第68話 教育(ルビ:ちょうきょう)
「な?」
暗闇の中で聞こえていた会話と、目の前の光景とが上手いこと結びつかず。私の脳は、無事に処理落ちした。
いや落ちるだろコレ。
「……なにが起きました?」
理解に困って、先ほど目をそらしたはずの若林くんへ再び向き直り、助けを求める。場の空気を読んで小声で尋ねたけれども、傍目に緊迫した状況において、さぞ間抜けに響いたに違いない。
「望月さん。多分、意識はあったよね。俺たちの会話、聞こえてたでしょ」
「ばっちり聞こえてました」
聞こえてましたとも!
だからこそ、余計に現状がわけわかめなんですけれども!!!
エッ何、それともこんなに展開が変動するほど、実は長い間キスし続け、
アーーーーー待っていろんな意味で脳が混乱する沸騰するゥ!!!!!
「簡単に説明するとね」
紅太くんもまた小声で、というか完全にウィスパーボイスで、私の座る椅子の背もたれに手をかけながら耳打ちする。
あの。さっきの今なので、そういうことされるのは大変にこそばゆいんですけれども。まあ、それ以上に大変に事情を知りたいので、今は謹んで我慢します。
「今までの会話。全部、演技だったってことだよ」
「演技?」
「そ。俺たちが上手く手のひらの上で踊っているように見せかけて、犯人をおびき寄せるためにね」
演技って。
つまり。さっき緋人くんと桃子さんがしていた会話が、全部、演技だったと。
え? もしかしてそれだけじゃなく?
なにが??
どこまで???
「その。演技って、いつから?」
「最初っから。昨日の夜もそうだよ。ハナから緋人は、桃ちゃんのことは疑ってない」
なんですと!?
え、じゃあ、あれか。
昨日の夜。すなわち緋人くんが桃子さんに疑いをふっかけた、あの時の言動は、もう既に敵をだますための演技だったというわけで。
マジかよすげえなあの人。とんだ策士だな。
っていうか、あの段階でそこまで読んでたんですか。
でも確かに。慎重な緋人くんが、どこで誰が聞いてるか分からない戸外で、込み入った話をするのを許すとは思えない。
むしろ犯人に聞かせるためだったからこそ、買い出しの道中で話をしたのか。
エスパーかよ……いや名探偵かよ……。
「じゃあ。味方もひっくるめて、全員が緋人くんに騙されてたんだね。敵を騙すにはまず味方からって奴で」
感嘆混じりにそう言うと。しかし若林くんは、少し言葉を濁らせた。
「ううん。ちょっと違うけど、まあ大体はそんなところかな」
「違う?」
「俺は知ってたからね」
パードゥン?????
あれ、アナタ、桃子さん犯人説を真っ先に否定してませんでしたっけ?
それとも、あれもまた演技の一貫だったの?
それにしちゃ翌日、緋人さんが演技らしからぬ本性でのイライラぶりでしたけれども?
どこまで計算でどこまで自然???
またもや疑問符が脳を飛び交って、その辺りを尋ねようとしたけれど、この話題は軽く流されてしまう。
「ともあれ。それで相手を油断させておいて、あえて望月さんに隙を作ったんだ。その上で桃ちゃんと二人にすれば、絶対仕掛けてくるだろうと思って」
「だけど。桃子さんが私のところに来るかどうかってのは分からないでしょ。桃子さんも事前に知ってたの?」
「その辺も緋人が桃ちゃんを上手いこと誘導したからね。桃ちゃんも今まで事情は知らなかったよ」
「……誘導できるの?」
緋人くんが、巧みな話術で人を誘導したという話には納得できるけれども。
桃子さんが、緋人くんの話を聞いてそれに乗るという話には納得しかねます……。
しかし若林くんは、なんてことないように告げる。
「性格を熟知しているからこそ、だよ。それに、そこが失敗したとしても、第二第三の対案は考えてたから、どのみち似たような状況にはなってた」
なんだろう。すごいけどホント怖いな。
緋人くんを敵に回したら生き残れる気が一ミリもしないな?
「で。直前で村上と蒲沢にも作戦を話して、近くに現れるだろうあいつを捕まえてくれるよう頼んだってわけ。
そしてさっき、こっちはいかにも桃ちゃんを疑うような会話をして引きつけておいて、油断した犯人を二人に取り押さえてもらったんだ。
驚くといけないと思って、立ち回りの間は望月さんの耳塞いでたから、その辺は聞こえてなかっただろうけど」
だからか!
だから音が聞こえなくなったのか!!
聴覚までダメになったかと思ってちょっと焦ったぞ!!!
「それで、無事に事が済んだから、望月さんを解毒して現在に至ると。そんなとこかな」
「流れは把握しました」
思わず肩が跳ねそうになったけど、無理矢理に押さえ込む。
解毒だ。
解毒なのだ。
「それで?」
緋人くんの声に、庭へ視線が引き戻された。
いつの間にか件の犯人は、顔を覆っていたフードとマスクを取っ払われている。そこから出てきたのは、色白の肌に背中まで長い黒髪。紛うことなき女の子である。
……余裕ができたからこその発言だけど、こういう襲撃犯が女の子なのって燃えない?
緋人くんは彼女を見下ろし、至って穏やかな口調で問う。
「追い込まれた子ネズミは、そろそろ名乗る気になったかな?」
「…………」
観念したのか、くぐもった声で彼女が何事か呟いた。が、距離があるせいか、私のところまで、それは聞こえない。
彼女の返答に、緋人くんは眉をひそめる。やはり距離があったし、独り言だったからほとんどここまで聞こえなかったけれど。聞き間違いでないのなら、緋人くんは「やっぱり」と呟いた気がした。
その、一瞬の隙。
彼女は村上くんたちに掴まれた腕を振り払い、懐に手を伸ばす。そして、素早く腕を振るったかと思うと。
こちらに一直線で、何かが飛んでくる。
「危ない!」
若林くんが引っ張ってくれたので、直撃は避けられたけれども。腕を引くのが遅れてしまい、ちょっとかすってしまった。
私の左腕にかすったせいで勢いのそがれたナイフは、からんと音を立てて床に転がる。
……って。
ナイフ?
ナイフ!?
ナイフ!?!?!?
怖ッ!!!!!
「平気!?」
「だ、大丈夫。ちょっとかすっただけだから」
「大丈夫じゃないでしょ。今、止血するからちょっと待っ」
「貴様」
突然の出来事にわたわたしていると。にわかに私たちの背後から、低い怒気のこもった声が響いた。
思わず、私も若林くんも動きを止める。
振り返ろうとする前に、私たちの横を風が通り抜けた。
……かと思えば。
いつの間にか一足飛びに、庭にいる彼女のところまで、声の主は辿り着いていた。
蒼兄である。
彼女はきっと、場を混乱させて逃げようと思っていたのだろう。しかし自分が動くより先に、蒼兄に胸ぐらを掴まれていた。
「俺のしぃに何をした?」
「ヒィッ」
今にも噛み付きそうな鋭い眼光で睨まれ、彼女は血相を変える。
「聞いてない。人狼まで出てくるなんて、聞いてない」
「俺は貴様のような無頼漢がしぃに近寄っただなんて情報を聞いてない」
無頼漢って相手が女の子の場合でも使っていいんだろうか……などと私がぼんやりと暢気に考えているうち。
蒼兄は、ぱき、と手を鳴らすと。
流れるような仕草で、蒼兄は彼女を投げ飛ばした。盛大な音を立てて、彼女は食堂のテーブルと椅子に突っ込む。
今の音、大丈夫だった!?
宿の人とか他の人に気付かれてない!?!?!?
「……念のため。直前に、桜間と安室たちにも事情は伝えたんだ。犯人の顔を知ってるかもしれないからって」
呆気にとられながらもしてくれた若林くんの補足に、入り口の方を振り返れば。そこには、環と藍ちゃんが立っていた。
藍ちゃんは、視線に気付くとこちらへにこやかに手を振り。
環は、大変に複雑そうな表情を浮かべていた。
「……大丈夫か、白香」
「うん、平気だよ」
小走りで近寄ってきた環は、腕の傷口にハンカチを当ててくれながら、ぽつりと言う。
「怒りどころを失ってしまった……」
止血をしながら、環はぼんやりと蒼兄を眺めた。
そうね……。
この人の所業を見てると、自分が怒る気はなくすよね……。
今の物音に、さすがに他の人に気付かれてはまずいと焦ったのか、村上くんが慌てて蒼兄の腕を掴んだ。
「暴れるな! 頼むから暴れるな安室!」
「止めるなよ村上。そして何故お前がいたのに、しぃは怪我をしている?」
「その辺に関しては申し訳ないと言うほかありませんけれども!」
「つまり職務怠慢なSAIに代わって俺がこの場で奴をひねり潰したとして特に問題はないよな?」
「人間的にも亜種的にも人道的にもサークル的にも大ありだよ!!!!!」
脳筋!
発想が脳筋のそれだよ蒼兄!!!
蒼兄は村上くんの手を振り払おうと抵抗するが、それをやんわりと止めたのは緋人くんだった。
「気持ちは分からなくもないが。それをやると厄介なことになるから止めた方が良いぞ、安室」
「どういうことだよ」
不満げに蒼兄は睨んだ。だがその視線を外して、自分の目は油断なく彼女に向けながら、緋人くんは淡々と告げる。
「そいつは『黒』だろ。下手に手を出すと余計に面倒だ。火の粉がかかるのがお前だけならまだいいが、あんたの大事な
ぴくりと眉を動かし、蒼兄は抵抗する手を止めた。
緋人くんはそのまま続ける。
「今回の件は。状況からして、俺たち吸血鬼側の問題だ。それにシロを巻き込んだことは謝る。
だけどここで安室が手を出して、奴らの意識が人狼側に向けば、それこそ連中はシロを狙い撃つはずだ。お前がターゲットなら尚更な。その自覚はあるだろ」
そう言われると、蒼兄はいよいよ黙り込んだ。
自分で言うのもなんだけれど。蒼兄の弱みが私であることは、まあ、分かる。
とはいえ蒼兄は、緋人くんの言葉に理解は示したものの、納得まではしていないようだった。
「だったらどうする。理屈は分かるが、俺たちの立場からしたって、黒を見つけておいてみすみす野放しにはできない。バレた以上、それこそ次はこっちに矛先が向く可能性がある」
「それは、
緋人くんは、伸びている彼女の元に赴くと、すっと首を掴み。
彼女の顔を、無理矢理に自分へ向けさせた。
「知ってるよね? 俺の爪が、君が今投げたナイフよりも、ずっとずっと鋭利で凶悪な凶器だってことくらい。
だあいじょうぶ。君が良い子にしていれば、そんなことはしないから。
まだ、ね」
「ヒッ」
彼女の口から漏れた微かな悲鳴すらも許さないというように。
緋人くんは、くっと、彼女の首筋に爪を食い込ませた。
「悪い子には、教育を施さないといけないからね?」
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