forming a true team

 キョウトの街は、征野とは異なる騒めきに溢れていた。

 笑声があった。歓喜による悲鳴があった。闊達な生活の音が広がっていた。

「整然とした街ですね。合理的です」プリンセスの感想。アンジェロの能力によって耳と尻尾を〈不可視かつ修飾〉された少女は晴々とした様子で首を回す。

「合理性を追求するならば……、アンタこそ、そうだったんじゃないか?」

 新天地を求めた過酷な宇宙での放浪。資源は限定され、生存と死は隣り合わせだっただろう。今の地球人類がそうでないとは言い切れないが、少なくとも〈イーバ〉は合理的であることを強制されたからこそ斯様な戦争に踏み切ったのだろう。

「そうでもありません」

 しかし、その推測はあっさりと否定される。

「実際のところ、私は一人でしたから。あなた方が〈棺桶コフィン〉と呼称する私達の艦船ふねが証左です。一億人の生存を支える施設を備えながら、肝心の彼等は私の中で眠り続けています。贅を尽くした生活とは言い切れないほどに」趣向は皆無でしたけれど、とプリンセスは素っ気なさを装いながら言った。

 グリムは言葉を返さなかった。プリンセスが慰めを望んでいるとは思えなかったし、求められたところで応えられる自信などなかった。そこに彼女の本意がなかったとしても〈イーバ〉と地球人類の間には溝がある。理不尽に強奪しようとした者、それに抗い続けてきた者。その構図自体はかつての戦争と変わりないが、犠牲を強いられてきたのは地球人類だけだった。

(だからこそ連邦軍は謳う。我々こそが正義であると――疑う余地もなく)

 そしてまた、此度の戦争に限って言えば、正義の所在は間違っていない。

 異なる種族、異なる文化、異なる母星。バックグラウンドを微塵にも共有しない者どうしの戦争は部外者こそが悪だった。彼等にどんな事情があったとしても、我々こそがこの星の先住民なのだから。抗戦が適うかぎり諦めるつもりなどないし、赦すつもりもない。

 少なくともグリムはそうでなければならない。

 彼は奪われた――〈棺桶〉の襲来により家族を。

 彼は握り潰された――平穏な日々を。思い描いていた未来を。ユメを。

 彼は失った――駆り立てられた征野で出会った戦友達を。

 彼は歪められた――征野で死にかけた末の救命行為により。

 だからこそ、彼は〈イーバ〉と迎合などしてはならない。それは裏切りだ。家族への、戦友への、何よりも自分への背信行為だった。そして今、怨嗟の対象は目の前にいた。今にでも手が届く場所に、非力な幼体を模りながら。グリムの右指がぴくっと一度だけ痙攣する。心に結んだロックを外したなら、自分は必ずや少女の頸をへし折るだろうと冷静に思う。


 穏やかな空気だった。トウキョウに代わって政都となったキョウトの街並みは変質したものの、そこで生きる人々は、そこで繰り広げられる営みは、そこで育まれる美と娯楽は、戦場では決して望めないものだ。

 あるいは意地なのかもしれない。我々の最後の抵抗/蹂躙された大地は数え切れないが、簒奪された命は数えることすら止めたが、それでも栄華まで収束させるつもりはない。見よ、惨憺たる征野から遠く離れたこの地では、まだ人類は繁栄を誇っている。いずれ征野もこの色に染まるだろう。この音に、この煌めきに、我等の日常に戻してみせる/我々の信念の象徴。

 プリンセスと共に街を歩く。

 奇妙な組み合わせだった。ヒナゲシの少女と夜闇の青年。

 二人は叔父と姪のように肩を並べ、けれどよそよそしく、笑顔を見せることはない。

 プリンセスの服と肌着を買った/特殊戦の基地には当然ながら子供用の物資はないから。

 水と食料を買った/基地には食堂があったが、不足分は個人で賄う必要があったから。

 電子化されていないペーパーブック映画ディスクムービーを買った/外部との通信を遮断する基地では、すべての娯楽はオフラインであることが求められていたから。

 ふと、歩みを遅らせることはなく、言い訳ばかりだとグリムは思う。

 両手いっぱいの荷物を見下ろしながら、ここには理由しかない、無駄がないと感じる。

「おい、」偽名を決めていないために――よもやプリンセスと呼ぶわけにもいかない――グリムはぶっきらぼうに前を行く少女に声をかける。

「少し休憩しよう。さすがに疲れた」

 わざとらしく両手の荷物を掲げてみせ、グリムは右手に見えた店を顎で示した。

「そうですね、休憩しましょう」

 僅かに安堵が見えたのは、気のせいではないはずだった。


 ベルを鳴らしながら押し開きの扉を開ける。西欧風の造りの店内にはジャズ・ミュージックが控えめに流れ、臙脂色の座席が十分な間隔を保って置かれていた。

 レジも、調理器具も、知覚できる範囲で全てがオフライン。明らかに機密性を尊ぶ軍人のための店だったが、そうとは感じさせない内装により一般客の姿も多い。そもそも、電子世界を認識するグリムでなければ気付けないほどに、店内はオンラインであるように偽装されていた。

「いらっしゃい」

「二人だ。すまないが、広い座席を頼めるか?」両手の荷物をこれ見よがしに掲げる。

「ふふっ、どうぞ。奥の席が空いています」

 対応したウェイトレスは笑みながら奥を示した。

 四人掛けの広々とした座席に腰を下ろし、メニュー表を広げる。大半の料理には「代用品」と朱印が捺されていたが、それでも、鮮やかな色彩の写真に懐かしさを覚える。ここには過去が息づいていた。征野では無駄と切り捨てられるものが、その在り方だけは変化を余儀なくされながらも存続していた。

 思わず、戦友の名を胸中で呼ぶ。訴えかけるように。言祝ぐように。

「質問があります」

 プリンセスの言葉に、半ばトランス状態に陥っていた思考が輪郭を取り戻す。

「どうした?」

「〈ケーキ〉とは何ですか? 何やら漆喰で塗り固められたような見た目をしていますが、これは食べ物なのですか? それから〈コーヒー〉とは? 燃料のように黒いですが、こちらも食べられるのですか?」

 真剣な眼差しでメニュー表を睨み付けるプリンセスの姿に多大なる呆れと、僅かながらの安堵を抱く。彼女が何歳いくつなのか、グリムは知らない。先代の女王マザーが死去したときには七歳だったと彼女は語り、それから何年後に〈イーバ〉は戦争を仕掛けたのかは分からないが、最短で十二歳といったところか。常からの彼女の言動は明らかに子供のものではなかったが、こうした時に覗かせる無垢な一面は、彼女が見た目通りの〈少女〉であることを認識させられる。

「頼んでみるといい。経験はあらゆる伝聞を凌駕する」

 ベルを鳴らす。ウェイトレスに「コーヒーを二つ。片方はブラックで、片方はミルクと砂糖をたっぷりと。それと苺のショートケーキを」注文を告げ、グリムは冷水のグラスに口を付けた。沈黙と僅かながらの思慮を挟み、キッチンの方へと目を輝かせるプリンセスを見つめた。

「コーヒーが来る前に、スガヤからの命令を片付けておこう」

「……あぁ、偽名なまえのことですね。残念ながら私は地球人類風のネーミングといったものを理解していません。不自然さを避けるためには、あなたのお知恵を借りる他にありませんが」

「つまり、俺に仕事を丸投げすると」

「適任者に委ねたと言ってください。すべからく、適性とは重要なものです」

「ほざいてろ」とグリムは呟き、ふと、プリンセスの髪に目を留めた。

「シャーレイ……」言葉が零れる、制止することはできずに。

「シャーレイ?」

 曖昧な呟きは繰り返されることで固定される。そうあるべきだ、そうであったのだろうといった一種の酩酊感に襲われながら、グリムは〈シャーレイ〉を見つめた。

「アンタの髪と瞳の色を表す言葉だ。ヒナゲシ、虞美人草、コクリコ――そしてシャーレイ・ポピー。不服か?」

「シャーレイ……。私の髪の色はシャーレイ。私の瞳の色はシャーレイ。私達アストライアの色――それはシャーレイ――」繰り返すこと四度、少女は揺蕩うような眼差しに明瞭さを取り戻し、大きく頷いた。そして、言祝ぐように柔らかく、刻み付けるように凛然と告げた。

「不服を申し立てるなど、私にはできない。私はここに〈シャーレイ〉と定義された」

 その声音は外見とあまりにも不釣り合いで、少女の〈女王〉としての一面を垣間見る。

「あまり重く受け止めるな。所詮はただの思い付きだ」

「供した者と供された者で受け止め方が異なるのは常です。そしてまた、私の解釈を過剰だと咎める権利はあなたにありません」意固地になったような口調、なぜか。与えられたおもちゃを取り上げられることに、必死になって抵抗する子供のようだった。

「好きにしろ……」

 呆れ果てながら、けれど、青年にはシャーレイ=プリンセスの気持ちが分かるような気がした。奪われることしか、失うことしか、戦場にはない。手に入れたつもりのものも、いくら固く握り緊めようといつかは指の隙間から零れていく。喪失こそが真実――永遠に得るものなどこの時代にありはしない――それが彼の人生観だったからこそ、ドクター・シュタットフェルトに与えられた〈ギフト〉に拘泥した。決して手放すまいと執着した。

 シャーレイは今、二年前のグリムと同じ地点にいた。

 得るものはなく、失うばかりの日々。意識することを忘れ、それでも明確に擦り減っていく現実。忘れたつもりでも焦燥は確かに心身を炙り続け、いつかは消せない火傷へと変貌する。だからこそ、与えられることで動き出す。眠っていた自我と欲望が一気呵成に氾濫し、心身を駆り立て、咆哮とともに突進を始める。そうなったらもう、手折られるまで止まれない。

「あなたの偽名なまえはどうしますか」

「フラット、それでいい」迷いの見えない言葉に、シャーレイは興味の矛先を向けた。それはあなたの本名か、といった問いに対する返答は次のようなものであった。

『まさか。子に冷酷フラットなどと名付ける親がどこにいる』

『俺は結局、生死が交錯する中でしか生きられない人間だ。ならば、冷徹フラットであれと己に命じることに不思議はないだろう』

 シャーレイは気付かれないよう、そっと目を細めた。哀しみを浮かべながら思う。

(平等――それもまた〈フラット〉でしょうに)

 そうと考えられないわけではないだろう。そう考えることを慮外に放棄している。

 なぜか――そのようなことを自問する必要などなかった。全ては我が同胞の罪による。我が親愛なる叔母君の野心による。シャーレイは目を瞑り、反芻した。

(だからこそ私は、全てを終わらせた暁には――)


 運ばれてきたケーキと珈琲に、シャーレイは黙々と手を伸ばす。経験したことのない味わいだった。幸福中枢を刺激する中毒的な味わい、本能的に求めずにはいられない輪郭の曖昧な味わい、それは『甘い』というのだと〈フラット〉に教わり、シャーレイは繰り返した。

「甘い……とはいいものですね」

 シャーレイがケーキを食べ終え、珈琲に手を伸ばすまでの間、フラットは一言も発さなかった。だが、機は熟したと言わんばかりに赫灼の決意を瞳に燃ゆらせ、彼は告げた。

「一億人を殺す引き鉄が引けるかと問うたな。答えは変わらない。俺は引ける」

「今すぐにでも?」シャーレイはフラットの腰を見た。座ることでようやく先端を覗かせる拳銃嚢ホルスター、収められた鋼鉄の殺意を煽り立てるように少女は言う。

「俺は必ずや〈イーバ〉を殲滅する。そこには〈アストライア〉も含まれている」

 フラットは想起する。奪われた家族、友人、今にも奪われんとする人々の面貌を。

「全てを殺し尽くすことでしかあなたは止まれない。だからこそ、私はあなたを選んだ」

 シャーレイもまた、殺されることに異議を唱えない。歪み切った論理が展開されていた。理性ではなく、存続を第一義とする生命としての本能ではなく、罪の呵責がシャーレイを被虐へと駆り立てていた。

「だが――」フラットの抵抗。或いは願望の発露。「一発の銃弾で終わらせることはしない。徐々に、徐々にと削ぎ落としながら、一億の人命を人類存続の礎とする」

 フラットは視た。シャーレイの内裡うちで捻転するギフトの蜃気楼を。

「アンタは俺の機体に乗れ。二人組ツーマンセルだ」

 私情と衝動を排し切ったうえでのフラットの結論――真なるチームの結成。

 一蓮托生とでも気取った風に呼ぶべきか。しかしながら、此度の展開、フラットの提案はそのような道義めいた言葉で表すことは許されない。彼がやろうとしていることは人類史で最も小規模であり、最も実現の可能性を孕んだ民族政策ホロコーストだったのだから。

 シャーレイもまた、拒まなかった。

「いいでしょう」誇らしげに手を胸に添えながら、「私はあなたと共に燃え尽きよう」価値を計り知れない報奨を賜ったかのように面貌を恍惚と緩ませた。

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