when to return
『定時報告 発レイジ・スガヤ 宛“M”
女王の調教機は完成した。これより訓練課程に入る』
平文で入力したメールの送信ボタンを押すと、アリョーシャのギフトが干渉してくることを感じた。電子戦のプロによる半自動的な暗号文への変換。
「我々の敵は〈イーバ〉だ。情報を偽装することがそれほど有効的だとも思えないが……」
腰かけたままで椅子を回し、背後に控えるアリョーシャを見る。
「情報の持つパワーを侮っちゃいけない、スガヤ中佐。こうしてギフトを授かる前からアリョーシャは常々感じていた。多くの人々が情報の価値を謳うが、厳密に管理されなければいけないと声高々に訴えるが、情報によって己が死ぬとは思っていない」
「アリョーシャは情報で人を殺せると?」
「社会的な死とか、そんなもんじゃない。マジモンの死を降らせることができる」
赤毛のドレッドを指先でいじりながら、アリョーシャは唇を突き出した。
「中佐だから正直に打ち明けるんだ。説教は勘弁だぜ」
「さて、僕は何を聞かされるのかな」
愉快そうに笑みながらスガヤは耳を寄せた。
「叡智の火の発射コードを知っちまった」
愕きがなかったといえば嘘になるだろう。どうやってという疑問もあった。だが、その全てを念頭から外したうえでスガヤは誇らしく思った。敬愛するシュタットフェルト医師の産物は歩みを鈍らせることもなく、果てなき未踏の大地へと前進を続けている。我々は〈イーバ〉を滅ぼそうというのだ。同胞の喉元に銃口を突き付けられないようでどうするのか。
「いいかい、アリョーシャ。そのコードは大切に胸の中にしまっておきなさい。役立つ時が訪れないに越したことはないが、いつか、全てを焼き払うような局面が現れるかもしれない」
『定時報告 発レイジ・スガヤ 宛“M”
訓練は順調に進んでいる。模擬戦での
演習場に行けば常に〈オルアデス〉の駆動音が聞こえた。スガヤはどちらに向かうべきかと迷いながら、どちらに向かっても視えるものは同じなのだからと、いつものように快適な管制室に向かった。
「あら、中佐」
管制室にはサラトガがいた。
「嫁入り前の娘がそんなに肌を晒すものじゃない」
「注意するのはそっちなの?」
サラトガはけたけたと笑い、形のよい胸を見せびらかすように背を反らした。
「下着じゃないから恥ずかしくない」
「おっさんにすれば、胸だけを隠すような服は総じて下着だ」
「れっきとしたスポーツウェアよ。『おっさんだから』なんて言い訳していたら、どんどん時流から取り残されていくわよ」
「肝に銘じておこう」
スガヤは苦笑し、モニターへと目を向けた。
「相手をしているのはジョンとアメリアか」
「視る必要もないのに視ようとするのはあなたの悪い癖」確信していることをわざわざ訊くことも。サラトガは静かに告げ、背後からスガヤの胸へと腕を回した。
「これからコハルも合流するわ。そうなれば、さすがに死神くんの鼻を明かせるんじゃないかしら」どういうことだ、と応えるスガヤの横顔を間近で見つめ、至福とか情愛とか、忘れてしまった感情の輪郭を指先で探りながらサラトガは言う。「私とジョン、アメリアの三人がかりで挑んで、被弾したのはこちらだけ。ジョンとアメリアはムキになって続けているけれど、そろそろペイントを落とさないと、被弾したことも確認できないくらいになっているかも」
ゆっくりと体を離し、スガヤに背後や死角といった概念が適用されないことを承知の上で、それでも顔を見られたくない思いから顔を伏せて吐露する。あるいは訴える。
「彼は異常よ。
「電子の痛み、か」
「比喩よ。言葉通りには受け取らないで」
腰に結んでいた戦車搭乗服をほどき、チョーカー型の骨伝導マイクを装着し、サラトガは管制室から出ていった。それからしばらくして、スガヤが認識するモニターの中に、サラトガとコハルが現れた。二人の外見は鏡写しのように同じだった。二人は度を過ぎた双子だった。
一人でいるときはそれぞれの個性を発揮する少女たちは、姉妹として顔を合わせると同調を始める。言葉遣いや表出する性格といった、生半なものではない。話すときにどれだけ唇を開くか、呼吸の深さ、歩幅、まばたきのタイミング。サラトガはもはやコハルであったし、コハルはもはやサラトガであった。あるいはそこにサラトガとコハルは存在せず、第三の存在とも呼べる人物がいた。意図せずして二つに分離した、オリジナルの人物がいた。
分離した少女の再結合。
電子世界の無窮の声を聞くフラットとは対照的に、コハルの声だけを聴くサラトガ。コハルが受容した全ての刺激――それが痛みであったとしても――を受け取るサラトガ。
二人分の肉体を有した一人の人間が〈オルアデス〉に乗り込む。〈サラトガ〉機はフラットのもとに、〈コハル〉機は離脱して丘の上へと向かう。
スガヤは管制室のマイクを取った。
「ジョン、アメリア。〈
《
マイクをオフに――、スガヤは珈琲を淹れるためにモニターの前から離れる。そして、戻ってきたときには、巨大な蜘蛛の頭部に極彩色のペイントが花開いていた。
『定時報告 発レイジ・スガヤ 宛“M”
全ては整った。Mの指令を待つ』
ブリーフィングルームの扉が開かれる。スガヤは抑圧された好戦と恐怖の眼差しを認識した。十名の〈
「諸君――我々に課せられた待機命令は解除された」
控えめであり、それでいて鳴動するかのように調律された声が響く。
「我々は征野から切り離された。〈イーバ〉から受けた疵により戦線の離脱を余儀なくされ、シュタットフェルト医師の処置により戦線へと帰還する道筋を示された。だが、彼は我々にそれを強制しなかった。戦果と戦力と人員を尊ぶ司令部でさえ我々に『戻れ』とは言わなかった」なぜか、スガヤは問う。「我々が〈イーバ〉に殺されかけた敗走兵だからか。我々が軍属として扱うに能わない
「我々には不動の意思を醸成する期間が必要だった。臨死の恐怖を甘く見ることはできない。トラウマに襲われたその瞬間が、戦友の〈オルアデス〉が擱座し、〈
スガヤの言葉は決して驕りではない。それを傾聴する第三特殊戦隊の面々にも己が特別であり、一騎当千の兵士であるとうぬぼれるような気配は垣間見えない。
「我々は
盲兵は言葉を切り、ひりつくように沸き立つ兵士を見渡す。
「諸君――亡霊が征野に舞い戻る時が来た」
スガヤの背後のモニターが点される。映じられたものは〈シンジュク・コフィン〉、トウキョウを焦土に変えた〈イーバ〉の拠点だった。
雌伏して時の至るを待つこと五年余り。人類は遂に反撃の嚆矢を整えた。
「諸君――我々の有用性を証明しようではないか」
〈シンジュク・コフィン〉攻略戦――始動。
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