背信の姫君 -Undesired-

lost the sky

 微睡みの中でさえ、青年は鋭敏に世界を知覚する。移植された金属繊維の肌による無意識下での認知の樹立。それは、ある意味で青年を〈眠らない男〉へと仕立て上げていた。

 青年を乗せたディーゼルエンジン式の列車は、一路、キョウトを目指していた。地球連邦第十六エリア〈ニホン〉政都せいと〈トウキョウ〉が棺桶コフィンの墜落を受けて以来、政治及び軍事の拠点はキョウトへと移された。その結果、文化財の保護のために厳格な法令の下で管理されていたキョウトは変容した。〈オルアデス〉の運用のために広い道路が必要だと提言されれば、その進路上にあるものは一切の斟酌をされることなく排除された。

〈イーバ〉は人類に種の存続を迫った。それは同時に文化の淘汰を意味していた。文化は人間と共にある。人間が滅びようとしているとき、文化もまたカタチを失いつつあった。

 青年は目を開けた。金属繊維の肌による認識ではなく生来の目でキョウトの街並みを見た。変わってしまったと感傷に浸ることはなかった。形を失うことが当然なのだから。

 代わりに、また前進したという思いが過ぎった。

 無数の軍旗が紺青の空にひるがえる。この広大な星に百と残されていない人類の拠点。〈イーバ〉の脅威を退き続け、人間の権利が保たれている栄光の大地。無窮の英霊の死によって成立する献身と不浄の都。その地ではためく軍旗の群れは、人類はまだ生きていると声高に主張するように見えた。

「何やら、感慨深そうな様子ですね」

 幼声に刺激され、飽和していた意識が戻る。軍人でもない青年に将校用の個室コンパートメントが割り当てられた原因である人物が、青年へと興味深そうな視線を送っていた。

「郷里を懐かしむような眼差しです。この地に類縁でもいるのですか」

「いいや」故郷も、一族も棺桶コフィンに焼き払われて久しいとは伝えない。「キョウトは神の住まう土地だ。ニホンに縁者を持つ人間ならば自然と心が静まる」

 苦しい言い訳だと思いながら、けれど、プリンセスは不思議そうに首を傾いだ。

「〈カミ〉とは何ですか? それは人間にとっての統治者のようなものですか?」

「神を知らないのか? ……いや、この問いは適切ではない。〈イーバ〉は神という概念を持たないのか?」

言語バックグラウンドの違いによる齟齬かもしれません。定義の開示を望みます」

「……人智では測ることのできない力を持ち、人類に禍福を降すと考えられる存在。往々にして信仰の対象とされる宗教的な威霊といったところか。人類が対峙するあらゆる困難、あらゆる幸福は神によって定められたものと考えられている」

「自らの命運をあるべきものとして定めたとされる〈求められた概念〉といったところですか。そのような存在を私達は持ち合わせてはいませんね。何しろ、放浪の日々の中では実在するもの以外には信じられるものなどありませんでしたから」

 プリンセスは興味深そうに頷き、ヒナゲシの瞳に憂いを浮かべた。

「もしも自分達の行為の善悪を視ている存在がいると考えていたならば、叔母も斯様な暴挙に踏み切ることはしなかったかもしれませんね」

 それはどうだろうか、と遠巻きに思う。

 人類もまた、神の名を謳いながら殺戮を繰り返してきたのだから。

「殺していいのは異教徒だけ、だそうだ」

「……それが神の言葉ですか?」

「いいや。神の代弁者の言葉だ」

 腕時計を見る。かつての〈ニホン〉では運行予定と数分の誤差が生じただけのことで謝意が示されたそうだ。ようやくキョウトに着いた。到着予定時刻は一時間前に過ぎている。

「降りるぞ。ここからは車で移動する」そこで、青年はプリンセスの頭部を見た。

「分かっていますよ。くれぐれも往来で耳を晒すな、でしょう?」

 ヒナゲシの髪と揃いの瞳はまだしも、尖った耳と尾骶骨から垂れる尾はごまかしようがない。長い耳当ての付いた飛行帽フライトキャップを被り、くすんだ芥子色のつなぎを来たプリンセスは、幼い外見も相まって〈パイロット〉に憧れる少女のように見えた。地上を駆けずり回る〈オルアデス〉ではなく、今はもう失われたに等しい空を駆る〈飛空士パイロット〉に。

 翼は手折られた。空は、すでに〈イーバ〉の支配下にあった。

 再び空へ舞い上がりたいと望む人々は多いが、今の方があるべき姿なのかもしれないと青年は思う。人類の腕は風を捉えることはできず、人類の足は大地を踏み締めるためにある。科学によって到達した空から引き離されたところで、悲しむ必要などないはずだった。

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