珍説・幾代餅

@toma5519

#01 清蔵、恋慕に煩う

 時は江戸に将軍が鎮座し、そのお膝元も大いに栄えた頃。

 馬喰町の米搗き屋の奉公人に清蔵という男がおりました、この男、仕事ぶりは真面目でありましたが、齢三十を過ぎてなお嫁がおりません。それを周りの人間は心配して……というお話。


 あるとき、清蔵が商いの使いから帰ってくるなり調子が悪いと二階へ上がってウンウン唸りだしました。それを心配しておカミさん、


「清蔵、調子はどうだい?」

「へえ、よくありません」

「お粥作ったげるからね、それを食べてゆっくり眠れば……」

「食べたくありません」

「そうかい? ……それならお医者にかかろうか。裏の先生呼んできてお薬出してもらおう」

「薬もいりません、自分の身体は自分が一番よく分かっていますから。裏のお医者を呼んでも意味ありやしませんよ」

「お前さん、ご飯も食べない、お医者にも――まあ裏の先生は藪だけれどね――かからない、身体をよくする気はないのかい」

「……具合が悪いのは本当なんです。こう、胸の辺りが苦しくて」

「胸が苦しい? あれまあ、労咳にでもかかったのかい」

「違います。……恋煩いでして」


 清蔵の告白におカミさんが、その顔で恋煩いかい、とゲラゲラ笑うと、清蔵大いに憤慨しましておカミさんを部屋から追い出してしまいます。

 おカミさん、そのことを旦那の六衛門に相談いたしますと、旦那はよし任せろと清蔵の部屋へ乗り込んで一切の出来事を問い質してしまいました。


 話によれば、今日の帰り道に錦絵屋の前を通りかかったところ、なにやら人だかりがあります。それでひょいと中を覗くと、大層綺麗な女の絵が飾られていたとのこと。


「なんだい、お前錦絵にホの字かい。二次元最高なんていい歳した男がリアルで言うもんじゃないよ。せめて布団の中だけに留めておきな」

「……オヤジさん、オイラは錦絵のモデルに惚れちまったもんで」


 その絵のモデル、幾代太夫と呼ばれる吉原の花魁でありました。当代きってのいい女と巷でも評判の美女でありまして、見目麗しく頭脳は明晰、更には気が強く気風がいい、冬の空のように乾いて心地よいと評される、そんな女でした。

 さて清蔵、一目惚れに茫洋とした頭で周りの人にどうすれば描かれた人に会えるか、と訊いて回ったところ、『中の人などいない』『当代一の花魁に職人風情が会えるわけ無いだろ常考』など散々に笑われました。

 太夫に会えないと分かったことで清蔵は途端に胸が苦しくなって、背中には冷たい汗が流れ、ついには寝込んでしまいました。


「オヤジさん、オイラこのまま恋煩いで飲まず食わず、干物みたいになって死んじまうんだ。……最後に太夫に会ってみたかった」

「今日寝込み始めた奴が死ぬなんて簡単に言うな、このバカ。……そうだな、一年、一所懸命に働いてみろ。相手は花魁だろう、給金で買やあいいんだ」

「……職人のオイラでも買えますかね?」

「安心しろ、ツテがないなら俺が渡りをつけてやるから。……お前は根が真面目で仕事を覚えるのが早い。俺も将来を期待して――待て、どこへ行くつもりだ」


 見ると清蔵、布団から飛び出しまして階段を駆け下りようとしておりました。


「へえ、今からでも仕事へ出ないと」

「恋煩いはどうしたんだい」

「治りやした」

「ゲンキンな奴だね、まったく。昼飯まだだっただろ、カカアに粥でも作らせるか?」

「粥なんていけません、リキが出ません」

「やる気があるのはいいことだ、じゃあ何にするんだい?」

「へえ、鰻丼を三杯ばかし――」

「駄目に決まってんだろ!」

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