仙人

 次に目を覚ましたとき、俺は洞窟の中にいた。


 ここはいったい……と、テンプレなセリフを吐く余裕はない。

 とにかく、混乱している。なぜこんな場所にいるんだ。ただ、この空間はとても快適で、いつまでもここにいてもいいような気がした。


 と、なにやらいい匂いがする。香ばしい、コーヒーのような――って、本当にコーヒーだ。思わず目を見開いて、身を起こした。


「おう、あまりにも暇だったもんで、調合していたぞ」


 声の主が手を止める。

 彼は今、コーヒー豆から黒い液体を抽出する作業をしていた。


「普通、ここでやりますかね?」


 あきれがちに尋ねてみる。


「言ったじゃねぇの。暇だったと」

「そりゃあ、そうなんだけど。洞窟の中にコーヒーメーカーって似合わないっつーか。まあ、いいや」


 なにかをごまかすように、頭をかく。


「あなたが助けてくれたんですか?」

「拾っただけだが」

「そういうのを助けたっていうんじゃないですかね」


 偶然か必然か、善意があったか否か、そういうのはどうだっていい。この人がいなけりゃ、俺は野垂れ死んでいた。それだけは事実だ。


 それにしても、どうしてコーヒーなんだ? 

 見るに、こいつの髪の色も茶色がかっていて、コーヒーに似た色をしている。苦い香りが漂ってきそうな気配がある。コーヒーが好きなのか? ひょっとして、俺に飲ます気でもあるのだろうか。


 そんなことを考えていると、不意に男が口を開く。


「おっと、なにか持ってくりゃあよかった。そうすりゃ、わしの腕を披露できたってのに」

「披露? 料理の?」


 気になって目をパチパチと瞬かせる。


「おうよ。わしは街で喫茶店を営んでいるもんでな。皆どもの要求には答えるぜ。自慢じゃないが、行列ができるレベルだ。わしとしちゃあ、なぜ者共が惹かれるのか分かっちゃもんじゃないが」

「遠回しに自慢してるじゃないですか」


 少し半笑いになる。


「ああ、わしは主に自慢している。おのれの功績は明らかに普通ではないのでな。ただ、理解はできんのは事実でな」

「具体的にいうと?」


 こいつはなんの話をしてるんだ? だんだん分からなくなってきた。


「なんせ、わしぁ、食事を必要とせんのでな」

「へー、へー、そうなんだ……」


 あっさりと流しかけて、首を横に振る。


「って、なんだよそれ。食事を必要としねぇ? 植物かなにかかよ」

「おう、鋭いな。わしの持つ属性は木属性に含まれる。当てた褒美だ、ぬしには食事券でも渡そうか」

「いりませんよ」


 というかこいつ、さりげなく属性とか言わなかったか? 


 属性とはすなわち火・水・雷などといった、魔法の種類を指すものだ。少なくとも、俺にとってはそういうイメージがある。つまりこいつは魔法使いでもあるのだろうか。


 さすがに信じられない。

 俺としちゃあ、こいつの正体はハッキリと掴んでおきたい。だって明らかに妖しいからな。せめて、敵か味方かだけでも、分からないものだろうか。


「ときに主、何者だ」

「それはこっちのセリフだ!」


 当たり前のように尋ねられたので、声を張り上げて言い返す。


「いやいや、怪しいぞ。主、この国の人間じゃねぇだろ」

「そりゃあ、そうだけどさ」


 見た目からして洋服だ。怪しまれるのも無理はない。


「もしや、外の世界から来た人間か?」

「外の世界?」


 心当たりはない。ただ、聞いたことはある。

 昔……まだ子どもだったころの話だ。近ごろ子どもが行方不明になる。探しても探しても見つからず、警察をさじを投げた。周りの者たちも神隠しだなんだと言って、嘆き悲しんだという。

 だがあるときふらっと、行方不明だった子どもは帰ったきた。行方をくらましたときの姿のまま。


 これでは本当に神隠しではないか。


 そして俺も現在、都会から離れた場所にいる。

 無論、寝ぼけて見知らぬ土地に入った可能性は、否定できない。

 ただ、薄っすらと蘇った記憶によると、俺はとあるタイミングで結界を見ていた。そう、それは薄い青色を帯びた壁だ。


 分かりやすく順を追って説明すると――

 その奥へと足を踏み入れ、森の中へと突入し、あの怨霊とも遭遇した。

 と、いったところか。


「まさか……俺って」


 異世界に迷い込んじまったってことか。


「案ずるな。主のような存在の対処には慣れている。なんせ、よくいるからな」

「それなら安心できるんだけど」


 ただ、現在進行系で、頭がこんがらがっている。

 異世界に迷い込んでしまったなんて、信じられない。起こりえないはずのことが現実で起こっているなんて、すぐに受け入れられるはずもなかった。


 それでも属性だなんだと口にする現地人がいるから、ありえない話でもないのか。そいつが現実であり真実だと言うなら、受け入れるしかねぇか。


 とりあえず、ずらっとこいつの容姿を見る。年齢は――何歳だ、こいつ。三〇から五〇の間か。幅が広すぎて分からねぇや。

 引き締まった顔立ちをしていて、黄色くてゆったりとした衣を身にまとっている。俺の知識では僧侶に近い雰囲気だ。なにやら世間とは隔絶したというか、隠居した最強の戦士のような風格がただよっている。


 とりあえず親父よりは年下だ。下手に年齢が近くないから、むしろ軽い気持ちで接することができるな。そのあたりは、よしとする。


「具体的にいうと近年近年――数百年前だっただろうか。とある世界との境を接したようで、ときおり主のような者がな」

「ちょ、ちょっと待てよ。なんかとんでもない数字が飛び出した気がしたんだけど」

「なんだよ。問題でもあったか?」

「問題ありすぎだよ」


 五〇どころか数百年単位だと? 聞いてねぇよ。


「だから何者なんだよ、お前」

レイミングゥイだが?」

「名前じゃねぇよ」


 こいつ、わざとやってねぇか。


「ああ、正体か。それならそうとさっさと言ってくれや」


 なかばあきれたように、ミングゥイと名乗った男は言う。


「わしは仙人だ」

「そうあっさり口にしていい単語じゃないですよね、それ」


 唐突なカミングアウトに頭がついていかない。


「主だろ、教えろと言ったのは。それで文句を言われたら、わし、どうにもならんぞ」


 半目の呆れ顔。だが、本当にあきれたいのは俺のほうだ。

 仙人ならもっとこう、もったいぶらねぇか?


「そもそも仙人って言われても、具体的なイメージがな」

「わしも分からん。修行のすえに不死を手に入れた、悠久の時を生きる者じゃねぇの?」

「口ぶりの割に明確な答えが出ましたね」


 淡々と語られたので、逆にビビる。


 なお、俺にはまったくもって相手の言っていることを理解できなかった。

 いや、仙人の意味がどうとかってのは分かるよ。ただ、それを信じられねぇんだ。そんなおかしなことが現実に起きるわけがねぇってな。


「ふざけてんのか。そんなやつ、現実にいるわけねぇだろうが」

「おう? ここが現実ではないとでも言うのか? そいつぁ、ふざけた理論じゃねぇの」


 まあ、俺がここにいる。この目で見て、歩いて、現実だと認識している。そこが現実ではないとしたら、いったい、なんなのだろうか。



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