second encounter

「それで、味方に見放された孤立無援の状況からどう生還したの、ラフィングフォックス?」

それラフィングフォックスはもう俺のものじゃない」

「あら、失礼」

 尋ねる声は明朗で、応じる声は渋く、低い。赤い唇を笑ませたのは毛先だけを朱に染めた栗毛の少女。齢は十八かそこら。化粧ののっていない肌には、代わりに機械油が斑のように散りばめられている。軽口を叩くその間にも、操作パネルを行き来する手によどみはない。

「でも、あなたを知る人は誰しも不思議がっているわ。生きることを放棄させられた、いいえ、死ぬことを義務付けられた雑兵が如何にして〈イーバ〉の猛攻を掻い潜り生還したのか。あなたが実は〈イーバ〉と通じていて、間諜として舞い戻ったのではないかと噂立つくらいに」

「だからこそ、戻ったときには葬儀が終わっていたわけだ」

「あれは滑稽だったわね。同じ貌が見つめ合っているんだもの。片方はひどい仏頂面だったけど」

 もう片方はひどく生気を欠いた、幽鬼のような貌をして。

「でも、そうね、もう二年前のことだもの。今さら掘り返しても酒の肴にもならないか」

 つまらなそうに締めくくった少女を流し見て、夜闇のような黒髪と血赤の瞳の青年は息を詰まらせる。思い返すのは二年前の戦場と墓標の群れ。彼が〈ラフィングフォックス〉でなくなり、〈グリムリーパー〉と呼ばれるようになった日々のこと。〈エレシュキガル〉と呼ばれる少女とともに軍を離れ、それでも征野を駆けずり回った日々のこと。

 自分は何をしたいのだろうか。死を免れ、何をすべきなのだろうか。

 数多の亡骸を葬ってきたこのかいなに、掻き抱かれるものはあるのか。

 手元の端末機器が振動し、ダイレクトメッセージの受信を告げる。

「仕事だ、冥界の女王エレシュキガル

「今日は誰の死体を運ぶのかしらね、死神グリムリーパーくん」

「特級品だ。競合区域に入ることになる。兵装を近接戦仕様に換装しておいてくれ」

「ということは、今日こそは〈イーバ〉の死体にお目にかかれるのかしら」

「無人の軍勢、それが〈イーバ〉だ。どうせ今日も卵の殻だけだろう」

 黄身にも白身にも手をつけられず、殻だけを割り続けた戦争に終わりは見えない。世界を変えられるとは傲慢にも思えず、自分如き小さな駒によって世界が変わるとは信じられず、諦観だけを胸に潜り込む〈オルアデス〉の操縦室は窮屈で、鋼と油の匂いに脳が麻痺していく。

 レーダースクリーンに街の地図と目標を示す橙赤のブリップが表示される。〈オルアデス〉の起動とともに粗悪な振動が内腑を揺さぶる。歳月をかけて緩やかに先鋭化されてきた機体性能だが、果たしてパイロットへの配慮に関しては目を逸らされてきた。

 有人搭乗式多脚型陸戦機〈オルアデス〉。パイロットの搭乗する前体部と弾薬等が収納された後体部が連結され、八つの脚部が機動を制御する。前体部には主砲と副砲がそれぞれ一門ずつ据え付けられている。理論上は六脚で自重を支えることが可能であるため、前二脚を白兵戦用の高周波ブレードや立体機動用のワイヤーアンカーに換装している機体も多い。

〈イーバ〉との決戦に向けて人類が開発した兵器、その真髄こそが〈オルアデス〉。

 それでも、埋められない差は歴然としてある。機体性能に留まらず、損失を顧みない物量と特攻の精神、そこに賤しくも絡んでくる高度な戦術。人間の支配する、人間の存在しない軍隊とは斯様な在り方を示すのかと、唸らずにはいられないほどに。

 種々の色は戦火によって塗り潰され、灰色と化した街並みに擱座した〈オルアデス〉が紛れ込む。資源の奪い合いをしていたかつての戦争ならばいざ知らず、撃破された機体を回収する意味は、統一された連邦軍には薄い。それでも順繰りで青年の元に回収の依頼は来るし、回収ペースをはるかに凌駕する勢いで撃破されていく〈オルアデス〉に嫌気を差すこともなく、青年は仕事を全うする。

 あれは、勇猛な戦士の墓標だ。

 人類の存続のために未知と立ち向かい、殉死した気高き英霊の最期の痕跡だ。

 そこに戦略的な意味はなくとも、たとえ新たな犠牲を生む可能性を孕んでいるとしても、祖国で待つ遺族の元へと返してやらねばならない。そのために青年がいる。

〈オルアデス〉の墓標を、英霊の屍を、はたまた〈イーバ〉の残骸を。

 喪失を僅かでも埋めるために、人類の存続に資するために。安全の確保された占領区域を、〈イーバ〉との交戦が予想される競合区域を、エレシュキガルの後方支援を受けながらとはいえ〈オルアデス〉単騎で駆けずり回る。回収してきた数はそれでも〈イーバ〉の鹵獲機の方が多くとも、搔き集めてきた墓標の数は、数え上げるには気が遠くなるほどに多く。

 青年が現れるところ、墓標は積み上げられていく。いつしか因果は逆転し、青年が現れたことで墓標は積み上げられていくと認識されるに至る。

 それ故に冠せられた異名が〈死を運ぶ羊飼いグリムリーパー〉だった。

「グリム」と呼ぶ声がする。グリムリーパーと呼ぶのは長いからと、彼女は青年のことを縮めて呼ぶ。本名で呼べばいいだろうにと、青年は当てつけのように本名で呼び返す。

「どうした、エレナ」

 エレナ・ハイル・シュタットフェルト。元貴族の御令嬢。戦場に咲かすにしては、不釣合いな可憐な果実。油まみれの姿が似合っているとは、口が裂けても言えないけれど。

《連邦軍からの情報を改めて検証していたんだけど、妙だとは思わない? 爆破処理のされていない機体なんて、軍部からすれば喉から手が出るほど欲しいものでしょう?》

 機密の漏洩を怖れてか、〈イーバ〉には行動不能と判定されると中枢回路を重点的に自爆するプログラムが組まれている。内部にパイロットを保有していないからこその思い切りのよさだが、結果として連邦は〈イーバ〉の技術テクノロジーを盗み取ることができずにいる。

 そこに来て、今回の回収対象。世界各地に散りばめられた〈イーバ〉の本拠地である棺桶コフィン、そこから兵士を輸送するためのポッドの撃墜に成功した。通常であれば起こるはずの爆破は起こらず、その内部には無傷の機体が格納されていることが期待される。

《こんなの、私達みたいな回収屋に任せず、小隊くらいは出動させる事案でしょう?》

「連邦が〈イーバ〉の技術テクノロジーを解析したいと望んでいることくらい、連中は気付いているだろう。その気持ちを逆手に取ったとすればどうだ? 分かりやすい餌をぶら下げ、群がった連邦には爆薬の詰まったポッドをプレゼントするつもりだとしたら? 軍部もそれを危惧したんだろう。それなら、回収屋を試金石として当たらせたとしても不思議ではない。たとえ術中に嵌ったところで、死ぬのは軍役すら全うできない回収屋スカベンジャーだけだ」

《そうかもしれないと言われれば、そうだけど……》

 納得できない様子のエレナに、内実、青年にも引っかかる節はある。

 連邦と〈イーバ〉の撃墜対被撃墜比率キルレシオには明白な格差がある。罠にかけるような、追い詰められている側が講じるような苦肉の策に頼る理由が〈イーバ〉には見当たらない。

「熱源探査だけ強化しておいてくれ」

《分かった》

 死なせないから、と意気込むようなエレナの口調。

 青年は〈オルアデス〉を加速させる。今のところ接敵する気配はないが、悠長に構えてはいられない。二年前のような、衆寡敵せずの構図は望ましくない。

 かつては図書館か、音楽ホールか。風雅な造りの施設へと、鞘は挿し入れられていた。

 想像よりも大分小さい。〈オルアデス〉でさえ二機は格納できないほどの全長。兵士の大量輸送を旨とする鞘としては、設計思想からして別物と見做すべきだろう。

 爆発物探知機には、感応を認められず。エレナからも警告の声はない。

「回収作業に入る」

《気を付けて》

 牽引用のワイヤーを射出。鞘の外装にアンカーを突き立てることで強引に固定する。ワイヤーの強度を確かめながら〈オルアデス〉を後退させる。ワイヤーが張られ、鞘の重量がずしりと加わり、〈オルアデス〉の脚部が一瞬沈む。だが、問題はない。そのまま引きずり出す。

 鞘を引き抜いている間に、エレナから帰路を示すガイドマップが転送されていた。

《予想より小さかったから、大幅にショートカットできそう。直近のデータで障害物のない道を選んだけど、異変があったらすぐに知らせて》

 さすが、と心の中で称賛しながら〈オルアデス〉を回頭させる。ガイドマップは頭に叩き込んだ。接敵さえなければ、一時間後には競合区域を抜けられるだろう。

 スロットルレバーを前に。内燃機関が唸りを上げる。

 そのまま進もうとして、強く、切なく、引き裂かれるように響いた声に挙動を止める。

『……見つけた』

 誰かの声。

 競合区域の中心で響いた、少女の声。征野で聞くには不釣合いな、銀鈴の声。

(どこから? 民間人?)

 レーダースクリーンを一瞥、思わずエレナへと呼びかける。

「何か聞こえたか?」

《何かって……いいえ、何も》

 何も、聞こえない。聞こえるはずがない。

 戸惑うような返答に気のせいだったのだろうかと前を向いたところで、また、声は響く。

『見つけた。これで、ようやく……』

 声の方角を探り、背後を振り返る。牽引した鞘。まさか、と疑念が過ぎる。

「……エレナ。十分以内に遭遇する可能性のある範囲に敵影はあるか」

《ない、けど……まさか機外に出るつもり⁉ いくらグリムでも、そんなの無茶よ》

「確かめたいことがある。監視を任せられるか」

《あぁ、もう》苛立つようにエレナは叫び、無線を通じてキーボードを連打する音が届く。

「グリムの無茶をバックアップするのが私の仕事。さっさと終わらせて」

 すまない、と短く告げ、キャノピの開閉レバーに手を伸ばす。連邦軍で制式に支給されているアサルトライフルを〈イーバ〉相手には慰めにもならないと知りながらも肩に提げ、機外へ。途端に、清浄フィルター越しには届かなかった戦場の臭いが鼻腔を穿つ。

 血と硝煙、焼けた肉の臭いと、腐った肉の臭い。鋼と油が焦げた臭い。

 余人であれば思わず足を竦ませるほどの悪辣な戦場の臭気に、果たして青年には慄く様子すら見られない。従軍していたとは、厳密には言えずとも。戦場の狂気に縛られるまま、生き抜いてきた。その過程で常人の感覚が削ぎ落とされてきたことは、必定だったのかもしれない。

 鞘へと駆け寄り、その異様に思わず立ち尽くす。金属、ではない。人工筋肉とでも呼ぶべきであろう、有機質めいたその素材に、言い様のない悪寒が背筋に伝う。

 外部からキャノピを開閉するための機構がどこかにあるはずだった。青年は鞘の仔細を検め、その外面にレバーやパネルなどが一切認められないことに逡巡する。

(破れる、だろうか)

〈オルアデス〉に戻り、後体部格納庫からTNT爆薬を取り出す。茶褐色の、粘土のような爆薬を鞘の外壁に四角く貼り付け、信管を挿し込む。導線を伸ばして距離を取り、起爆。ズシリと、臓腑を揺さぶる振動が重く響く。駆け寄り、確かめると鞘の外壁に亀裂が入っていた。

 いける、と確かな手応え。

 再度爆薬を仕掛け、起爆。今度こそ外壁は吹き飛び、鞘はその中身を露わにした。

 その異質を、世界から秘匿され続けてきたその姿を、人類へと詳らかにする。

〈オルアデス〉でさえ二機は格納できない全長。

 無人の兵士を輸送するための鞘とは設計思想からして異なるだろうといった予見。

 確かに、そうだったのだろう。

 運ぼうとしていたものは、そう呼ぶことが許されるなら、人間だったのだから。

 陽に透かせば燐光を振り撒くのだろう、淡く、清澄なヒナゲシの髪。ヒトに似通った姿には、されど、尖った耳と尾骶骨の辺りから垂れ下がった尾が付随する。

 人間、ではない。人間に似通った、何か。

 その正体について僅かにも予測できないほど無知というわけではなく、人類は、青年は、その実在を確かめるためだけに征野に向かい続けてきたと言っても過言ではない。

 生ぬるい唾液が喉を下り、それを凝視しながら青年はよろめく。

 確かに、鞘の中身は爆弾だった。それも、世界を変えてしまうほどに巨大で、異質な。

 その姿を確かめたいと希求すること、五年余り。無人の軍勢に阻まれ、ヴェールに包まれてきた姿なき脅威ファントムはようやく実体を獲得する。いま、こうして青年の目に触れたことで。この出会いが祝福された結末へと繋がるかは分からずとも、ただ激動の予感だけが胸を焦がす。

「……エレナ、連邦に通信を。最優先捕獲対象〈イーバ〉を発見。鞘は投棄し、中身のみを連れ帰る。道中の安全確保のため、軍の支援を願いたい」

 即応で、了解コピー、と返る。鞘から担ぎ出した〈イーバ〉の手足を拘束し、狭苦しい〈オルアデス〉のコクピットに押し込む。〈オルアデス〉の再起動までの束の間、たじろげば触れる距離にある唇から漏れる吐息の音を妙な心持ちで聞き流す。これが〈イーバ〉、これが人類の仇敵。

 だが、どうしてなのかと心は訴える。征野で出会い、恐らく、征野で散るはずの〈イーバ〉がなぜそのような姿をしているのか。敵意と殺意の標的となるには相応しくない、情愛と庇護欲の対象となる、可憐な、少女の姿を。髪色と揃いの睫毛は合わせられたまま、開かれる気配を見せない。少女は何を語るのか。停滞したこの世界に、少女は何をもたらすのか。

 青年は〈オルアデス〉の中で思惟を弄ぶ。

 どうしようもなく甘美な蜜に群がった、毒蛾のように。

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