第四節
少女は雨が降っていない日には必ず屋上まで話しに来た。
僕は素っ気ない返事を返すだけだったが、それでも少女は楽しげだった。
1週間ほど経った頃には僕の病室を突き止め、屋上以外にも出没するようになった。
今日から梅雨入りし、時おり雨粒が窓を叩いている。晴れた日より呼吸が苦しく、左胸をさすった。
例のごとく屋上へ行こうとした矢先、勢いよくカーテンが開かれた。すっかり見慣れた顔が現れ、低めの声で「今日はここから出さないぜ坊ちゃん」と言い放つ。
呆れてものも言えない僕を見て、少し恥ずかしそうな顔をしている。
少女は誤魔化すように「なーんてね!」と言いながら、膝の上に載せたポーチからストラップのおみくじを取り出した。
「ねぇ、これ見て。お土産で貰ったおみくじなの。引いてみてよ!」
断るとまたうるさいので渋々受け取って逆さに振ると、中から出てきた棒には大凶と書かれていた。
「あー、外れだね。もう1回いってみよう!」
「これ、そういうもんじゃないでしょ」
「いいのいいの!神様も大目に見てくれるって!」
相変わらず無茶苦茶だ。 僕は少女の膝の上におみくじを置いた。
「もう!ノリが悪いなぁ」
少女がわざとらしく怒ってみせる。 それも長くは続かず、僕を見て小さく笑った。
「おみくじってさ、不思議だよねぇ」
少女がおみくじの紐を指に絡める。
「何も困ってない時には楽しむためだけに引いて、良くても悪くても気にしないのに。気になることがある時は書いてあることに一喜一憂して。変わったのは私。それだけなのにね」
おみくじを何度もひっくり返しながら、少女は頬杖をついてそう言った。
「・・・貸して。振ってみる」
今度は小凶だった。繰り返し引いていく。 末吉、半凶、小凶、大吉。僕は何度も続けた。
こうして引くことに意味はないのだ。 僕は大きな外れくじを、少女は小さな外れくじを引いた。これから先はどうだろうか。
それから僕らは他愛もない話をした。僕から話題を振るのは初めてだった。
ひとしきり話し、少女は勝手に僕の荷物が入った棚を漁って包装されたインスタントカメラを取り出した。
「おっ、いいもの持ってるね」
「欲しかったらあげるよ。好きに使って」
どうせもう必要ないから、という言葉は飲み込んだ。
「ほんとに?やった!」
そう言って少女は封を切った。 記念すべき一枚目と言い、少女が僕の傍に寄ってカメラを向ける。
「撮られるの嫌いなんだけど」
「好きに使っていいんでしょ?」
ため息をついてレンズを見る。少女の合図でシャッター音が鳴った。
嬉しそうにカメラを両手で持つ姿を見て、僕は少しだけ嬉しさを覚えていることに気付いた。
不思議なものだ。変わったのは僕。それだけなのに。
「ねぇ。ひとつ訊いていい?」
少女は珍しく静かな声音でそう訊ねた。
「なに?」
「君の名前、なんて言うの?」
窓の外から視線を戻し、少女と目を合わせる。
「ベッドのプレートに書いてあるよ。もう知ってるでしょ」
少女が頭を振った。
「君の口から聞かないと分からないよ」
少女がふっと笑った。その笑顔は、今までに見せたどの表情とも違う。
こんな顔をすることもあるのだと、僕は驚いてしまう。
当たり前だ。誰だってそんな瞬間はあるはずだ。
それなのに、それすら忘れてしまうほどに、少女はいつも明るかった。
「牧野
「日向くんか。いい名前だね。私はね、金井
朱季と話すようになってからの1週間。きっとこの時を待っていたのだ。
悲しそうな様子を見せないから、あまり悲しまない人なのだと思っていた。都合良くそう思い込んでいただけだった。
「えっと・・・。ごめん、僕はずっと・・・」
「謝らなくていいよ。お互い好きにしただけだから」
僕は口を噤んだ。
朱季とはどんな人なのか。何を思って生きてきたのか。僕はまだ何も知らない。
「じゃあ、そろそろ部屋に戻るね」
時計を見ると午後6時近くを指していた。もうすぐ夕食だ。
「うん。また明日」
朱季が驚いた顔をする。すぐに表情を緩めて頷いた。
立ち去る背中を見送り窓の外を眺める。屋上から見ても、ここから見ても、そこにあるものは変わらない。
蝉が羽撃く姿が目に浮かぶ。夏の足音がする。
彼女の名前に似た季節を、僕は迎えられるだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます