経緯

 ***


 平日の夜、俺は友人と酒場に来ていた。


「ほんと、聞いてくれよ」

「なんだよ」

「振られたんだよ」

「へー、そうかい。だろうな」


 あっさり納得するなよと、心の中でツッコミを入れる。


「いくら浮気したからってさぁ、俺の目の前で別の男が寝取るとか、ありえなくね?」

「うわぁ……。そいつぁ、自業自得だろ」

「そんなことねぇよ。あからさまに悪意があんだろうが。だいたい、浮気くらい許してくれって話でよ。あっちだって浮気していたようなもんだろ。俺よりいい男が来たから切り捨てたとか、そんな感じだろ?」


 愚痴をこぼしながら、水で薄めた酒を飲む。


「明日も仕事があるってのがな。土曜だぜ? 週休二日制でもいいだろうが。休みが消えるって聞いたときは絶望したぜ」

「昔は学校でも日曜だけが休みだったんだろ。別にいいだろ。これだからゆとりは」

「うるせぇな。ゆとりはいちおう抜けてる」


 さらに酒を飲む。今度は水を入れ忘れた。


 もういやだと思った。働けど働けども、報われない。自分は果たして、なんのために生きているのか。ただ忙しいだけの日々。会社のため、国のために酷使されるだけの毎日だった。


「いや、少しは感謝したほうがいいぞ。お前みたいな引きこもりを雇ってくれた会社なんだろ?」

「そうだけどさ。俺はこんなのは望んでないんだよ」


 彼女に渡す予定だったアクセサリーを、指先でもてあそぶ。

 いっそ、全てを忘れてしまいたい。姿・形――正体すらなくなるまで狂って、ゼロに戻れたのなら、どれほど楽だっただろう。


「行くぞ」

「は、どこへ?」

「次の店だ」

「あぁ? まだ飲む気かよ」


 あきれた声を出す友人を無視する。

 俺は会計を済ますと外に出て、適当な方向へ歩いていく。


「おい、そこ店ないぞ。お前、酔ってるだろ」

「酔ってねぇっつってんだろ」


 なにも考えずに歩みを進める。自分が大丈夫と言うのだ。誰がなにを言っても問題はない。


 足だけを動かしていくと、足元に尖ったものが触れた。カサカサと、音が鳴る。爽やかな香りが鼻をかすめた。ふと正気に戻って目を開けると、あたりには一面の緑が広がっていた。


「あれ?」

「だから言ったろ」

「おかしいな。俺は店のあるほうへ歩いていったつもりだったんだが」

「明らかに森の中に突っ込んでったぞ」


 なにはともあれ、酔いは覚めた。頭も視界もはっきりしてきたところで、元の場所へ戻らねばならない。


「それにしても、ここってどこなんだ?」

「知らねぇ。俺だってこんなとこ、来た覚えねぇよ」


 そこは緑に囲まれた場所だった。森を抜けても建物は見えてこない。見えるのはあぜ道と、曲がりくねった道のみだ。ところどころに田畑は見えるものの、自分の常識とは別に存在する世界のようだった。


 しかし、参ったな。俺たちは迷ってしまったのだろうか。見知らぬ場所ゆえ、下手に動けない。このまま適当に歩いていったらもっと深いところまでいって、一生元の場所へは戻れなくなりそうだ。


 そうした中、不意に視界をなにかが横切った。あれは、なにだろう。ガラスの破片のようにキラキラと輝くなにか。それは人魂のように動きながら、浮いている。まるで、俺たちを誘っているかのようだ。


 思わず釣られて動いてしまう。元よりその先にはなにかがあるような気がして、気になってしまったのだ。


「お、おい」


 友人が追ってくる。


 だが、俺としちゃあ、さほど気にはならなかった。とにかく、安全な場所――もしくは状況を打開できる場所まで導いてくれるものがいるのなら、あとはどうでもよかった。


 ほどなくしてたどり着いたのは、開けた空間だ。そこには祠があった。ずいぶんと苔むしている。何十年――下手をすると、何百年単位で昔に立てられたものだ。おまけに傍らには刀が刺してある。紫紺のオーラをまとっているようにも見えるが、気のせいだろうか。


 何度か目をこすったけれど、現実はかわらない。酔っていれば、こんなときもあるだろう。すでに覚めた酔いのせいにして、意識を別の方角へ向けようとした。そのときだった。


「これが脱出のカギだと思うんだよ」

「んなRPGみてぇな。真面目にやれよ」

「僕は真面目さ。だからこうして必死になって糸口を探そうとしているわけで」

「そうやってペタペタ触っても解決しないものは解決しな……」


 目を伏せて、言いかけて、次に目を開けたとき、あたりの時が止まったような感覚が全身を包んだ。ついでに言うと、心臓が止まるかと思った。


 ペキッと、かわいた音。鈍くて低い音を立てて、亀裂がどんどん広がっていく。そしてついには粉々になって地面に落ちていった。


「お前、なにやらかしやがった?」

「大丈夫だって。こんなの」

「いや、答えろや」


 しどろもどろになった友人を上から睨む。相手は自分はなにも悪くないと自分に言い聞かせている様子だった。汗を大量にかき、青ざめてもいた。


 なんにせよ、取り返しのつかないことになったのは事実だ。神話や昔話には興味がないし、くわしくは知らないが、この手のことをやらかそうものなら、ろくなことが起きない。祟りならばどうか、自分は巻き込まれませんように。


 そう祈りはしたが、現実は変わらない。

 結果、俺は謎の影に襲われたのだった。


 ***

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