reasons for being called

 シュナイゼルに繋ぐ。敵かと問えば、そうだと端的に返る。

(ここらが潮時か。回収屋が介入するには、そろそろ事が大きくなりすぎた)

 別れを告げることもなく、プリンセスとの通話を打ち切る。

「敵の狙いはプリンセスの身柄だ。彼女には我々を勝利させる用意がある。せいぜい、総力を以って守り抜くことだ」冷徹とも呼べるほどの突き放すような忠告、死を牽引する青年グリムリーパーからすれば破格の忠言だとシュナイゼルは嗅ぎ分ける。その上で猛将は打ち明ける。

「プリンセスを当基地から脱出させる。すでにタチカワ基地から受け入れの了承は得ている」

 作戦行動を余所者に漏らすわけ。見え透いた猛将の思惑に舌打ちした。

「おい、俺は軍属じゃないぞ」

「足の速い機体が必要だ。手練れのパイロットも。……女王の調教機エレシュキガル・カスタムを供して欲しい」

 やはり、そう来たか。青年は思案する。拒めば脱出さえもままならないだろう。この基地内の全ての権限は、あの男シュナイゼルが握っている。理由をつけられ、封殺されるのが関の山だ。

「兵士の退路を断つ手腕は、二年前から少しも精彩が欠けていない。やはり、あなたは優れた将だ」褒められても困る、と鷹揚に返された言葉に歯噛みしながら、青年は前を向く。

「俺の機体を八番格納庫に回せ。そのままだと狭い。武器と弾薬さえあればいい。糧食の類は全て降ろさせろ。そうすればプリンセスくらい乗せられるはずだ」

 シュナイゼルから詫びの言葉が入ることはない。ただ一言、任せたとだけ。任されたものがプリンセスの身柄なのか人類の未来なのか、そんなことを気にしている余裕はなかった。足早に歩きながら腰に巻き付けていた戦車搭乗服パンツァーヤッケを着込み、インカムを耳に填める。

「聴いていたな、エレナ」

《えぇ、聴いていたわ。あの人は、また、あなたに死ねと命じるのね》

 嚇怒を滲ませたエレナに愛おしさすら感じながら、青年は目を瞑り、如何なる感情の揺らぎも悟らせぬままに応える。沈着であることで少女の懸念を拭えると知っているために。

「エレナ、その感情は、今は切り捨てるべきものだ」

 落ち着け、と訴える。その言葉は自分に向けたものだったかもしれないが。

「死ねと命じられたわけじゃない。生き延びろとの命令だ」

 そのためには女王の導きが必要だった。言外の意を汲み取ったのか鼻を啜り、エレナは言う。その声音には勇ましさが宿り、死なせないと覚悟に燃ゆる。

「タチカワまでの経路は転送済み、〈イーバ〉の探査も展開したわ。接敵は極力避けて」

了解コピー

 八番格納庫へ。自機の〈オルアデス〉を覗き込むとすでにプリンセスは搭乗していた。画面越しに見たときと同じく、手足の自由を封じる拘束着にアイマスクと猿轡。扱いに異議を唱えるつもりもないのか、ただ慄然とそこにいる。青年には、それが無性に気に食わない。

 プリンセスを運んだと目される兵士に視線を移す。

「こいつの拘束を解け。速やかに」

「……バカな。〈イーバ〉を自由にさせるなど、何が起こるか分からない」

「俺はこいつを生きたまま移送しろと命じられた。死体を運べとは言われていない。〈オルアデス〉が撃破されたとして、この状態の人間に走って逃げろと言うのか? 束縛した者を戦場に連れ出すというのは、死ねと告げるに等しい」

「だが、奴は捕虜だ」

「履き違えるな。奴は、決して死なせてはならない捕虜だ」

 互いに譲らず、心胆を推し量るように睨み合う二人へと割り込む声があった。

「よいではありませんか。解き放してあげなさい」

 銀髪と見紛うほどに色素の薄いブロンドの髪と露系の顔立ち。若い兵士だった。引き締められた体躯に、理知と思慮深さを窺わせる広い額。判で押したような優秀な軍人像。

「セルヴェス小隊所属、隊長のシデンです。シュナイゼル少将より貴殿の随伴と護衛を仰せつかりました」慇懃と頭を垂れながらも、隠す気のない反感の臭いが鼻を衝く。シュナイゼルの虎の子。最も信を置かれていると自覚しているからこそ、この采配を疎ましく思う臭い。人類の命運、世界の展望を託した相手が軍人崩れの回収屋であることへの恥辱の臭気。

「背後から撃たれそうだ、という顔ですね」

 指で拳銃を形づくり、グリムへと向ける。シデンもまた杳として知れない性質だった。

「ご安心を。私は信頼を裏切ることを最も厭う性質でして、任務は忠実に遂行しますよ。貴殿の機体に弾丸を撃ち込む場合があるのだとすれば、貴殿が擱座したときのみです」

 シデンの背後に鎮座する〈オルアデス〉を一瞥する。都市迷彩の施された機体。主砲に刻まれた個体識別記号パーソナルマークは〈走狗ランニングドッグ〉、目的遂行のためには如何なる卑劣も辞さないミニオン。

 すべての行動はシュナイゼル少将のためにオールアクト・フォー・マイジェネラル。シデンの理念であり、シデンの正義。

 シュナイゼルがグリムに価値を見いだしている限り手出しはしないとほのめかす。

「コード四〇八、女王の導きを受けるための回線だ」インカムを指差し、グリムは言う。

「四〇〇番台? 民間人が秘匿回線を有しているのですか?」

「優秀なんだよ、うちの女王様は」

「……いいでしょう。貴殿と私の二人組ツーマンセルです」

「ブリーフィングは要るか?」

「いいえ、結構。貴殿は好きなように動いてください」自信と責務を滲ませて。断言する。

「委細は私が調整します」



 前線基地を二機の〈オルアデス〉が出立する。タチカワ基地までおよそ二十八キロの道程。前進してくる〈イーバ〉の軍勢には背を向けての遁走。前方の空は傾いだ陽を受けて紺色に染まり、背後の空は、薄く濁った赤橙色に染まっている。〈イーバ〉の放つ偵察型リコネサンスが演出する幻惑の空。透過性のある金属翅が夕焼けを撹乱することで起こる現象。

「偵察型に補足されました」シデンの忠告。

「このタイミングで基地を離脱する部隊はプリンセスを連れていると思われるだろうな」

「えぇ。だからこそ、我々は二機で行動しているのです」

 グリムとシデンの出立に合わせて基地を離脱した部隊は、総数として十五に上る。そのどれもが〈大切な積荷〉を抱えているとほのめかすように厳重な護衛を従えていた。プリンセスのために整えられた犠牲スケープゴート。〈イーバ〉に群がられたなら、全損とは行かずとも、少なからずの死者は出る。敵を生かすために死の淵へと行進する兵士達を憐れと見做すことは傲慢だ。彼等の死は、彼等の犠牲は、プリンセスを輸送する青年の安全のためでもあるのだから。

 メインスクリーンを睨みながら、双肩に圧し掛かった重責に息を詰まらせる。それはまた、悔悟の念でもあり、己を卑怯だと叱責する声でもあった。他人に死ねと命じたくないのだと、シュナイゼルの誘いを断るために訴えた。戦場では一人でありたいのだと、孤高を気取った。現状はどうだ。自分はただ、自分のために死んでくれという言葉を、他人に告げさせただけだった。それがシュナイゼルの立場であり、彼の責務であるという言い訳は通用しなかった。

「……速度を上げる。ついて来れるか?」

《私を気にかける必要はないと告げたはずです》

 それならば、遠慮なく。女王の調教機エレシュキガル・カスタムの真髄発揮。内燃機関が低く唸り上がり、〈オルアデス〉の脚先が一瞬沈みこんだ。楔を穿つように地面に叩き込まれた脚が胴体を跳ね上げさせる。振動抑制装置オートバランサーの制御を振り払うほどの無茶な立体機動。平面での運用を前提とした陸戦機による、不完全ながらの三次元駆動。だが、恐るべきは。

(立体機動用のワイヤーアンカーに頼らず、推進機構のみでそれを可能としますか。さすがは機構学の申し子と謳われたエレナ嬢のワンオフだ)

 舌を巻きながらも、シデンの反応も早い。即座にワイヤーアンカーを射出してグリムの機体に追い縋った。引き離されることは決してなく、機体性能の差をものともしない。それだけでシデンの優秀さが窺い知れるというものだった。

 レーダースクリーンを一瞥する。友軍機を示す青のブリップと、敵機を示す赤のブリップはそれぞれの塊となって散りばめられ、徐々に交錯していった。接敵の報告が入ることはなかったが、敵味方問わず、それまで燈っていたブリップが消失し始める。悲鳴は聞こえない。助けを呼ぶ声も、懇願も、嘆願も、決意と狂気に彩られた吶喊の声もなく。ただ、輝点が消失するだけの無味乾燥な光景が、誰かが戦死したことを知らせる。

 いつから、ヒトの命はこんなにも安くなったのだろう。

 いつから、ヒトの死を感じながらも心を痛めなくなったのだろう。

「何を悩んでいるのですか」煩悶する意識へと挿し込まれた少女の聲。拘束を解かれたプリンセスは軽やかに舌を躍らせ、青年の感情を見透かして、煽動する。

「なぜ、あなたはそれだけの能力ギフトを与えられながら、躊躇うのですか」

「……随分と知り尽くしているような口振りだ」

「それが私の能力ギフトですから。私はすでに、びっしりと、この世界に根を張っている」

 大規模侵攻から五年。すなわち、本意ではない侵略戦争を叔母が興してから、プリンセスが動くまでに要した時間は五年。幽閉されていたとプリンセスは言った。同時に、人類を勝利させる用意があると傲岸不遜にも言い切った。命からがら逃げ出してきたわけではない。満を持して。五年もの歳月を費やして根回しを済ませ、勝利への道筋を確かなものへとしてから現れたのだと見做すべきだろう。

「ならば、なぜ人間に頼ろうとする」

「私は〈駒を操る者コマンダー〉です。民衆を熱く煽動し、武勇だの名誉だのといった実体のないものに至上の価値を感じさせ、戦場へと駆り立てる〈教唆する者インスティゲーター〉です」

 やはりそうか、とグリムは静かに思う。それが生まれつきの王族としてなのか〈イーバ〉だからなのかは分からないが、プリンセスにとって地球人類は駒でしかないらしい。

 不思議と反感は湧かなかった。世界はすでに狂気で満たされているのだから。世界に棺桶が降り立ったあの日から、〈イーバ〉が共存ではなく強奪を選択したあの瞬間から、世界の関節は外れてしまった。狂った世界で明日を望む人々も、信念やら矜持やら、あらゆるものを歪ませて、自分自身へと欺瞞の網を張り巡らさせた。ただひとつの目標に向かって、あらゆるものを削ぎ落としながら、あらゆる罪と失墜から目を逸らしながら、前に進むしかなくなっていた。

「俺は、アンタにとって有用な駒なのか?」

「私の見立てでは。そしてまた、それを見極めるための機会は訪れました」

 レーダースクリーンの端に突如として現れ、中心点へと飛来する影。

《グリム! 棺桶からポッドが射出された!》エレナの警告。

「あぁ、視えている」

 グリムの進路と交錯するように鞘は滑空する。そして、直上に達したところで、ホウセンカの実が種子を撒き散らすのと同じように弾けた。分厚い人工筋肉の膜で保護されていた〈イーバ〉が空中に散布される。フィンによる姿勢制御とブースターによる減速処置を一瞬で済ませ、無防備な空中における被害を軽減するために弾幕を張り巡らせる。

 グリムとシデンは一斉に散開、射線から逃れる。次いで、シデンが煙幕弾を撃ち上げる。空中に咲いた極彩色の雲は重く広がり〈イーバ〉の視界を奪ったが、弾幕の止む気配はない。

「損耗を顧みない物量戦こそ〈イーバ〉の強みだ。少数精鋭を気取ったのが仇になったな」

《暢気に評論家ぶっていないで、貴殿も応戦してください》

「そのつもりだ。エレナ、」

《まだ遠いわ。ミタカまで前進できる?》

「女王の命令だ、是非もない。シデン、前進だ。好きなように振る舞ってくれ」

 指示する間に、エレナから敵機の情報が届く。斥候型スカウト四十機、軽戦車型ライトタンク二十機から構成される小隊規模の編成。〈オルアデス〉二機と相対するには、あまりにも過剰な戦力だった。

 死の予感に意識が研ぎ澄まされていく。肌が粟立ち、認識する領域が急速に拡大することでその眼差しに気付く。見極めてやる、と宣告するような乾いた視線。シデンのものであり、そしてまた、プリンセスのもの。認識と接続。憂いを振り払い、徹甲弾を主砲に叩き込む。

『安心していい。君は戦場から離れられない』声が聞こえた。記憶にこびりついた、青年の未来を規定する宣告。抗い続けること二年余り。半端な身の置き方をし続けて二年余り。軍属ではなく、自分は命を賭けたりしないのだと言い訳のように喚きながら、振りかかる火の粉を払い続けてきた。両足を下ろした大地が紛いなく戦場であることには目を逸らして。

 躊躇いのない動作。主砲が斥候型の痩躯を捉える。引き鉄を引くことに抵抗はない。それは撃破しようとする敵機の中に人間がいないためではなく、自分はそうすることでしか有用性を証明できないといった諦めに近い恐怖のためだった。

 その身命を戦火に晒しながらも死者を回収し続けてきた青年が、牧師ミニスター葬儀屋アンダーテイカーではなく死神グリムリーパーと呼ばれたわけ。青年に注がれる、軍人からの蔑視と反感のわけ。

『アイツは戦えるのに。俺達より、ずっと』その背中を到達すべきものとした人物の声。

『死なせずに済んだかもしれないのに』青年が回収してきた遺体を受け取った人物の声。

イーバに死をもたらす者グリムリーパー〉となることを望む人々の声。

「……プリンセス、アンタはどこまでを見通している」

「どこまでも」背後のプリンセスが嫣然と笑む様子さえ、青年は知覚する。「私は起爆剤です。〈イーバ〉にとって、〈アストライア〉にとって、地球人類にとって。正しく連鎖されたなら、どこまでも燃え広がってみせましょう。あなたはどうですか? あなたの火薬は、まだ湿気てはいませんか?」

 返事をする代わりに、青年は徹甲弾を撃ち出した。轟音/貫徹/沈黙。

(あぁ。すでに、焦げ付いている)

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