means for bloodbath

 合成されたとは思えないほどに明瞭な視界。仮想訓練装置シミュレーターの操縦桿を握りながら、青年はプリンセスへと指示を送る。

「回頭、右舷前方四十五度」

 疑似振動装置の演出する、実機とはほど遠いやわらかな衝撃にプリンセスの悲鳴が紛れ込む。

「修正、さらに二十五度回頭を。進路から外れている。――追加修正、十度戻せ」

 延々と続く修正の指示。機械のように感情を滲ませない青年とは対照的に、少女からは徐々に冷静さが失われていく。鋼鉄の蜘蛛オルアデスは制御下に置かれることなく暴れ回り、それは拒絶にも等しかった。そして、遂には。

「照準を合わされた!」

 報告なのか叫びなのか分からない言葉とともに、プリンセスの機体は消失ロストした。

《僚機が撃破されました。訓練を継続しますか》合成音声によるアナウンス。

「…………結構だ」

 青年の声には失意と諦念が染み込んでいた。



「視線誘導装置でも導入する? パイロットの瞳孔の動きと〈オルアデス〉の機動をリンクさせるの」

「ダメだ。補助システムはあくまでもより高い戦術性を生み出すための仕組みでしかない。自分の腕で操縦もできない奴に下駄を履かせても何の意味もない」

「グリムくんの言う通りだ。だが、これではプリンセスを戦力として数えることはできない」

 スガヤとエレナを交えて議論は進む。地球人類を勝たせる用意があるとプリンセスは断言した。しかしながら、蓋を開けてみればプリンセスは戦場に出るどころの話ではなかった。彼女は確かに特異な能力を有していたが、前提として、戦場で生き残れなければ仕方がない。

「いっそのこと司令部付きにするのは?」

「ドクターの検査によれば、彼女の能力は半径一〇〇〇メートル圏内でしか働かない。我々同様、最前線に送り出す他に戦術的価値はない」そもそも、とスガヤは首を振った。「我々に戦術的価値があることと同様に、〈イーバ〉にとってもプリンセスの価値は計り知れない。一度居場所が割れれば、利害など斟酌されることもなく、戦局は大きく移ろうだろう」

 ただそこに在るだけで戦場を搔き乱す不穏分子。

 逃走の最中、プリンセスは言った。

《私は起爆剤です。〈イーバ〉にとって、〈アストライア〉にとって、地球人類にとって。正しく連鎖されたなら、どこまでも燃え広がってみせましょう》

 付け加えるならば、プリンセスは誘蛾灯であり、素手でしか掴むことの許されない劇薬だった。使い方次第で大勢の命を救うこともあれば、壊滅へと追い込むこともあり得る。

 スガヤは空になった紙コップを握り潰し、ダストボックスへと投げ入れた。義眼の盲者とは思えない精緻なコントロール/ギフトによる成果。彼にとって視覚による認識は無意味だったが、それでも首を捻り、項垂れたまま会話を聞いていたプリンセスを〈視た〉。

「グリムくん、プリンセスとデートに行ってきなさい」

「…………」

 無言による反駁を意に介さず、スガヤは軽薄な調子で言う。

相棒パートナーとの親交を深めるのも任務の内だ。街に出かけ、ウィンドウショッピングを楽しみ、カフェで珈琲とスイーツを楽しみ、それから――いい加減に偽名を考えてきなさい」

「偽名の決定にデートは不要だ」

「それはあくまでも副次的成果だ。いいかな、グリムくん。特殊戦は二人組ツーマンセルが基本であり、第三戦隊にはプリンセスと君を含めて十二名しかいない。エンハンサーはそれだけ貴重であり、一人を失うことは戦力のおよそ一割を欠くに等しい。我々は生き残らねばならない」

 相棒パートナーと共に――。

 スガヤの言葉には強迫観念が滲んでいた。それが演出かどうかは分からない。

「耳と尻尾はどう隠す。衆目に晒すわけにはいかないだろう」

「〈不可視インビジブル〉がいると言っただろう? アンジェロに接触したまえ」

「……他人まで不可視にできるのか」率直な感想、グリムは俄かに目を瞠った。

「我々の敵は〈鋼鉄の獣イーバ〉だ。対する我々の武器は〈オルアデス〉だ。脆弱な肉体では立ち向かうことなど能わない。己が不可視になるだけでは不充分だ」戦争は変質した。人間どうしによるかつての戦争、機械どうしによるこれから訪れるであろう戦争。現在はその狭間にある。人間と機械による戦争。地球人類もまた〈加速〉を余儀なくされていた。

「行ってきなさい。君にも休息は必要だ」

 思わずエレナを視る。許可を求めるように。

 戦友エレナは手を振り、はにかんでいた。祝福するように、それでいて寂しげに。



「さっきのはあからさますぎる。人払いの方法としては下の下よ」

「忠告痛み入る。だが、プリンセスの能力ギフトに対しては無感情に徹していた彼も、これについては嫌悪感を露わにするだろうと思ってね」

 特殊作戦群基地の地下、六層にも及ぶ耐爆シャッターに保護された基地の最奥。地上の施設は対外的なものに過ぎない。この場所こそが本質だった。

 兵器としての特殊性を主眼とする第一特殊戦隊。

 戦術としての特殊性を主眼とする第二特殊戦隊。

 人間としての特殊性を主眼とする第三特殊戦隊。

 それら全てを混ぜ合わせ、異質イーバに対する異質を練り上げた特殊作戦群の真髄。

 過剰なまでに警備兵の配置された廊下を、肩で風を切りながらスガヤは進む。その瞳は野望に満ちていた。その四肢は覇気に満ちていた。その心は、波乱の到来に沸き立っていた。

「我々はこの数日間で三つの戦力を手に入れた。ひとつは初期型プロトタイプにして唯一無比の適応性を誇示するエンハンサー、ひとつは無限の可能性を秘めた〈イーバ〉の姫君。そして――、人間を改造する天才であるシュタットフェルト医師、その愛娘である機巧の天才、君だ」

 いくつもの障壁セキュリティを抜けた先にある倉庫の扉が開く。エレナが基地に到着してからわずか一週間でしかない。それでも、第三特殊戦隊の要であるシュタットフェルト医師と、第一特殊戦隊の要となり得るエレナが一堂に会した結果がそこにはあった。

 プリンセスのギフトのために開発された武器、あるいは人形。

 整然と立ち並ぶ機械人形の群れ。中身ソフトウェアはまだ入っていない。だが、この人形に関して言えば、それらの類は不要だった。

「素晴らしい光景だ。見たまえ、我々は新たな戦場へと足を踏み入れた」

 目を輝かせるスガヤを眺めながらエレナは思う。

(グリム。あなたはこの選択に同意してくれる? 私の罪をあなたは赦してくれる?)

 開発してしまったもの、数多の犠牲が生じることを理解した上で開発せざるを得なかったもの。だが、科学者の悩みは兵士の行動を左右し得ない。科学者は殺戮のための手段を構築する。兵士は殺戮のための手段を実行する。完全なる分業体制。エレナは科学者だった。グリムは兵士だった。そして、プリンセスは――。

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