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 記憶/瀕死の兵士が最後に送り込まれる施設/延命のために倫理を擲った病院。

「おはようございます、ドクター」音もなく開いたドアに、夜闇のような黒髪の青年が反応した。青年の両目は包帯で覆われているというのに。

「おはよう。随分と馴染んだようだね」

「おかげさまで。検査ですか」

「そうだ。すぐに出られるかな」検査ではなく整備である、というのはドクターの持論だ。

 青年は読みかけのペーパーブックを置き、澱みなく立ち上がる。とても視界を遮られているとは思えないほど、空間を正確に認識していた。

 検査室へと移動し、医療用カプセルに沈められる。肺を満たしたパーフルオロカーボンPFCによる液体呼吸を行いながら、カプセルに干渉してドクターとの会話を行う。

「ドクター。自分は、ここを出たら、また戦うべきなのでしょうか」

「君の体には大陸間弾道弾ICBMミサイル二発分の費用がかけられているんだ。軍部としては相応の成果と貢献を求めているだろうが、彼等から『戦え』と催促されることはないだろう。もちろん、ぼくからも。『生命保護のための科学技術の人体への応用』それがぼくらの建前であり、生命倫理を蔑ろにするための規律だ。ぼくは奉仕者ボランティアなんだ。利益を求めてはいない」

志願兵ボランティアになるかどうかは、自分で決めろということですか」

「そうだ。個人的には君のような〈強化された存在エンハンサー〉が社会にどのような影響を及ぼすかというのも興味深いテーマだとは思うがね。まぁ、やりたいことをやるがいい」

 投げやりなその言葉からは、青年の前途に対する執着など感じられない。誘導する意思さえも希薄だった。PFCの海に沈みながら青年は考える。あの戦場で、あの場所で、終わると思っていた。死を覚悟した。けれど、瀕死の重体となりながらも生き残り、ドクターの処置により生き永らえた。自分はまた戻りたいのだろうか。今度こそ死ぬかもしれないのに。

「…………ドクター、自分は」

「結論を急ぐ必要はない。君はまだ当分の間は退院できないし、悩むのは若人の特権だ」

 突き放すように告げ、作業に意識を没頭させながら、ドクターは告げた。

「だが、安心していい。君は戦場から離れられない」

 理由を尋ねることはしなかった。そう断じられたわけはぼんやりと理解していた。新しい道具を手に入れたなら使ってみたくなる。どれほどのものか試してみたくなる。青年はすでに強化されていたし、そしてまた、その能力が適合する環境といえば戦場しかなかった。

 情報/青年を自主的に戦場へ向かわせるために開示された秘匿事項。

 連邦の総力を挙げての〈オルアデス〉開発競争は激化の一途を辿ったが、ほどなくして避けようのない命題を突き付けられた。それはまた〈イーバ〉との違いでもあった。

 その腹にパイロットを抱えているかどうか。いくら機体性能を向上させたところでパイロットが操作できなければ、パイロットの体が機動に堪えられなければ意味がない。科学者が試みた解決策は二つ。最終的には無人機への転換を見据えた戦闘用補助システムの開発と、機体に合わせて人間を科学的に強化エンハンスする方法。どちらにも課題はあった。前者は、広域ネットワークに接続されたAIにより管理・運用される〈イーバ〉は電子戦にも長けており、システムを乗っ取られるのではないかといった危惧。後者は、単純かつ普遍的な生命倫理の壁。

 科学者は言い訳エクスキューズを求めた。人体にメスを入れるための建前を探した。

 結果として、青年のような通常の医療行為では死ぬしかない人間が選ばれた。これは改造ではなく救命行為であると、彼等もまた欺瞞を打ち立てた。

 PFCの海に麻酔薬セボフルランが投入される。意識が裏返る寸前、青年はカプセルに干渉した。

「…………そうか。それもまた、人類が失ってはならない矜持だ」

 カプセルの中で眠りに落ちた青年を見下ろし、ドクターは呟く。

「好きにするがいい。どこに属するか、ただそれだけの問題だ。生きる場所は変わらない」

 青年の訴え。

《自分は、戦場に戻る前にやらなければならないことがあります》

 何をやるのかね、ドクターの質問に対する返答。

《あの日、自分が死ねと命じた部下の亡骸は、未だ征野に残されているのです》



 斥候型スカウト/四脚で戦場を疾駆する鋼の猟犬。全長は二メートル程度と、偵察型リコネサンスを除いて最も小柄な機体。頭部に多数の偵察型を格納しており、敵陣地の位置や部隊配置、敵戦力の規模といった陣地攻略に不可欠な情報の収集役を担う。武装は背面装甲からそそり立つ一二・七口径の重機関銃のみだが、最高時速一二〇キロを記録する運動性能とその小型性により捕捉を困難とし、一度ひとたび投入されれば戦場を至上のカオスへと染め上げる。

 だからこそ、シデンは驚愕する。

 主砲から放たれた徹甲弾が正面の斥候型を貫徹。副砲の汎用機関銃が七・六二ミリ小銃弾をバースト射撃でばら撒き、左右に展開した斥候型の脚部のみを正確に破壊していく。換装された高周波ブレードが倒れ伏した斥候型の頭部へと突き立てられる。それら全ての攻撃を同時に行いながら、正確に敵の射線から外れるように機体を動かし続ける。

 認識が間に合うはずがない。操作が追い付くはずがない。

 なぜ〈オルアデス〉の兵装が一門ずつの主砲と副砲、換装を前提とした前脚しか実装されていないのか。車長、砲手、操縦手、装填手の共同によって運用していたかつての陸戦車と異なり、〈オルアデス〉では一人のパイロットが全てを担う。優秀なアシスト機構により運用に堪えるとは言え、ヒトの能力が有限である以上、理論上不可能な事柄は存在する。

 並のパイロットであれば走行と射撃が寸断される。

 優秀なパイロットであれば行進間射撃――走行中の射撃――を可能とする。

 シデンのようにエースと呼ばれるパイロットであれば立体機動を組み合わせることができる。

 それではグリムのような挙動は、どうすれば可能となるのか。

〈オルアデス〉に適応させるための人体への科学技術の応用。人為的な強化エンハンスメント

 遠隔操作コントロール/プリンセスが称えるところの能力ギフト

 炎に包まれたコックピットの記憶。電子回路が焼け落ちたためにキャノピは開かず、手動で開けようにも体は動かない。血の味がする。熱によって目を開けることもできず、自分の体がどうなっているのか、それさえも認識できない。

(ろくな死に方はしないだろうと思っていたが、そうか、俺は焼け死ぬのか)

 耐火性の戦車搭乗服越しに肌を炙られながら、その苦痛に、部下達が一足先に旅だったあの世へと早く送り込んでくれと心から願う。熱と恐怖と苦痛に襲われ、それでも体は動かせず、潰れた喉からは悲鳴さえも上がらない。

(誰か、誰か――殺してくれ。楽にしてくれ)

 死を願った刹那、キャノピの開く音がした。何かを叫ぶ声、〈イーバ〉ではない。度胸ある兵士なら戦場の手引きに従って速やかに楽にしてくれるだろうと安堵し、意識が裏返る。

 そして、青年は覚醒した。

「おはよう。意思確認を省略しての施術には勘弁してもらいたい。何しろ計六発の被弾による内臓の損傷と粉砕骨折、全身の熱傷、熱気の吸入による食道と気管支の爛れ……よくぞ搬送中に死亡しなかったものだ。君はとことん死神に嫌われているようだ」

 饒舌な言葉。男の声。

「君への施術の詳細はレポートに纏めてある。後で目を通しておきなさい」

 包帯が巻かれているのか視界は暗く、けれど、青年は別の世界を知覚していた。

 光による世界ではなく、電子による世界。正確には部屋中の医療機器に干渉して得られる、電子機器が観測している情報を五感とは異なる第六の感覚として認識していた。

「移植したばかりでまだ馴染んでいないんだ。無茶はしない方がいい」

 医療カプセルのスピーカーに干渉。音声ガイドを書き換え、任意の言葉を流す。

《これは何ですか》

「ぼくらの医療の副産物であり、何かという質問には、君が今まさに行っていることだと答えよう。移植された金属繊維の肌による電子的干渉能力。電子世界の認識と操作。理論上は、プロテクトさえ突破できたなら〈イーバ〉をも支配下に置ける後天性ギフテッドだ」

 金属繊維の肌による認識。〈イーバ〉の位置、自機の〈オルアデス〉の位置。砲身がどちらを向いているかといった認識に留まらず、命令系統に於ける電子の流れを知覚することで次の行動さえも認識する。

 金属繊維の肌による操作。〈オルアデス〉の電子回路に介入してダイレクトに操作する。

 脚部へと干渉。前進のための動作を強制的にキャンセル、鉤爪のような脚を突き立てることで急停止する。その直後、僅か十五センチの距離を徹甲弾が過ぎる。認識/軽戦車型を筆頭に〈イーバ〉が徐々に距離を取りつつある。六十対二の構図、物量で叩き潰すつもりだったが斥候型の思わぬ損失に陣形を整える算段らしい。

「シデン、敵機はV字に広がりつつある。二十機の軽戦車型のうち計十六機が左右に展開、斥候型も多くがそれに随伴」

《あまりにも見え透いた鶴翼の陣ですね。戦力の薄い中央を突破しようとすれば両翼が閉じられる。ハハ、たかが十機程度の損失で作戦を変えるとは、此度の〈イーバ〉は臆病なことだ》

 嘲弄の言葉を吐きながらも、そこに笑声は入らない。シュナイゼルの優秀な〈走狗〉は、目的遂行のために己のプライドをつまらぬものと切り捨てる。

《貴殿が何をしているかは分からない。だが、閣下が貴殿を信頼するように、私も貴殿を信頼しよう。この機体は如何様にも用立ててくれて構わない。突破できるな?》

「ミタカまで前進すれば俺達の勝ちだ」あれほどまでに疎んでいたのに、不思議と、シデンの命運を握ることを重荷とは感じなかった。彼は生き残ると信じているのだろう。

「両翼が閉じる前に中央を突破する。反撃は最小限でいい。回避と前進を優先しろ」

了解コピー

 吶喊の雄叫びも鬨の声も上がらず、静かに、されど猛然と二機の〈オルアデス〉が動き出す。鶴翼はまだ展開し切っていない。躊躇うことなく中央突破を図ろうとする敵機に合わせて両翼が閉じていくが、〈オルアデス〉の後背についた機体は少ない。プリンセスの沈黙を訝しみながらグリムは電子世界へと意識を沈ませた。認識/敵機の布陣、絶え間なく旋回する砲身の動きと射撃のタイミング。全身に移植された代謝性の金属繊維の肌が、一種の電算機として働く。認識した事柄を処理、着弾点を導く。

「三十センチ、右に」

 シデンの反応も早い。ワンオフではなく汎用機を駆り、グリムのように能力ギフトも持ち合わせない。だが、彼我の圧倒的な戦力差に怯むことのない胆力を持ち合わせ、凄絶な弾雨を浴びながら的確に〈オルアデス〉を駆動させる。純粋なパイロットの腕としてはグリムを凌ぐ。

 正確に右へとずれた直後、高速徹甲弾が着弾する。六八〇ミリの装甲さえも貫徹する凄まじい威力を有した砲弾。回避に成功したとはいえ衝撃で機体は揺さぶられ、舞い上がった砂礫が装甲を削る。揺らいだ機体の制御は振動抑制装置オートバランサーに任せ、シデンは主砲を旋回、牽制のために応射する。どこまでも怜悧に/恐怖に堪えられなくなった者から死んでいくと知っている。

 倒壊した建物で射線を遮り、ただひたすらに前へ。

 キチジョウジに到達。九階建てのターミナルデパートの陰に入ったところで、〈イーバ〉の砲身が一斉に上方へと向けられたことを認識した。一糸乱れずの正確な射撃。毎分二十発の連射速度を誇る軽戦車型二十輌に砲弾を撃ち込まれ、巨大なデパートが四階から折れるように倒壊する。降り注ぐ瓦礫の雨と立ち込めた砂塵に視界を奪われ、追い打ちをかけるように後背から迫ってきた斥候型が重機関銃を連射する。瓦礫に潰されることなど歯牙にもかけず。

「構うな、進め」

 さらなる加速。当たり所がよければ堪えられる機関銃の弾雨と、まともに下敷きになれば走行不能へ追い込まれる瓦礫の雨。どちらの回避を優先するかと言われれば考えるまでもないが、

《いい度胸をしていますね、貴殿は》

 主砲と副砲を目一杯仰角に上げての斉射。降り注ぐ瓦礫を少しでも細かくしてやろうと、覆水を盆に返すような行為はせず、己の実力と勘だけを頼みに走破する。

 キチジョウジを抜け、ミタカまでの距離が二キロを切る。〈イーバ〉の築いた陣形は〈オルアデス〉を包囲すること能わず、雑然と入り乱れ、反撃も最小限にただひたすら西進する二機を撃破することができずにいた。それどころか、自らが引き起こしたターミナルデパートの倒壊により斥候型十五機を失い、主力の軽戦車型は全機健在とはいえ部隊の損耗率は五割に上る。常の軍隊であれば作戦継続不能と見做される状況で、しかし、その内部に人間を有さない〈イーバ〉に撤退の二文字はない。全機が撃滅されるまで止まることのない鋼の軍団。

 降り注ぐ弾雨はなお一層の苛烈を極め、距離を取った背後からの砲撃には応射する術もない。殿のいない撤退戦は砲火を浴びせられるままとなり、いくら頑健なパイロットとはいえども長くはもたない。

《ミタカに入りました》シデンの喚くような報告。

《捉えたわ》秘匿回線を通じて鋭く届いたエレナの声。《衝撃に備えて》

 警告から十秒後、〈オルアデス〉の後背の大地が爆ぜた。臓腑が締め付けられるほどの衝撃と重圧な轟音。〈イーバ〉諸共、都市が文字通り粉砕されていく様子をスクリーン越しに捉え、衝撃でひっくり返りそうになった機体を制御しながらシデンは怒鳴った。

《諸共に吹き飛ばすつもりですか⁉》

《ばかね、外さないわよ》

 制空権を〈イーバ〉に奪われた連邦軍が整備した面制圧兵器の一つ、前世紀の遺物とも謳われる四一センチ要塞砲による砲撃。〈イーバ〉の出現により、戦争は変質した。〈オルアデス〉に代表される新時代の兵器の台頭と、時代にそぐわないとして廃れていった兵器の復権。

 人類は総力戦を強いられていた。総ての人的資源、総ての物的資源。文献を紐解いてまで、あらゆる叡智と技術を結集させての徹底抗戦。破甲榴弾によって磨り潰されていく都市の中、一つ、また一つと〈イーバ〉が沈黙していく様子を認識する。それは無人の軍団が持ち合わせない断末魔の声に等しかった。最後までグリムとシデンを追い続け、榴弾に引き裂かれる。自己という概念は持ち合わせず、与えられた命令に従って擱座するまで動き続ける兵士。

 何が違うのだろう、とグリムは思う。二年前のあの戦場で「徹底抗戦の末に死ね」と命じられ、結果的に生き残ったとはいえ、最後まで突き進み続けた自分と。大いなるうねりの中に組み込まれた駒であることには変わらないのだといった観念がグリムを支配する。

 タチカワ基地に辿り着く。プリンセスの身柄を引き渡し、シュナイゼルから労われる。言葉の端々から『期待する』臭いが漂う。同時に『優秀な駒をいつまでも遊ばせておく余裕はない』といった圧力を意図的にかけられる。

 割り当てられた部屋に入り、戦車搭乗服の上衣を脱ぎながらエレナと繋ぐ。

《お疲れ様、グリム。怪我はない?》

「俺は大丈夫だ。ただ、〈オルアデス〉の脚が一本やられた。それから主砲も。砲身がひん曲がった」

《すぐに整備するわ。戻って来れるんでしょう?》

 即答できなかった。代わりに、ドクターに告げた言葉が熱とともに蘇る。あの感情と決意に偽証はなかったと断言できる。だが、欺瞞がなかったとは言えない。自分が死ねと命じ、その通りに殉じた部下の亡骸を征野に残してはおけない。その気持ちは確かだったが、同時に、向き合うための時間が必要だった。挫けた戦意と覚悟を胸に宿すための時間が。

「二年もかかったが、戻ろうと思う。ドクター・シュタットフェルトの元に」

《……理由を聞いてもいい? それは誰のために?》

「俺が進むべきだと、信じるためだ」



 破甲榴弾の嵐にも怯まず、潰えるまで砲撃を繰り返す〈イーバ〉の群れの中から一機の斥候型が離脱する。外見に差異は認められないが、その動きは、ただ広域ネットワークに支配されているとは思えない自律性を備えていた。安全圏まで逃れてから、遠ざかりつつある〈オルアデス〉を睨む。その全てを仔細に記録するように、光学センサを朱く輝かせながら。

《広域ネットワークにマザーへの接続を申請。当機の個体識別名はポイニクス》

《マザーへの接続を許可。報告を》

《リトルマザーの捕獲と追跡を断念。以降は偵察型による動向把握に努める》

《マザーより通達。リトルマザーの監視を継続せよ》

《了解。追加報告、ポイニクスのオリジナルと思しき個体を発見した》

《――マザーより追加通達。監視任務への増援を派遣する。以降、貴機は〈ネオ・アストライア計画〉の遂行を優先せよ》

《了解。接続終了、任務を遂行する》

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