#02 清蔵、感謝に涙を流す

 そんなこんなであっという間に一年が経ちまして季節は秋。木枯らしが吹き始めた頃のある日、清蔵がオヤジさんにこう切り出しました。


「オヤジさん」

「ああ清蔵かい、どうしたい」

「お給金のことなのですが」

「ほう、給金か。お前は住み込みで、何時寝ているのか分からないくらい一所懸命に働いてるから、たっぷり溜まってるよ。こないだ帳面を確かめたときには十と二、三両くらいあったかね」

「それ、全部ください」

「なに、全部だと!? 一年は遊んで暮らせる額だぞ、一体何に使うんだい?」

「……約束通り、花魁を買おうかと」


 さあたまげたのはこのオヤジさん。一年前、仕事に身の入らない清蔵にそう発破をかけたのは覚えておりましたが、まさかそれを頭から信じ込んでいたとは思っておりません。いつか嫁を迎えるときのために家財を揃えたりする必要があるだろう、もっと有意義に使いなさい、と説得をしますが清蔵は言うことを聞きませんで、終いにはオヤジさんは嘘つきだ、などと食って掛かる始末。清蔵のあまりにも熱心な様子に、遂にはオヤジさんも折れて給金を渡すことに決めました。

 とはいえこのオヤジさん、若い時分には芸者遊びなどもやりましたが、所帯を持ってからは財布の紐はおカミさんに握られておりまして廓に知り合いなどありません。どうしようかというときにハタと思い出しました。清蔵を使いへ遣ります。


「なんだなんだ、米搗き屋の清蔵が焦った様子で儂を呼びにくるから、すわ旦那の六が倒れたかとやってきたのにお前さん、ピンピンしとるじゃないか」

「おう先生、ピンピンしてるよ。むしろ先生に身体いじくられたら調子が悪くなっちまうくらいだ。……折り入って頼みがあってな、この清蔵を男にしてやっちゃくれねえか」

「なんじゃ、確かに儂は遊びが好きじゃが、そっちのケは――」

「違うよ、吉原に連れて行ってやってほしいんだ。実はな、かくかくしかじかで……」


 当代一の花魁に会うにはやはりツテが必要です。オヤジさんは遊びの好きな裏の先生から辿ろうというのでした。

 話を聞いた医者先生、暫し黙り込んでからあい分かった、そういうことなら協力しよう、と言います。聞けば幾代太夫のいる傾城屋の主人とは顔馴染みとのこと。あちこちに引っ張りだこの太夫だから口を利いてもらっても会えるとは限らんぞ、とも言いますが、横で二人の話を聞いていた清蔵は、もう会えるだけで結構です、なんて感激して、そのまま仰向けにひっくり返ってしまいました。


「清、おい清蔵! ……嬉しくて倒れっちまったのか。しかし頭から落ちたが大丈夫なのか? おーい誰か、医者呼んでくれい!」

「お主の目の前におる儂はなんじゃ」

「藪は勘定の内に入らな……冗談だよ、わざとだよ、ついだよ!

 ……先生、コイツはさ、この一年本当に何時寝てんだか分からないくらいに働いて、やっと今日のコレなんだ。臍を曲げねぇでなんとか頼むよ」

「まあ、手紙を出してはみるがアテにはするなよ」


 とまあそんな感じで二日経ち、吉原から文が帰ってきました。裏の先生は六衛門さんに知らせます。話を聞いたオヤジさんは清蔵を呼び寄せました。


「清蔵、ここへ来て座んな」

「へえオヤジさん、なんでしょう」

「裏の先生がさっき来てな、廓から返事が来たそうだ。……喜べ、『明日幾代の出る座敷がお客のドタキャンで潰れちまった。売れっ子の身体を空けてもしょうがないから代わりにどうだい?』って言ってきたんだとよ」

「ほ、本当ですか!? ……ああ、眩暈が」

「おいおい、一昨日倒れたばっかりじゃないか、シャキっとしないか」

「し、しかしこんなに早く会えるなんて思っていなくて」

「そりゃあ俺もだ。こんなに早く準備するハメになるとは思わなかったよ」


 オヤジさんは清蔵に今までの給金と一緒に一着の着物を渡しました。この着物は、まだオヤジさんが遊び回っていた当時に注文を出した大事な一張羅でした。これを着て茶屋に入れば『ちょいとそこ行く粋な兄さん』なんて持て囃されることも多かったと言います。


「残念ながら数回着たところであのカカアに捕まっちまってな。それ以来遊べなくなって着ていねえがお前にやる」

「へえ、ありがとうございます」

「それからな、こっちはお前の給金だ。帳面整理したら十三両と二分だったんで、ここにイロつけて十五両としてある」

「オヤジさん、一両以上もイロがついてますよ!?」

「これから廓に繰り出そうってぇ奴がそんな野暮なことを言うもんじゃないよ。一年頑張ったご褒美だと思って黙って貰っておきな」

「へえっ!」


 清蔵は涙を流しながら頭を下げました。

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