unknown forces

「特殊作戦群第三特殊戦隊のレイジ・スガヤだ」

 軍人だらけのキョウト駅のプラットホームで、三つ揃えのスーツを着て、屋内であるにもかかわらずサングラスを外そうとしないスガヤ中佐の姿はあからさまに浮いていた。

「トウキョウからの道程、大変ご苦労。しかし、目立つ格好で来たものだ」

「奇抜な格好をしている方が容姿を覚えられにくいそうだ」

「一理あるな」スガヤはおどけるように頷き、指先をスーツに掠めさせた。

「行くとしよう、グリムくん。ドクターがお待ちだ」

「……〈グリムリーパー〉は通称だ。本名じゃない」

「安心したまえ。〈レイジ・スガヤ〉も偽名だ。我々は不詳アンノウンであることが義務付けられている」階級も名前も対外的に設定されたものでしかないとスガヤは続ける。「真実であるものは、我々は特殊戦に所属することと、人間の定義からは外れているということだ」

 連邦軍(NAF)とは命令系統を異にする特殊作戦群には、第一から第三特殊戦隊が配備されている。兵器としての特殊性、戦術としての特殊性を根拠とする他戦隊と比して、書類上ではSNAF‐Ⅲと略号が用いられる第三特殊戦隊は〈人間としての特殊性〉を根拠としていた。人道的な救命措置の副作用として生まれた〈強化された人間エンハンサー〉で構成された部隊。

 だからこそ、徹底された不詳の軍隊であることが求められた。

「だが、軍属に戻るのであれば〈グリムリーパー〉だけではやり切れないだろう。希望があれば伝えてくれ。身分証と経歴はこれから作成するのでね、多少の注文は受け付けられる」

 そこのお嬢さんも、とスガヤは付け加えた。彼の目付きにも声色にも〈イーバ〉であるはずのプリンセスを警戒する様子は見られず、その態度が却って少女の警戒心を煽っていた。

 特殊戦の施設に到着しても同様だった。

 すれ違う人物は誰もがにこやかに対応し、自分が〈イーバ〉であることを知らされていないのではないかと勘繰れば「こんにちは、〈イーバ〉のお姫様」と声をかけられた。あまりにも友好的である故に、プリンセスは次第に戸惑いを覚えていった。

「……あなた方は〈イーバ〉を恨んでいるのではないですか?」

「憎らしいとも。特殊戦に所属することは〈イーバ〉との戦闘で死にかけたことを意味する。グリムくんがそうであるように、僕も瀕死の重傷を負い、シュタットフェルト医師により治療と改造を受けた。その後、特殊戦に志願したと同時に僕の経歴は抹消された」分かるかね、とスガヤは問う。「僕は生きている。だが、すでに人間として生きてはいない。故郷の妻子と会うこともないだろう。バケモノになった父親を見せられるよりは、死んだと告げられた方が悲しみは軽いだろうからね」

 スガヤはサングラスを押し上げ、琥珀色の瞳を示す。それが義眼であることは明白だった。

「プリンセス・リトルマザー。覚えておくといい。特殊戦ここに親愛や友愛といった感情は存在しない。我々の目的は〈イーバ〉を撃滅することに尽きる。円滑な組織の運営に、個々の思想や感情は不要だ。だから我々はプリンセスを弾劾しない」

 スガヤの言葉は、同時に受容するつもりが最初からないことを示していた。

 ショックを受けているだろうか、とグリムは直接目を向けることはせずに、施設の監視カメラに干渉してプリンセスの様子を窺う。だが、少女が項垂れることも、意気消沈する気配もない。毅然と前を向き、スガヤの背を見つめていた。自分が憎悪の対象であること。常時であれば忌避すべき状況に身を置いていることを、プリンセスは何よりも歓迎していた。

(危ないな)

 グリムは思うが、口には出さない。

 悪意を受容する者は、重要な局面で自己犠牲といった安易な悪手に走りがちだ。

(ここまでは運んでやったんだ。あとは好きにやってくれ)

 胸中で別れを告げる。それにより、プリンセスは青年の意識の対象から外された。果たしてそれが叶えられるかどうかは別の話として。



 ドクター・シュタットフェルトとの再会/検査室/PFCの海の中で。

「お帰り、探し物は見つけられたかな」老医師の言葉に青年は首を振る。

「そうか……、それは残念だ。しかし、死者はみな平等で、生者はみな不平等との闘争を強いられている。我々は得心の有無に関わらず、過去から切り離されなければならない」

 変わったな、とグリムは感じた。二年前、施術の前後で言葉を交わした彼と、目の前にいる老人との姿に若干のずれを見いだす。変わらざるを得ない、それが〈イーバ〉との戦争だ。戦場から遠く離れた場所にいても、兵士に触れ続けるうちに、彼も単なる医師ではいられなくなったのだろう。連鎖と反応/それは不可逆的に。

「エレナは元気か?」

《はい。彼女の助力がなくては、今日まで生き延びることはできませんでした》

「相変わらずか。人間をいじることが好きな父親と機械をいじることが好きな娘。エレナの口癖だった。『私の調教機カスタムを乗りこなせる人間がいない』まさか父親がその人間を作るとは、彼女も想像していなかっただろう」

 自虐的な言葉の裏には娘への愛情が秘められている。この父娘も不器用だと、グリムは自分のことを棚上げにして思う。

《エレナもキョウトに来るそうです。食事でもされたらいかがですか?》

「……やめておくよ。私はまだ、エレナに赦されてはいないだろうからね」

 それよりも、とドクターは弾むように言う。

「君の手土産、あれは興味深い」

 電子の流れを感じ取り、ドクターが手にする端末へと青年は干渉した。続々と送られてくる情報を読み解くうちに、それがプリンセスの検査結果だと気付く。

「すべてが〈不詳〉だ。細胞の組成、構造、遺伝情報の在り方――一億人の生命を内包している仕組み――彼女は確かに人類からかけ離れている。それが人類の到達する地点であるかは別として、彼女は我々が飛躍するための起爆剤となり得るだろう」



 検査終了/ギフトとの同調率が向上したことを告げられる。

 検査服から戦車搭乗服へと着替えているとスガヤから内線が入った。

《やあ、検査結果はどうだった?》

「異常はない」

《それは上々。ブリーフィングルームへと来てくれたまえ。共に征野を駆ける戦友達が待っている。……それと、エレナ嬢がキョウト駅に着いたと迎えの者から連絡があった》

「すぐに向かう。エレナの送迎を頼んだ」

 緊張が薄れていくことを感じ取り、青年は思わず苦笑する。信頼の対象としているものはエレナ本人なのか、彼女の調教カスタムする〈オルアデス〉なのかは分からなかったが――敢えて明言することを避けていた――征野から遠く隔てられたキョウトの地で、一人ではないと思えることは嬉しかった。そういった意味で、彼はまだ人間的な感情を残していたと言える。

 だが、ブリーフィングルームで対峙した彼等と彼女等は、果たして。

「紹介しよう、グリムくん。彼等九名がSNAF‐Ⅲに所属するエンハンサーだ」

 スガヤが手で示した先には誰もおらず、九台のタブレット端末が置かれているだけだった。端末画面には何も映されておらず、当然ながら応えもない。

「全員が不可視のエンハンサーであるといった冗談ジョークか?」

「〈不可視インビジブル〉がいることは確かだが、それだけでは〈イーバ〉を攻略することはできない。物量を頼みとする敵に対するとき、数で劣る我々は戦略と戦術を頼みにしなければならない。そのためにも単一性は好ましくないだろう」

「それでは、この状況は?」

「これは、僕の指揮官としての不甲斐なさの象徴だ」

 スガヤは大仰に肩を竦めた。と、同時に快活な笑声が部屋に響いた。

《ハハハ。みんな、スガヤ中佐がお困りだぞ。新人との対面式くらい馳せ参じて然るべきだと思わんかね?》端末のひとつから届く男の声/しかしながら、合成音声。

「助け船をありがとう、アリョーシャ」

《気にするな、スガヤ中佐。さておき初めまして。アレクセイ・フョードロウィチ・カラマーゾフ、電子戦担当、愛称アリョーシャは新人に呼ばせるつもりはない》

「カラマーゾフの兄弟か。偽名にしては露骨すぎないか」

《おっと、今度の新人は博識だな。三世紀前の書物だ。ただでさえ文化が失われつつある昨今で、手に取ろうとする酔狂な人物もいないからな。充分に偽名として通用するのさ》

 変わり果てたキョウトの光景が脳裏に過ぎる。『カラマーゾフの兄弟』の初読はいつだったか。思い出そうとしても杳として掴めない。青年もまた、文化から離れつつあった。

「アリョーシャ。グリムくんは特殊戦としては新人だが、エンハンサーとしては君よりも随分と先輩だ。何せ、ドクターの最初期の作品だからね」

《へぇ……ということは、およそ二年前か。励みになるね。戦場でそれだけ生き延びたという事実と、エンハンサーとして弾劾されることもなく生き延びられたという事実に》だが、とアレクセイは語調を強めた。《ここでは俺が先輩だ。キャリアは関係ない》

 呼応するように、室内にSMSの受信通知音が響いた。

《アリョーシャの言葉は気にしなくていい。今日まで彼が一番の新人だったのよ。彼も格好付けたいお年頃なのね》

《ヘイ、サラトガ。メッセージなら俺を貶してもいいと思っているなら考え直せ。第三戦隊の通信網は全てこのアリョーシャが握ってるんだからな》アレクセイの音声による介入。

《知っているわ、それと紹介ありがとう。こんにちは、グリムリーパー。私はサラトガ・ウェンディ。実戦担当。パイロット同士、仲良くしましょうね》サラトガのSMSによる返信/意に介されないアレクセイ。

 続いて、それまで沈黙を保っていた残り七台のタブレットが一斉に通知音を響かせた。

《ジョン・ウォーカー、実戦担当》

《アンジェロ・マネッティ、工作戦担当》

《アメリア・ウォーカー、実戦担当。ジョンとは兄弟の契りを交わしている、わけじゃない》

《コハル・チタンダ、実戦担当。君は日本人か?》

《マルコ・ポーロ、実戦担当。海が好きだ、船が好きだ、航海が好きだ。陸戦機は嫌いだ》

《サレマナウ・エリ、工作戦担当だ。よろしく》

《ソウメイ・トキツキ、実戦担当。みんなは僕のことをイカレ野郎と呼ぶが、敬虔な神の信徒だ。ところで君は、神を信じるかね? 残念ながら教会はないが、教義なら僕の心の中にある。いや、戦火に焼かれたとか、そういうわけではないんだ。元々、信徒は僕だけで(以下略)》

《ソウメイ、話が長すぎるからアリョーシャが編集した。許せ》

《許すとも、アリョーシャ。許しは最も身近にあり、最も困難な行為だ》

 グリムは一連のメッセージを瞥見し、辟易としながらスガヤを振り返った。

「いつもこうなのか?」

「遠からずとも近からず。個性的なメンバーであることには違いないが、それでも新人が来るときには一堂に会することが常だった。何せ、僕等が向かうのは戦場だからな」

「現状は程遠いようだが……」

《それについては先輩のアリョーシャが説明しよう。俺達は別にスガヤ中佐の面目を潰したかったわけではない。背命行為への罰則も甘んじて受けよう。だが、スガヤ中佐から彼女を第三戦隊に加えると報告を受け、一同、臨席を辞退したわけだ》

「彼女……?」エレナのことだろうか、と思うグリムの背後で扉が開く。防音のために気密性を高めたブリーフィングルームは、扉を開閉するときには特有の抜気音が響く。グリムは振り返り、戦車搭乗服を着たヒナゲシの少女を認識した。そして、アレクセイの言葉に全てを理解する。

《第三戦隊は二人組ツーマンセルを基本とする。俺達は志を同じにするなら〈イーバ〉がチームにいようとどうとも思わないが、相棒にしたいとは思わない。だからみんなで画策した。決定した。〈イーバ〉と組ませるのは、そいつを発見し、懐柔し、御丁寧にキョウトまで誘った酔狂な回収屋グリムリーパーに任せようと》

 グリムはプリンセスを見る。次にスガヤを。困り顔ではにかむ少女と、懇願するように顔の前で手を立てる男。議論を避けた九台の端末。深々と息を吸い、怒気を滲ませながら言う。

「スガヤ中佐、彼等への罰則の内容は?」

「微に入り細を穿つ清掃活動と、本日の夕食の取り上げ。他にも望むかね?」

「彼等に命じてください。今から十分間、その場から動くなと」

「各々、聞いた通りだ。これに逆らったときはさらなる背命行為と見做す」

「感謝する。プリンセス、これから先輩達への挨拶回りだ。付いて来い」

 グリムは迷いのない足取りでブリーフィングルームを離れた。

「…………忠告しておこう、諸君。グリムくんの強化技術エンハンスメントに対する閾値は類稀ない基準を示している」つまり、と尋ね返したアレクセイの言葉に殴打の音が混じる。

「かくれんぼに興じるならば、文明の絶えた原野でやりなさい」

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