第62話 肝試しにビビりはベタにも程がある
肝試しの概要は、こうだ。
出発地点から一本だけ伸びる、ひと気のない山道を歩いていき、途中の道沿いにある小さな神社を経由して、その先にある広場へ向かう。ただそれだけの、至ってシンプルなコースである。
なお。我々は、事前に各自のスマートフォンが没収されていた。取り上げられたスマホは、中継地点となる神社の境内に置かれているらしい。
つまり。我々のミッションは、神社に置かれた自分のスマホを見つけ出し、ゴールまで辿り着くことだった。
スマホなんてものは、私たちデジタルネイティブな若者にとって生命線にも等しい。そのため我々はスマホを取り返すために、なんとしてでも、否応なしに、拒否権なく、肝試しに向かわねばならないのである。
ひどくない?
人質とるのひどくない?
いや人じゃないけど。スマホ
……と。まあ、こう説明するとシビアに感じる設定ではあるのだけれど。実際は、そんなこともなかった。
山道とはいえ、周りが木々で取り囲まれているだけで、鬱蒼とした獣道の類いではない。アスファルトで舗装されていて街灯もある、きちんと整備された道である。切り立った崖になってるような危ない場所もないそうなので、誤って踏み外すということもまずないらしい。
また道中に分かれ道はないので、迷いようはない。連絡手段がないからといって困るような事態にはならないだろう。スマホがあろうがなかろうが、使いどころは別にないのだ。
それに途中の道に脅かし役の人はいないが、経由地と到達地点にはレク担当の先輩が複数で待機している。不測の事態が起こったとして、大声を出せば、誰かが気付くはずだ。
よくある怪談話でやるような、ガチで危険なタイプの肝試しでは、ない。
本当にレクの範疇の、安全に配慮されたものだった。
だけれど。
くじ引きで決定されたペアが、三分ごとに次々と出発していく。
早々に二番目で、環と藍ちゃんという奇跡としか思えないコンビが出発した。二人がペアになったのは、流石に藍ちゃんがどうにかしたりどうにかしたんだとしか思えないけど、そこをつつくと怖いから気にしないことにしておこう。
やがて緋人くんがあむりん先輩と、村上くんは秋本先輩と、図らずも私と同室の先輩ズと立て続けに出立していった。
猫を被ってあむりん先輩と旅立っていく緋人くんの背中を見ながら、くじ引きの公平性について思いを巡らせていると、おもむろに振り返った彼から意味深に視線を送られた。……はい。ミッションは承知しております。
秋本先輩! 隣にいる男、大正浪漫ですよ!! 先輩からもなんか言ってやってください!!!
そういえば、この場に桃子さんの姿は見えなかった。彼女と同室の先輩にちらっと聞いてみたところ、どうやら体調不良で不参加らしい。
私もそうすればよかった……だってそんな選択肢があるなんて思わなかったんだもん……。
ぼんやりと……いや。必死に、無理矢理そんなことを考え続けながら、私は死地へと向かうサークル員を虚ろな目で見守った。隣にいる紅太くん……若林くんの気配をびしびしと感じつつも、どうしてもそちらへ目線を向けられず、会話はない。
そして。
ついに、私たちの番が来てしまった。
幸か不幸か、私たちの出発は最後の方だ。後にはもう数組しか残っていなかった。
後に残った数人の人たちに見送られながら、結局、事前に一言も言葉を交わさないままに、私と若林くんは出発した。
緩いカーブの道を数百メートル進めば、背後にいるはずのサークル員の姿はもう見えなくなり、夜に飲まれる。しんと静まりかえった森の中、無言のまま歩く二人分の不揃いな足音が、妙に響いた。
事前に聞いていたとおり、やや狭いけれど歩きやすい舗装された道だ。昼間ならば、たまに車も通るのかもしれない。
だけど今は車も歩行者も、私たち以外に気配は一切なかった。丑三つ時というわけですらない、まだ夜八時になろうかという時間なのに、遠くからのエンジン音すら聞こえない。
前の方へ目線をやるが、先に出発したサークル員の姿は見えなかった。そりゃそうか。そのために時間を空けて出発しているのだ。前に人の姿が見えたら、肝試しの醍醐味も半減して興ざめというものだろう。
それでいいんだけどな……。
だけど。行く手に広がる道は、それどころか。
ありとあらゆる得体の知れないものを内包する、ぽっかりと空いた、異界に通じる入り口のようだった。
等間隔で街灯も並ぶ道は、懐中電灯が必要ない程度には明るい。けれども古びた明かりは、ちかちかと頼りなく明滅し、安心を与えてくれるほどの光源にはなり得ていなかった。
むしろ。下手にその明かりがあるから、それに照らされた木々や電柱などの陰影が得も言われぬ不気味さをかもしだし、余計に異界感が際立ってしまっている。
前をのぞき込んでいるうちに。
そのまま、深い闇に吸い込まれて、溶けていきそうだ。
二度と、出られない、どこかへ。
…………。
見なければ良かった。
「ねえ、望月さん」
半分絶望しながら後悔しているところに、不意に話しかけられて、私の肩がビクゥン! と盛大に跳ねた。
やめて。
急に話しかけないで。
びっくり。
びっくり、する。
「な、なに」
無理矢理に取り繕ったせいで、自分でも驚くほど固くぎこちない声が出る。だけどその拍子に、ついうっかり、久しぶりに真っ直ぐ彼の顔を見てしまった。
別の意味で、心臓が跳ねる。
やや猫背気味に私の顔をのぞき込む、若林くんは。
私のよく知ってる、いつもと変わらない、あどけない表情で。
久々に摂取した大天使の威光に動揺していると。
若林くんは、その無垢で無邪気な顔のままで尋ねる。
「もしかして。怖いの?」
…………。
いえいえいえいえ!
怖いことなんてあろうか!
だって見える範囲にはいないけど、距離を空けて前にも後ろにもサークル員がいるんでしょ!?
道中は暗いけど真っ暗闇ってわけじゃないし!
脅かす人がいるわけじゃないし、ただまっすぐ歩いて行くだけじゃん全然余裕っすよ!!!
だけど、何故かその言い訳は口をついて出てこない。
おっかしいな……。
なんでだろうな……。
……いいえ。
おかしくもなんともないですね……。
予想通りの……。
予想通りの展開……でございますね……。
私、望月白香は、とんでもない怖がりのビビりである。
怪談話全般が駄目なのはもとより。お化け屋敷は勿論のこと、某冒険とイマジネーションの海にあるホテルハイタワーがやらかしたもうたアトラクションにすら入れない。入ったら最後シリキウトゥンドゥに呪われて二度とお日様の光が拝めないに決まってるでしょ。入れるわけないでしょ。どうして好き好んでみんな呪われに行くわけ?
つまり、その。
ホラーメインじゃなくても、雰囲気が怖いってだけで二の足を踏んで、入れない程度のチキンなのだ。
その割に吸血鬼や人狼は平気じゃん、と思うかもしれないが、よく考えてみてくれ。見た目、普通の人間だし、別に彼らは襲ってこない。いや別の意味で襲いそうな人はいるけどそれはさておき。皆には足があるし半透明じゃない。
そしてなにより言葉が通じる。生身の人間は怖くない。死んだ人間より生きてる人間の方が怖い説もあるけど六条御息所とかいい例だけど、そういう話をしてるんじゃない、そういう話じゃないんだよ要するに私は怖がりなんだよ!!!!!
思考がとっちらかってるのでいつも以上にとめどないけど。
要は。そういうことである。
夜道そのものまでが駄目という訳ではない。大学の帰りが遅くなっても一人で帰れる。だけどそれは、街が賑やかに明るくて、そここに人々が生活している気配があるから平気だって話だ。
人気のない山道で、こうして『肝試し』としてお膳立てされたら、もう駄目だった。
私は。緋人様より仰せつかった重大ミッションがある。
それなのに。
それなのに!
肝試しとか!!
馬鹿ですか!!!
本当、和解どころではない。
いえ元より和解するようなわだかまりなどないはずですけれどもー!
でも、なんでだ。
なんでバレたの?
何も喋ってないから、ボロだって出ていないはずなのに。
不思議そうにしているのが顔に出ていたのだろうか。
若林くんは、ちょんちょんと私の手元を指さす。
「手」
彼の指先に視線をやれば。
私の右手はいつの間にか、若林くんのTシャツの裾を、がっちりと掴んでいた。困ったことに離れる気配がない。完ッ全に手が固まっている。
うん。
これは駄目だ……言い訳のしようがない……。
……不可抗力だ。
これは、不可抗力なのだ……。
なかなか放そうとしない自分の手を、困って見つめていると。
「ヒッ!?」
近くの木立から物音がして、素で悲鳴を上げて飛びすさる。彼の服を握りしめたまま飛びすさったので、若林くんにぶつかってしまった。
ごめん、と言おうとしたけど、声が出ない。代わりに愛想笑いを浮かべようとしたが、口がひきつる。そのまま、じわりと視界が滲んだ。
あ、駄目だ。
これ、駄目なやつだ。
限界で、涙出てきた。
怖い。
無理。
もうやだ……。
明るい宿に帰りたいよう……。
「手、繋ぐ?」
……なんですと?
半べそをかいているところに言われたことを、上手くかみ砕けず。困惑して目を向けると、若林くんはこちらへ手を差し出していた。
「その様子だと、一人じゃ歩けないでしょ。
繋いだげるから、おいで」
ひゅっと、呼吸が、苦しくなる。
その申し出は。願ってもない、話だった。
このままじゃ、無理だ。進めない。もう動けない。助けを、借りられるなら、こんなにありがたいことはなかった。
だけど私は、ほとんど反射的に出しかけた手を、無理矢理に引っ込める。
本当は、全力でしがみつきたい。
……いや、相手がこの人だからというわけではなくてね?
仕方なしにね?
松葉杖としてね?
だけど。
だけど、駄目だ。
駄目でしょ、そんなの。
ふるふると首を横に振るが。
若林くんは、それを無視して問いかける。
「もしかして。桃ちゃんのこと気にしてる?」
しないわけがあろうか。
ばかなのかこの人は。
一体全体、私がどうして今まで怒ってたと思っているんだろう。
……いや、当たり前か。
私は、何も話していない。
伝えてないのに、伝わるはずがない。
ふと、合宿前のことを思い出して、ぎゅっと息苦しくなる。
けれど。次の瞬間、若林くんは彼の服を握る私の手を上手に外して、そのまま手と手を絡めた。
不意打ちのそれに、苦しいどころか一瞬、息を止めてしまう。
振り払う、ことはできなかった。
そんな余裕は、とても今の私になかったし。
それに。
「もし気にしてるんだったら。これは、ノーカンだから大丈夫」
若林くんは、どこか楽しげに言った。
「俺は、望月さんを介護してるだけだからね」
「介護ッ!?」
あんまりじゃないか!?
いや……でも、確かに介護で合ってるのかもしれない……。
何しろ、今の私は、本当に使い物にならない……。
どこか、満足そうに。
どこか悪戯めいた笑みを浮かべながら、若林くんは私の手を優しく引く。
「今は。話しても、どうせいっぱいいっぱいで耳に入らないだろうから。後で、ちゃんと説明するよ。ごめん、ちょっとやり過ぎたみたいだ。
でも、嬉しい」
「なにが?」
「俺と繋ぐこと自体が嫌なわけじゃないんだね」
今更。
今更、何を言ってるんだろう、この人は。
「ばか……」
「この前と逆だ」
思わず漏れ出たつぶやきに、彼はにやりと笑った。
「幽霊も怪奇の類いも出ないよ。もし出たって大丈夫だから」
繋いだ手を上げ、紅太くんは私の手の甲に頬を寄せる。
「俺はね。これでも吸血鬼の末裔なんだよ。忘れた?
何があったって、何が来たって、最後まで俺が守ってあげるから」
やや上目遣いに言ったそれに。
どこまでが素で、どこまでが計算か、さっぱり分からないそれに。
けれども私は、どうしたって、抗うことなんかできないのだった。
……駄目だ。
気にしないようにしていた。
考えないようにしていた。
忘れたふりをしていた。
だって、そんなこと駄目なんだもの。
望んじゃあいけないんだもの。
桃子さんが、いるんだもの。
だけど。
それでも。
私は、やっぱり。
この人のことが、好きだ。
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