第63話 その笑顔がとてもこわい

 自覚してしまうと。

 もう、直視できなかった。


 慌てて彼から目を逸らすけど、もう遅い。

 視界から外したところで、気付いてしまったことからは、どうしたって目を逸らせなかった。


「どうしてそっち向くの?」


 そして追い打ちをかけるように、逃避を許さず紅太くんは不思議そうに尋ねてくる。

 視覚の対策をしても、聴覚により否応なしに声は聞こえてくるし、何よりも触覚が駄目だった。もう本当に駄目だった。

 ……いや、思い返してみれば、手を握るなんてのより、もっと刺激的なことも多々あったわけですけど。なんなら毎月、満月の度にやってますけど。


 でも、ちょっと違うんだ。

 上手く言えないけど! ちょっと違うんだ!!!


「ええ、と。あのですね」


 駄目だ。

 なんて言ったらいいのか、全然、分かんない。


 今まで。

 私、紅太くんと、どういう風に会話してたっけ?


「やっぱ、怖い?」


 その問いに、すがるようにこくこくと頷いた。


 怖い。

 確かに、怖い。


 だけど。

 多分、問われたことと、答えたこととで、意味合いが、違う。



 逃げられないことを悟り、観念してもう一度紅太くんを見つめる。心配そうに私を見下ろす彼は、けれど何か考え込んでもいるようだった。

 何も言えずにいる私をしばらく見つめてから。紅太くんは頬をかき、少し迷う素振りをしてから口を開く。


「……あのね。今日まで、言わずにいたんだけどさ」


 だけど、紅太くんが途中まで何事かを言いかけたその時。

 突然、真っ暗闇だった空間に、閃光がほとばしった。

 思わず身構え、目を閉じる。




 数秒後。再び目を開けると。

 真正面に、小柄な人影があった。



 まさか。

 昨日の夜と、同じ奴!?



 ぞくりとするよりも、相手が私の喉元に手を伸ばす方が早かった。つかみかかると同時、襲撃者のフードの中から、長い髪がはらりと飛び出る。

 一瞬遅れて紅太くんも相手の存在に気がついたようで。握った手に、ぎゅっと力を込められた。




 が。

 紅太くんが動くより先。ちかちかと頼りなく明滅する視界の隅に、人影が見えた。


 襲撃者の方も、もう一人の闖入者ちんにゅうしゃに気付いたらしい。私に掴みかかった手を離し、すぐさま背後に飛びすさる。

 だがその動きは予測されていたようで。襲撃者の逃げた、まさにその場所へ、刀がぐ。

 間一髪、ぎりぎりのところで襲撃者は一閃を避けたが、その拍子に地面に何か落とした。けれどそれが何なのかは、よく見えない。


 襲撃者は何もできないまま、そのまま姿を消した。




 残ったのは、後からやってきた人物。


「全く。迂闊だよね、は」


 そう言って、独りごちたのは。

 同じ一年生の、蒲沢かばさわ公英きみひでくんだった。


 あむりん先輩たちとの女子トークでは『苦労人』にカテゴライズされた、一年男子(通称・一男いちだん)の良心である。一年生の中では比較的、会話しやすい相手の一人だ。

 この夏合宿では、私と同じ班である。合宿には遅れて参加することになっていて、だから私たちの班の発表は明日に設定されているのだ。



 蒲沢くんは、襲撃者の去って行った方を横目で見ながら、肩をすくめる。


「どう考えても、肝試しなんて危ないに決まってるんだから、自分も動けるようにしとけっての。人使いが荒いよね。こっちは長距離移動で疲れてるってのに、丸投げなんて。

 ま。ユイチより俺の方が動きやすかったってのは確かだけど」

「蒲沢くん、どうして?」


 どうしてってのは。なんというかもう、めっちゃいろんな意味合いを含むわけですけれども。そりゃあもう含みますけれども。

 ただ、今回は。


 襲撃者と、唐突に登場し撃退した蒲沢くん。

 先日、緋人くんと村上くんとの間で交わされた会話。

 なにより、彼が手にした刀。


 それらの状況で、流石にピンときた。


「もしかして。村上くんと同じ『SAI』?」

「ご明察」


 答えると、蒲沢くんは滑らかな仕草で刀を鞘に収めた。

 ……あの刀は、もしや。いや、でもハッキリ確証がもてないから、調べてから後で聞いてみよう。もし違ったとしたら刀に失礼だ。

 高鳴るテンションと探求欲を飲み込み、代わりに私は無難に尋ねる。


「ばらしちゃって良かったの?」

「どのみちバレてる。ユイチが馬鹿やったせいでね。もう一人が俺だってことくらい、奥村はとっくに検討つけてるだろ。一年生の遅刻組は、後は俺だけだからね」

「遅刻組?」

「これまで俺は人狼の方、安室の方についてたんだ」

「あっ」


 遅刻組、という単語に何故だと首を傾げたが、付け加えられた説明に納得した。

 この前、緋人くんは『吸血鬼側と人狼側、両方を見張っておくのに、最低二人は内部に放り込んどくはずだ』と言っていた。

 つまり蒲沢くんは、蒼兄の側について動向を探っていたから、合宿に遅れていたのだ。村上くんは吸血鬼、蒲沢くんは人狼の担当だったということなのだろう。


 腑に落ちて手を打っていると、更に蒲沢くんは補足する。


「それに。今回の件は、既に奥村との協力体制ができあがってるって聞いた。望月さんが俺たちのことを承知していること含めてね。

 だったら下手に隠れて動くよりも、表だってやった方が色々楽でしょ。ユイチだってそこは了承済みだ」


 やや早口でそこまで話してから、彼は背後を一瞥すると。続けて問いかけようとした私の疑問を制するように、口元で人差し指を立てた。


「あまり時間がかかると後続に追いつかれる。すりあわせは後でね。

 神社はもうすぐ先だよ。脅かし役はいないって言っておきながら、先輩たち、スケキヨの面とか被って待機してるから、気をつけて」


 ついでにもたらされた情報に、思わず刮目かつもくする。

 なんということだ。あくどい! あくどいぞ先輩!!!

 しかし教えて貰って良かった。知らずに行ってたら、泡を吹いていたかもしれない。助かった。


「あと、まだ俺は合宿に着いてないことになってるから、下手に口を滑らせないようによろしく。肝試しの後、一時間後くらいに合宿には表だって合流するよ」

「了解です!」

「それじゃ、また」


 簡単に告げると、蒲沢くんはほとんど音も立てず、森の奥に消えていった。

 私はびしりと敬礼して、彼を見送る。


 いやぁ、助かった。おかげで今回はダメージなく未遂だったし、万々歳ですわ。

 それにしても。班員で話してたときも思ったけど、蒲沢くん、しっかりしてるし安心感あるな。サクッとそつなくこなす仕事人って感じだな。

 そのオーラのおかげで、大正浪漫の時みたいにいきなり本性を漏らさずに済んだ。感化されて、こちらも理性が働きますね。


「ねえ、一つ聞いていいかな」


 握られた手に力が込められて、私はきょとんとして紅太くんを振り返る。

 どうしたんだろう。もう、襲ってきた犯人はいないし。SAIの蒲沢くんだったら、警戒する必要はないのに。



「どうして望月さんがSAIの存在を知ってるの?」



 …………。


 ……しまった。



 そうだ。

 紅太くんには、まだ、なにも知らせていない。


 一連の出来事について、情報は緋人くんのところで止まっていた。多分、私と紅太くんが元通りになったら、血をあげる時にでも話すつもりだったんだろうけど。現時点では、村上くん側の事情もあって、伏せられていたのだ。


 だから、紅太くんは何も知らない。


 サークル内にSAIの二人がいたことも。

 私が彼らの存在を知ったことも。

 ……私が前に似たような相手に襲われたってことも、含めて。




 その焦りが顔に出てしまっていたのだろう。

 紅太くんは、くいと私の顎を引いて、自分に向け顔を上向かせた。背中にだらだらと冷や汗が流れ落ちるのを無視し、どうにか平常心な顔を取り繕ったが、もうバレている。どう考えてもバレている。今の会話でバレないわけがない。


 恐る恐る見つめた紅太くんは、笑顔だった。

 なんだろう。

 とっても、とっても笑顔だった。


 だけど、私がかつて見惚れた、太陽のような、あるいは闇に揺らめく優しいともしびのような、そういう笑顔ではない。


 これまでに隠していたことへ静かな怒りと、これからの言い訳は絶対に許さないという意思を内包した、まるでさっき見た刀の煌めきのような、そういう鋭い笑みだった。




「……詳しく、説明してもらうからね?」

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