弔い


「いや、待て。あいつは? あいつはどうした」


 不意に頭をよぎったのは、先程まで同じ空間にいたはずの男だった。彼を見た最後のビジョンが頭に浮かぶ。俺はやつを見捨てて逃げた。そして、やつはそのまま黒い霧にのまれた。


「知りませんか?俺の近くにいた男のこと」

「主のそばには誰もいなかったが」


 答えを聞いて、歯を食いしばる。


 まだ、やつが生きている可能性はある。今いる世界が異世界か現実かなど、どうだっていい。今は友人の身の安全を考えなければならない。


 はやるように立ち上がった。勢いのままドアを開いて、外へ出る。


 いつの間にか朝になっていた。曇り空ではあるものの、視界は十分に使える。とにかく、取り返しのつかないことになる前に、急がなければならない。


 しかし、たどり着いた先にいたのは、見るも無残な姿になった友人だった。彼はもう、死んでいる。あたりには赤黒い血が広がっている。その中心にいる彼は人形のように動かない。


 最初は夢かと思った。悪い冗談かとも思った。そこにある者は人間だとも、友人だったものだとも思わなかった。違う。違う。本当は違う。まだ生きている。これは何の変哲もないいたずらだ。友人はまだ生きて、俺に助けを求めている。


 だから、違うのだと。現実を認めない。


 だけど、そんな俺の心は後ろからやってきた男の声によって、あっさりと打ち砕かれた。


「認めろよ。もうやつは戻ってこねぇぞ」


 それを聞いて、なにかが音を立てて崩れ去った。


 なにも分からない。認めないなりに、もう取り返しのつかないことは起きてしまった後なんだと、受け入れた。だけど、死んだと分かったいても、それが目の前にいる彼だとは認めたくなくて、受け入れたくなくて、前に進む。


 祠のあった方角までやってきて、粉々になった石ころが転がる場所の前で、足を止めた。そこには一つの刀が転がっていた。祠の崩落の衝撃で、倒れたのだろう。


 手に取ってみると、上等なものであることに気づいた。価値など俺には分からないが、特別な力を帯びているようにも思える。そんなことを考えていると、刀は俺の体に吸い込まれるような形で、姿を消す。


 いったいなにが起きたのか。俺はまた、夢でも見ているのか。パチパチと瞬きを繰り返す。


「ああ、それは妖刀だ。名を皎ジャオ月ユェ。前皇帝が作り出した代物だ。扱いには気をつけろ」

「いやそれもっと早く言ってくんない?」


 緊張感もなく声をかけてきた男を罵倒するような形で、言葉を返す。

 どうするんだよ、おい。妖刀って、あの妖刀だよな? 持ち主に力を与えるかわりに呪いをかけたり、とにかくろくなことが起きないものだ。


「大丈夫じゃねぇの。中身はすっかり抜け落ちてるんでな」

「幽体離脱みたいに言わないでくれませんかね」

「妖刀自体、魂を持った刀じゃねぇの。ときには体から抜け出したいときもあるだろ」

「あるのかね」


 なってしまったものは仕方がない――と言えるわけがない。


 ただこれ、本当に中身がないと言えるのか。

 ふと意識を刀に向けるだけで怨霊の声のようなものが聞こえてくる。なにを言っているのかはさっぱり分からない。ただ、感情だけが読み取れる。

 そこにあるのは怒りや悲しみ――後悔、未練。それぞれの感情が色となって、いくつにも重なったものが心に染み込む。この刀には本来、なにが入っていたのだろうか。


「だから大丈夫だと言ったじゃねぇの。妖刀の本体が抜けた今、力は大層なものではなかろう。ものを封印するだけの力がある程度だ」

「後は?」

「そうだな。記憶の改ざん。事実の隠蔽。どれも一時的なものではあるが」

「十分やばい代物じゃないですか」


 自称仙人の話はともかくとして、まずはやってみないことには始まらない。

 スタスタと歩いて、途中で足を止める。


「そうだ。隠蔽ってことは、物理的にも可能なんですか?」

「であろうな」


 ならば、やってみる価値はある。

 俺は死体のあった方角へと足を進めた。


 俺のせいでこうなったのなら、弔いくらいはさせてほしい。


 自分の芯に眠るものに意識を向ける。目を閉じて、とにかくやりたいことをイメージした。すると、どうだろう。次に目を開いたときは、死体は消えていた。正確には盛られた土の中に消えたのだ。


 これで完遂はした。だが、どうしてだろう。どうにもむなしいのは。こんなことをしたってなんの意味もない。起きてしまったことはどうにもならない。そんな気持ちだけが胸中を満たす。


「なるほど、土の属性であったか」

「属性?」

「ああ、妖刀の持つ力だ」


 属性。あの五大元素とか、RPGでよく見かける魔法の分類だよな。


 それが土? 俺が? 


 うげぇ……。一番の外れじゃねぇか。筋肉隆々の華のないやつが使うイメージしかねぇよ。どうせなら火とか、派手な術を使いたかったぜ。


「そう気を落とすな。友人の死に比べれば、軽いものじゃねぇの?」


 そりゃあ、そうなんだよな。


 俺は結局、貴重な友を失ったんだ。その事実に変えられるものはない。しかも見捨てるような形で終わらせるなんて、あんまりだ。だけど、結局はそうするしか生き残る術を持たなかったんだと思う。


 俺は自分が生き残るためならなんだってする。それがたとえ他人を犠牲にするような結末を招いたとしてもだ。

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