第64話 黒天使の可能性について考えてみる

「それで?」


 一部始終を聞いた紅太くんは、柔和な微笑みを崩さぬまま、そう促した。

 何を問われているのか分からず、私はたじろぐ。


「それで……経緯としては、全てでございます……」

「ふぅん」


 こ……。

 怖いのですが……。




 時刻は二十三時。肝試しはとっくに終了し、恒例の宴会も深夜にさしかかってだらけてきた頃。私は、紅太くんとコンビニへ続く夜道を歩いていた。

 二人だけ、ではない。緋人くんと村上くんも一緒だ。


 後で合流すると言っていた蒲沢くんは、不在だ。というか、そもそもまだ合宿へは公に姿を見せていない。村上くんには気にしなくて良いと言われたけど、何かあったんだろうか。理由を言わないということは、企業秘密的な事情でもあるのかもしれない。


 しかし私は、蒲沢くんの動向を気にかけている場合ではなかった。

 なにせ目の前には、とんでもなく怖い笑みを湛えた吸血鬼の末裔がいるのである。




 二度目の襲撃後。紅太くんに笑顔で事情を聞かれたものの、肝試し中で前にも後ろにもサークル員がいる状況下、しかも声が通りやすい夜である。無関係な人に聞かれても困るので、その場での説明は一端、免除してもらえた。

 ただし、紅太くんに漂う殺気にも近いオーラはそのままだった。おかげさまで、神社にて先輩たちに脅かされても、ビビりはしたけど、人間としての尊厳などは失わずに済んだ。蒲沢くんが情報提供してくれたせいもあったが、なにせ隣には、とっても怖い吸血鬼の末裔がずっといたからだ。

 それに比べたら、全然全くこれっぽっちも怖くない。少し前に暗がりでヒィヒィ音を上げてたのと矛盾してるけど、怖くない。


 そうして現在。買い出しに行くという名目で、関係者たるメンバーで抜け出し、道中でこれまでの事情説明を済ませたところなのだった。往路だけでは話が終わらず、コンビニでの物資調達を挟んで、既に復路である。


 夜道だけれど、開けて明るい道だし人数もいるので、肝試しの時と違って怖くはない。

 だけど、別の意味での肝が試されている。


 なんだろう……。

 怖いのですが……。

 喉笛食いちぎられて喰われそう……。


「つまり。俺だけに内緒で、このメンバーでこそこそ仲良くしてたってわけだね?」

「いや、その」


 そのとおりではあるんですけれどもぉ!

 なに! その!! 含み!!!


 背中に汗をだらだらかきながら、心の声は口に出せず言い淀んだ。東京だったらこの時期、日が沈んでも外気は蒸しているが、ここは涼しいリゾート地である。完全に冷や汗だった。

 見かねた緋人くんが口を開く。


「仕方ないだろ。話す機会が限られてた。なにもお前に隠してたわけじゃない」

「緋人経由でいくらでも伝えられただろ。直接が難しけりゃLINEでもなんでもさ」

「変に行き違いがないよう、直接以外は避けたかったんだよ。どのみち今日のこのタイミングで話すつもりだった」

「どうだかね。二度目が俺の目の前で起きなけりゃ、そのままだったんじゃないの」

「誰が怪しいかすら分からなかったんだ。迂闊に話してこっちの動きが読まれたら、それこそシロが危ない」

「随分とお優しいんだな。前の時は、望月さんをあんなに疑ってかかってたくせに」

「あの時と今回とは事情が違うだろ」

「じゃあ何。今回は俺に疑いでもかかってたわけ?」

「それこそあり得ないだろ。紅太を疑うようだったら、とっくに俺が村上を食い殺してる」

「ならどうして黙ってたのさ」

「だから。分かれよ」

「いやだね」


 二人とも声を荒らげこそしていないが、早口にぽんぽんと応酬を繰り広げていて、他の人間が口を挟む隙がない。


 お二人が口論をしていらっしゃる……。

 お互いに気を許した者同士の、気の置けない口論をしていらっしゃる……。

 こんな状況だけれども、なんだか尊い……。


 あと仮定でだけど、さりげなく会話の中で村上くんがやられている。

 なんだか不憫。



 緋人くんと紅太くんのやりとりを見守っていると、村上くんに肘で小突かれ、ひっそりと聞かれる。


「……彼氏?」

「……違います」


 違う。

 ……断じて、違う。


 だって。この人には、桃子さんがいるし。


「まさか」


 おずおずと村上くんは唾を飲み込む。



「また、飼い主と犬?」

「違います!!!」



 それも!

 断じて!!

 違うわ!!!



 大天使様とスーパー攻め様を一緒にするんじゃあない!!!!!




 ……アッでも……今の紅太くんを見ていると……。


 ちょっと……その可能性を……考えてみるのも……。

 やぶさかでは……。

 黒い大天使とか、それなんて美味し……。



「で。そこは楽しそうに何を話してるの?」



 考える前に笑顔で怒られた。

 あの。怖いのですが……。

 美味しいながらもそれを上回る勢いで大変に怖いのですが……。




「ともあれ」


 紅太くんがこちらに意識を向けたのもあり、緋人くんは無理矢理にさっきまでの話を終わらせ、次に移る。


「昨日の段階では不明瞭だったけど。今回の襲撃で、ある程度はっきりした。

 どうやら相手が何を企んでるのかは、おおかた見当がついた」

「マジかよ」


 村上くんは刮目した。だが彼には話を振らず、緋人くんは私に視線を向ける。


「シロ。お前は誰の仕業だと思う?」

「え。いや、情報が少なすぎて、当てるも何もないのですが」

「本当にそうかな?」


 ちらりと紅太くんに目配せしてから、緋人くんは続ける。


「犯人を外部に求めようとするから分からなくなるのであって。内部にいると仮定すれば、条件はかなり絞られてくる」


 内部って。

 まさか。犯人が、サークル内にいるってこと?


「二回が二回とも、お前の周りにほとんど人がいない時に、ピンポイントで狙ってきたんだ。少なくとも内通者はいると考えた方がいいだろ」


 内部犯がいるという可能性の指摘に、私が戸惑っているうち。質問を投げてきたわりに、緋人くんはあっさりと告げる。



「この状況で。普通に考えれば、一番怪しいのはアリスだ」



 その言葉に息をのみ。先日の彼女とのやりとりを思い出す。


 一回目の襲撃は、私が桃子さんと会話した直後だ。

 彼女なら私がどこに立ち去ったのか、サークル員の中で唯一、把握できる位置にいた。襲った犯人と桃子さんの直前の服装は違ったけれど、犯人の服は全身が黒ずくめだった。あの時の桃子さんはお風呂上がりで元々が薄着だったし、上から服を着用するなら時間をとらずに変装できる。


 二回目の肝試しの際、彼女は肝試しに参加していなかった。

 つまり、彼女ならあの場に隠れて待ち伏せすることができたのだ。

 肝試しに参加していた他のサークル員は、難しいだろう。一本道なのにペアの到着が前後したら、どうしたって他の人に怪しまれる。そういったトラブルがあったなら、私たちの耳にも入っているだろうけど、聞く限り、肝試しは滞りなく終わったはずだ。

 私たちの直前に出たグループなら待ち伏せも可能だろうけど、ペアと順番を調整するためにくじに細工をしなければならないし、あまりに間隔が開けば、やはり神社で待機していた先輩たちに怪しまれる。可能性は低い。


 桃子さんなら、私を襲うことは可能だ。

 それでなくとも、情報を流すことなら容易な立ち位置にいる。



 ……だけど。



 彼女では、ない気がする。



 私は、ほんのちょっと桃子さんと話したことがあるだけで、彼女の何を知っているわけでもない。紅太くんと許嫁だということ以外、具体的に紅太くんとどの程度仲が良いのかとか、緋人くんとどういう関係性なのかとか、詳しいことは知らない。


 確かに私は昨日、(何故そんなことを言われたのかはさておくとしても、)桃子さんに面と向かって『敵』だと告げられた。私を攻撃する動機はあるし、実行が可能でもある。

 けれども。一連の襲撃と、桃子さんとを並べた時に、どことなく違和感を抱くのだ。


 ふと、夏休みに入る前。初めて桃子さんと出会った時、緋人くんと盛大にやりあっていた時のことを思い出す。



 ……うん。

 そうだ。こっちだ。



 多分。あの子は、ド直球で来るタイプだ。

 なにせ、所在のしれない二人の行方を調べ上げ、サークルまで追いかけてきて、あげくにサークル部屋で緋人くんに殴りかかっていったくらいである。

 桃子さんの場合、それこそお風呂上がりの時にそのまま私に右ストレートを打ち込んできてくれた方が、しっくりくる。合宿の襲撃犯みたいな回りくどい真似は、そぐわない。

 彼女の、性分じゃ、きっとない。



 直感でそう思い。

 おずおずと、口を開こうとしたところで。




「桃ちゃんは違うでしょ」




 先に同じことを主張する意見が上がり、声の主を見つめる。



「桃ちゃんはそういうことはしないよ」


 声を上げたのは、紅太くんだった。

 その反応に、緋人くんは眉をひそめる。


「紅太。お前」

「緋人だって知ってるだろう。桃ちゃんの性格は」

「そういうことじゃなく、お前な」

「桃ちゃんは、闇討ちみたいな真似は好きじゃないでしょ」


 ……ええっと。

 なんだろう。

 うん、そう。そのとおりだ。


「真っ正面から打ちかかってくるなら話は分かるけど。桃ちゃんなら、わざわざこんな面倒なことはしないと思う」


 うん。だよね。

 私も、そう思う。

 そう思いはするんですが。


 私が感じていたことと。まるきり、おんなじ、なんだ、けれども。




「桃ちゃんは、やらないよ。犯人は桃ちゃんじゃない」




 えええええええええええええええええええええええい!!!!!

 桃ちゃん桃ちゃん桃ちゃん桃ちゃんうるせぇぇぇぇぇ!!!!!




「随分な信頼があるんですね……」


 思わず、深いため息を吐き出しながら言葉が口から漏れ出した。

 紅太くんは、若林くんは、さらりと切り返す。


だからね」


 そうですか!!!!!

 よかったね!!!!!


 知らん!

 もう知らん知らん知らん知らん知らん!!!


 けど、その言葉は声には出せず。

 押し殺した声で、一言、皆様に告げた。




「寝ます」




 合宿先のペンションが、もう目の前だったのが幸いだった。

 そのまま私は、手にしていたコンビニのビニール袋を村上くんに押しつけ、脱兎のごとく走った。後ろから誰かに呼び止められた気もするけど振り返らず、私は逃げるようにペンションに戻った。

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