキューが行われるらしい。
いかにもパリピ、いかにもリア充なイベントは、普段の私であれば大いに忌避するところであるのだけれど、メンバーが気心の知れた人たちであればその限りではない。出発時には
いつ襲撃されるか分からないという懸念さえなければね!
「ここ。いいかな?」
「あっハイ大丈夫で」
思索にふけっているところを、突然横から話しかけられ、反射的に答えてから、硬直する。
そこに立っていたのは、桃子さんだった。私の返事を受けて、彼女はすっと、私の隣の椅子を引いて座った。
ふんわりとした膝丈のスカートに、白いブラウスとカーディガン。相変わらず児童文学の中から抜け出してでもきたような出で立ちである超絶可愛い。せっかくの高原なんだからリス来なさいよ肩に乗りなさいよ。
だけどなんで桃子さんがここに!?
ていうかまず、人が入ってきたことに気付かなかった!
私がポンコツなのか桃子さんに忍者の素質があるのかはともかく、ダメじゃん!!
何が最大限の警戒態勢だ!!!
ダメじゃん!!!!!
「ごめんなさい」
「なにが!?」
脳内で盛大に自分ツッコミを入れているところで切り出され、つられて勢いよく答えてしまう。だが彼女はそれに動じることなく、静かに続ける。
「この前、『敵』だなんて変なことを言ってしまって。訳が分からなかったでしょう?」
「ええと、それは」
確かに訳は分からないままに、ただただ恐怖でしたけれども。
お風呂を取りやめて走り出す程度には、恐怖でしたけれども。
だけど今、目の前にいるのは、見た目通りに可愛らしい女の子だ。
初めて会った日や、数日前に恐怖した時みたいな迫力は、ない。
細い肩を落として、テーブルの上で小さな手を組み合わせた姿は、どちらかといえば『しおらしい』という単語がよく似合う。
……今朝の出来事の、せいだろうか。
そういえば。
今更になってはっとして、私は顔を上げる。
当人から指摘されて、初めて気付いた。
桃子さんと話した後は、襲撃とか大正浪漫とか推しとかSAIとか環のパンツとか和解とか肝試しとかいろいろなことが起きて、考えることが多く、それどころじゃなくなってしまっていた。だから今まで、彼女の言葉の意味を、深く考えられずにいたけど。
なんで私は、桃子さんにとって『敵』だったんだろう?
初対面の時は、緋人くんには殺気をバリバリ振りまいていたけど、私に対してそういう素振りはなかった。自己紹介すらなく、どこの誰だか分からない状況だったから、当然といえば当然かもしれないけど。
だから、その日から合宿までの間か、合宿の最中に、何か桃子さんを怒らせるようなことがあったのだろう。
でも、そんな要素あった?
そもそも私は、初対面の時とお風呂の時と、その二回しか桃子さんとまともに喋ったことがないのだ。
あ、でもあれか。
前期の間に起こったあれやこれが、合宿までの間に彼女の耳に入ってしまった可能性は大いにありうるな。
それは……確かにな……。
紛うことなき敵で違いないよな……。
いやでもそしたら、桃子さんが謝る要素なくない?
むしろ私の方が、前転倒立ばりに謝罪ものじゃない???
はあ、と物憂げなため息を吐き出し、桃子さんは頬杖をついた。
「もう見せちゃったから、望月さんには取り繕わないけど。
私。素がね、荒いの」
でしょうね。
とは、言えない。
そこまで言える仲では、まだない……!
「だから普段は、それを押さえつけるために、あえて敬語調の言葉遣いにして、猫を被ってるの。むしろ虎を被るくらいの勢いで」
「逆に怖くないですか」
虎を被ったら、むしろ本性と近いのでは?
「それに。敬語だったら、目上の人とか、初対面の人とかにも、幅広く通用するでしょう。今は一年だから、そういう立場になることが多いし、使い分けとか考える必要なくて楽なの。
だけど、同世代の人とかからすると、それが媚びてる風に映っちゃうらしくて」
ああ。それは、分かるかもしれない。
なんか面倒だよね、敬語かタメ語かの距離感を図るのって。とりあえずみんなに丁寧にしとけば間違いないもん。
だけど、私は本性がコレだし、喋り方は雑なので、たとえ万人に敬語だろうと人見知りとかコミュ障とか思われるくらいなんだろうけど。
彼女の場合、なまじ見た目も可憐だし、喋り方も可愛らしいから、それで反感を受けることもあるのだろう。
……いや、だったらそれ、朝のあの言い草はひどくないか。
いくら緋人様といえども、ひどくないか?
私よりは長い付き合いがあるんだろうから、彼の勘の良さなら、それくらい気付いたって良さそうなものなのに。
「それは、仕方ないの」
そのことについて私が不満を漏らすと、諦め口調で桃子さんは頭を振った。
「だって。基本は、あの人の言うとおりだから」
「あの人」
「……奥村緋人」
ぽつりと、零すように彼女はその名を告げた。
「無理矢理に居場所を割り出して、ここまで追いかけてきたのは事実だからね。向こうからしてみたら、ただのストーカーもいいところでしょう。
おまけに会う度に殺しにかかっては、嫌われもするよね」
会う度なのか。
そんな気はしていたけれど、マジで会う度なのか。
どんな戦闘民族なんだ君ら。
「あの。私が聞いていい話か分からないんですけれども。顔を合わせる度にとか、いつから何故そんなことに」
「最初からずっとそうだよ」
初っぱなから展開すげぇな!?
だからどうしてそんな戦闘民族なの!?!?!?
「初対面の時から、あの人は殺気バリバリだったからね」
「何故」
「望月さんなら分かるでしょう。あの人、若林くんへの過保護と溺愛が過ぎるもの。彼に近付く人は、基本的にあの人の敵なのよ。特に女はね」
「アッ納得」
そういえば私もエスカレーターから突き落とされたんでした。
心当たりはあり過ぎた。
つぶらな黒い瞳を向け、桃子さんはぐっと拳を握る。
「そして相手がその気なら、こっちも応戦して殺る気になるでしょ?」
「ごめんその気持ちは分かりかねます」
確かに虎だ。虎だなこの子。
虎の皮を被った美少女だな。
「最初がそれだったから。もう、そういう風にしか、ならなくなっちゃったんだよね」
どこか寂しそうに桃子さんは口を尖らせた。
なんだろう。
桃子さんにエキセントリックな部分がおありなのは間違いないけれども、元はといえば原因は、あのスーパー攻め様にあるのではなかろうか。
まあそれだって、相手が桃子さんじゃなければ現状のカオスにはなってないから、二人の性格が変な風に噛み合ってしまったということなのだろう。
好戦的な漆黒の貴公子と、好戦的な文学少女が出会ってしまったことによる、大天使を巡った殺し合いの関係性か……。
文学だな……。
……文学か?
『好戦的な文学少女』という新しい概念と、二人の関係の文学性について思いを巡らせていると。
ふと桃子さんは、手にしていたビニール袋から、紅茶のペットボトルと、包装紙で包まれた四角い箱を取り出した。パッケージを見るに、お土産用に売られているアップルパイのお菓子のようだった。
「いきなり変な話しちゃってごめんなさい。
ところでさっき、先輩たちとお土産屋さんに行って買ってきたんだけど。よかったら一緒に食べない?」
「いただきます」
紅茶にアップルパイに可愛い女の子とかそれなんて最高の組み合わせよ。
是非もなく私は賛同し、両手を合わせた。
桃子さんが包み紙を丁寧に破り、箱の中で更に覆われたビニール袋を破ってから、個包装されたアップルパイを手渡してくれる。それを嬉々として口に運ぼうとしたところで。
不意に、手が止まった。
なんだろう。
何か、引っかかる。
何か。
何か、忘れてないか?
いや、忘れてるというか。
あとちょっとで、何かに気付けそうな、気がする。
「どうしたの?」
「あ、ううん、なんでもない」
妙な引っかかりを感じながらも。一口、口に含む。
途端。
ぐらり、と視界が歪んだ。
自重を支えきれずに椅子の背もたれにぶつかり、反動で跳ね返ってテーブルに倒れ込む。
どこか遠くの方でその衝撃を感じながら、唐突に、気が付いた。
一回目の襲撃は、『紐』。
二回目の襲撃は、『櫛』。
そして、『林檎』。
それらのモチーフが示すのは。
白雪姫、だ。
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