#04 清蔵、極楽へ至る
さて一方厠へ出た清蔵と医者ですが、用足しに四半刻もかかるわけはなく、厠の窓から月など眺めながら酔いを醒ましておりました。
「……芸者遊びとは、いいものですね」
「もう今死んでもいいという顔をしておるな」
「いえ、太夫のお色直しを見るまで死ねません」
「お主、太夫に会えないからと寝込んだ割には図々しい。いい性格をしておるの」
「へえ、オヤジさんからもよくそう褒められておりまして」
「誰も褒めておらんぞ」
老医者は清蔵の反応に苦笑しながらも、すぐに真面目な顔になって向き直ります。
「清蔵、太夫をどう思う?」
「へえ、噂に違わぬ、いえ、噂以上の美人でございました。一年頑張った甲斐がありました」
「ふむ……いやお主が満足ならそれでもよいのじゃが……」
「先生、そんな奥歯に何か挟まったような物言いはよしてくださいよ。なんだって言うんです?」
「うーむ……これもお主のためか。よいか、心して聞けよ」
「なんですかそんな怖い顔しちゃって。オイラ今なら何言われてもへっちゃらですよ。なにせ幾代太夫がオイラに会って――」
「あの幾代、ニセモノかもしれん」
「――くれたんで……ハァ?」
何人かの花魁と馴染みになったことのある先生です。花街のルールなどは熟知しておりました。初めての座敷で笑う寄り添う酌をする、いずれも花魁として許されない行為です。それをあの幾代太夫が、この冴えない清蔵にしているのですから、まさにお天道様が西から昇るようなものでありました。
「そ、そそっそんな、ニ、ニニ、ニセモ、ニセモノ?」
「まあ、本物だとしても貧乏人をもてあそんでおるようなモンじゃがな」
「……あの太夫が、ニセモノ?」
清蔵は頭が真っ白になっておりました。一年間必死の思いで働いて、やっと辿り着いた花街でニセモノとホンモノを取り違えて糠喜びをしていたのです。心の中でガラガラと何かが崩れていくようでした。
「ふ、ふふふふ、ふふふふふふふふ……」
「落ち着け、お主が今感じている感情は精神的疾患の一種じゃ。鎮める方法は儂が知っている。儂に任せろ」
「……具体的にはどうするわけで?」
「当然、傾城の主人のところに乗り込んで話をつける。このままでは紹介した儂の面子も立たんからの。……ああ構わん構わん、儂一人で行ってくる。直接に騙されたお主が行ってもなんにもならんじゃろ」
そう言いますと老医者、外へ飛び出していきました。
後に残された清蔵も、いつまでも厠へ入っているわけにも行きません。とりあえず元の座敷へ戻ろうかということになりました。
座敷の前まで戻ってきますと禿が待ち構えておりまして、となりのへやへどうぞ、などと申します。衣装を替えるとだけ聞いていた清蔵はいよいよ警戒します。
「ぬしさん、どうかしたんでありんすか?」
「いや、その……訊きたいことがあるんだ。この中には誰が?」
「おいらんでありんす」
「いやそうじゃなくて……中にいるのは本当にホンモノで?」
「おいらんはおいらんでありんすが?」
禿も不思議な顔をして困っています。この様子では本当のことなんて教えてはくれないでしょう。こうなっては腹を括らねばならないかと深呼吸をいたしますと、パーンと襖を開け放ちました。
部屋の中は座敷とは違って、薄暗く行灯で照らされておりました。部屋には色々と調度品などありましたが、中でも目を引きますのは真ん中に敷かれた布団です。清蔵が普段使っているものの倍は分厚いもので、見るからに寝心地がよさそうです。そしてその布団の脇には花魁が控えておりました。
「お待ちしておりんした」
太夫が一言、つい、と言い放ちますと、三ツ指突いて深々と頭を下げました。一部の隙も無い見事な動作でありました。
これを見た清蔵、いきり立っていた気分がすーっと収まります。触れると切れてしまいそうないい女が自分に三ツ指突いてくれているというだけで満足でした。
そもそも、幾代太夫など職人風情が逢瀬の出来る相手ではありません。そこをニセモノとはいえ用意してくれた女衒の心意気というものを汲まねば野暮というものです。ここは見栄を張って、最後まで付き合ってやろうとなったのでした。
「おう、待たせちまって済まないね」
「いえ、本来ならばあちきが待たせる役回り。それを待たされるのは随分新鮮でありんした」
そんなこんなで香を焚き染めた部屋で二人、差しつ差されつ酒を飲み、段々と雰囲気を作ってまいります。いきなり布団に飛び掛かるなんて無粋は清蔵が許しても花魁が許しません。とくとくとくと徳利を二本、半刻もかけて飲み干しますと、お互い無言になりまして、目と目で通じ合うという様子になりまして、そこで花魁がやっと肌を晒すのでありました。
「ぬしさんに、惚れんした」
幾代は清蔵の手を引いて布団の中へ誘いますとこの文句を吐きます。今まで一度だって本気で言ったことのない言葉でありました。
それを知らぬ清蔵でありますが、胸を射抜かれた思いでありました。ほんの一刻前は凛としたいい女、それが今では猫のように身体をくねらせ男を求めているのです。辛抱たまらんとはまさにこのこと、清蔵はふらふらと布団へ倒れ込んでしまいます。
この夜は草木も眠る時間まで二人睦み合っておりました。
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