great damage to her

 エレナからシャーレイへと招集がかけられたのは、フラットの提案を受けてから二日後のことだった。特殊作戦群基地の地上階、〈オルアデス〉の整備場。遮光カーテンに閉ざされた室内で、シャーレイは執拗なまでの計測を受けていた。緻密な立体模型でも作成するつもりかと問いたくなるほどにあらゆる部位にメジャーを当て続けるエレナを見下ろしながら、指示されるまま、体勢を変えていく。ふとエレナの背後を見れば、雑然とした室内で唯一整えられた机上に、一枚の図版が広げられていた。

 蜘蛛を模ったような八脚のシルエット。一瞥しただけで〈オルアデス〉の設計図だと分かった。図版の右上に走り書きされた『order Two-seater』の文字。

(たった二日で……?)

 シャーレイは改めてエレナを見つめた。崇敬の念をもって。

 徹夜による疲労を隠すためか、普段では見られない化粧がされていた。

「…………随分と、念入りに測るのですね」

 率直な称賛は、エレナの睨み付けるような気迫を前に萎れた。

「ワンオフだからできること。量産機では、パイロットの体に合わせてはいられない」

「私の体に合わせて設計するのですか?」

「外殻は変えないけれど、内装はいくらでも調整できる。最短の動作、最低限の労力で操作できるように。そうでないと、」エレナの語気が強まった。「パイロットの生残率が下がる気がしてならない」

 生き残らせるため。自分の開発した機体が棺桶となることがないように。

(けれど、彼女の言うパイロットとは、私ではないでしょうね)

 夜闇の青年が脳裏に浮かぶ。フラット=パートナー=真なる意味での同伴者。

「次、運動性能テスト」

 握力計を渡される。持ち方と姿勢を指示され、握り込む。

「まじめにやってくれる?」

「…………これが限度です」

 僅かにしか振れなかった針に、エレナの頬が引き攣った。

「どういう生活をしていたらそこまで筋力が衰えるの?」

「…………幽閉されていました。五年くらい」

 今度は表情が硬直した。そして、妙な気配りをしたのか、椅子を引っ張ってきた。

「座りなさい。少し休みましょう」


「珈琲は飲んだことある?」

「二日前、フラットと一緒に。『甘い』飲み物のことでしょう?」

「本来は『苦い』のよ」

 スティックシュガーとミルクポーションをシャーレイに差し出し、エレナも椅子を引いた。淹れたての珈琲を煽るようにぐいと喉に流す。胸が焼かれたように熱くなり、脳を侵食していた睡魔が一時のこととはいえ後退した。

(このまま意識を手放してしまえたなら、どんなにか心地よいだろう)

 エレナの感情を読み取ったのか、シャーレイがおずおずと探るように見つめてきた。

「仮眠でもとられたら? 今のあなたは糸のほつれた人形のよう。修繕させずに動かし続ければ、いつかは綿がまろびでるわ」

「随分と堪能な喩えね。言葉の選択が惜しいけれど」皮肉を告げる。思考が停滞することのないように神経を張り詰めさせながら。「あと少しで図面が完成する。特殊戦ここの技師は優秀だから、図面と注釈さえあればあらかたは造ってくれる。そうなれば寝るわ」

 戦局はこちらの都合を斟酌してくれることもなければ、次の一手を待ってくれることもない。先んじて動けた方が主導権を握ることを許され、動き続けられた者が趨勢を握る。甚大な被害を受けた後に、被害の緩和あるいは阻止を為し得る手段が構築されても遅すぎる。

「グリムはあなたと乗ることを選んだ。全てを焼き尽くす起爆剤と共に戦うことを選んだ」

 彼女にとっての甚大な被害は、グリムリーパー=フラットの死に他ならない。

「私は科学者だから彼と共に戦うことはできない。後方支援がなければ戦場は成立しない、我々も一緒に戦っているだなんておためごかしは……少なくとも私は受け入れられない。究極のところ、私は彼と共に死ぬことができない。私の調教した〈オルアデス〉が〈棺〉へと成り果てたとき……私は征野からは遠い場所にいる」

 それから――グリムがいなくなったあと、自分は何をしているのだろう?

(私は――科学者だ)

(私は――兵士ではない)

(私の武器は、大脳の細胞ネットワークから形成される言語と思考)

(私の役割は、兵器を開発すること。決して、運用を担うわけにはいかない)

 だから、自分は〈オルアデス〉を造り続けているのだろう。

 そう考えたとき、ゾッとした。

「グリムを殺した兵器を、彼が死んだ後も造り続ける。そんなことに私は堪えられない」

「……あなたは、フラットと一緒に死にたいのですか?」

「グリムよりも遅くに死にたくないだけよ」

 エレナは縋り付くように、氾濫した感情を瞳から滲ませながらシャーレイを見つめた。薄い唇が虚空を食み、兵士ばかりの基地の中では殊更に目立つ細い体を震わせ、彼女もまた、シャーレイの内裡うちで捻転するギフトの蜃気楼を睨み付けた。

「グリムを生き残らせるためなら、私は『死の科学者』と詰られることも厭わない」

冥界の女主人エレシュキガル〉と呼ばれる少女の言葉/決意。疫病神ナムタルを遣わしては地上に死の風を吹き荒ばせた神の名で呼ばれる少女のエゴイズムの発露。

「何千人、何万人が死ぬわ。私の兵器が彼等を不帰の国へと導くの」

 陶酔するようにエレナは謳う。こうしてシャーレイと話をする間にも、次々とひらめきが大脳皮質から溢れてくる。〈オルアデス〉の姿が視える。夜闇の青年が征野を疾駆する姿が視える。巨大な鋼鉄の蜘蛛/その胎の中には青年と少女が一人ずつ。そして、二人を守護するかのように随伴するさそりの群れが、数え切れないほどに。

「エレナはフラットを愛しているのですね」直截的なシャーレイの言葉に、

「えぇ、私はグリムを愛している」衒いを浮かべることなくエレナは断言する。

「だから私、あなたが憎いわ。グリムと一緒に死ねるあなたがとても憎い」

 エレナの呪詛は泡沫のように現実からは掻き消え、シャーレイの大脳辺縁系に刻み付けられた。

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