閉幕
スザンナの唇の柔らかさを忘れることが出来ない。夢見心地になりながら、エドマンドは劇のフィナーレを知らせる拍手を、舞台に設置された寝台枠の中で聴いていた。
「我らがジュリエット、どうぞお目覚めを」
先に起き上がっていたリチャードがそっと手を差し伸べてくれる。眼を開けたエドマンドは、そんな先輩役者の手を力強く握っていた。
リチャードの手を借りながら、エドマンドは寝台枠から起き上がる。瞬間、背中に激痛が走ってエドマンドは体を震わせていた。そんなエドマンドをリチャードが抱きあげる。
「リチャードっ!」
「痛むんだろ……背中……。もう我慢しなくていいぞ……」
「兄ちゃん、ありがとう……」
抱きあげたエドマンドにリチャードは小さく耳打ちする。彼の声にエドマンドは小さく微笑んでいた。
拍手がより一層激しくなり、見事にロミオとジュリエットを演じたリチャードとエドマンドを讃えてくれる。リチャードは黄色い声をあげる平土間の少女たちに、手を振りながら微笑んでみせた。その平土間にスザンナを抱きかかえるウィリアムを見つけ、エドマンドは大きく眼を見開く。
優しい微笑みを顔に描き、父親に抱きかかえられたスザンナはエドマンドに手を振ってくれていた。そんなスザンナにエドマンドも手を振り返す。
「スザンナが無事で安心した?」
「は……兄ちゃん?」
リチャードにそう言われエドマンドはぽかんと口を開く。リチャードは苦笑しながら、そんなエドマンドに言葉を返していた。
「いや、気がついてないならいいよ。てんとう虫ちゃん」
にやりと意味深な言葉をはっし、リチャードはファンの女の子たちへと視線を戻す。そんなリチャードの言動を受けて、エドマンドはスザンナへと視線を戻していた。
ウィリアムの腕の中にいるスザンナは、自分を抱く彼と何やら楽しそうに話している。その仲良さげな様子がなんとも気に入らなくて、エドマンドは顔を顰めていた。
スザンナとウィリアムは親子だ。楽しげに話すのは当たり前なのに、そんな二人を見ているとどうしてこんなにもやもやとするのだろうか。
「そいつはエドマンド・シェイクスピアじゃない!! シェイクスピアの娘スザンナだ! 女が舞台に立ってるんだっ!」
そのときだ。拍手を引き裂くようなジャイルズの大声が聞えてきたのは。何事かと静まる観衆を他所に、ジャイルズを筆頭にした役人たちが平土間へと押し入ってきた。
「え、何言ってるの、ジャイルズさん! 俺、エドマンドだよっ!!」
リチャードの腕の中にいるエドマンドは大声で、役人を引き連れたジャイルズに言葉を送る。ジャイルズはかっと眼を見開いてエドマンドを怒鳴りつけた。
「嘘をつくな小娘! 私のエドマンドをどこにやった!? 私のエドマンドを返せっ!」
「うわ、キモい……。」
叫ぶジャイルズを見つめながら、リチャードが小さく声をはっする。
「リチャード兄ちゃん、ちょっと降ろしてくれる」
「エドマンド……」
「あのおっさん、黙らせてくるだけだからっ」
にっとエドマンドは得意げに笑う。その笑顔を見て、リチャードも邪悪な微笑みを顔に浮かべていた。
「ちゃんと、あのくそ野郎のところまで連れていくよ。俺のジュリエット」
「ありがとう、ヘミングスのロミオ」
「やっぱ俺のジュリエットにはなってくれないのね、エドマンド」
「兄ちゃんにはヘミングスさんがいるじゃん」
「俺もヘミングス卒業しなくちゃくちゃな」
リチャードは笑いながら壇上から降り、役人を率いるジャイルズのもとへと抱きしめるエドマンドを連れていく。モーセが海を割ったかの如く、平土間の観客たちは道を開けジャイルズのもとへと続く道を作ってくれた。
「ありがとう! みんな」
人気俳優リチャードの眩しい微笑みがそんな観客たちに向けられる。きゃーと平土間の女性たちは黄色い声をはっし、リチャードを褒めたたえる。
「なんだ、お前たち……」
役人の一人が困惑した様子で声をあげる。リチャードはそんな役人を見すえ、真摯な言葉をはっした。
「ここにいるのは、スザンナじゃない。正真正銘のエドマンド・シェイクスピアです」
「そう、俺がエドマンド・シェイクスピア。証拠だったらお見せします」
凛とした声を発しエドマンドは役人に言葉をかける。リチャードはそっとエドマンドを平土間に下ろし、その衣服に手をかけた。
「ちょ、君たちなにをしているっ!?」
みなが騒然とする中、リチャードの手を借りながらエドマンドは纏っていたガウンとカートルを脱ぎ捨て、スモッグだけの姿になる。
さらにエドマンドはスモッグにも手をかけ、己の裸を観衆の前で露わにした。細いエドマンドの体に少女であることを証明する胸の膨らみはなく、下半身の大切な部分はリチャードの手によって覆われている。
痛々しいのは、長い髪のあいだから覗く鞭の傷跡だ。赤く腫れあがるその傷を見て、観衆は顔を歪める。そんな彼の傷を隠すように、リチャードはエドマンドを後ろから抱きしめていた。
「で、俺のどこが女だって? ジャイルズのおっさん」
腕を組みエドマンドは人の悪い笑みをジャイルズに向けてみせる。ジャイルズは唾を呑み込みながら、震える声をはっしていた。
「ほ、ほんとうに、エドマンドなのか!?」
「なんだったら、俺の下半身についたもの見る? 見たがってたよね、あなた。俺を監禁して、背中にこんな傷まで作ってくれてさ、これって完全に犯罪じゃないの?」
「エドマンド、それ以上ははしたないよ。俺は君の綺麗な体をこんな奴に見せたくない。ウィリアムだっておんなじ意見だろうに」
「リチャード兄ちゃん……」
くいっとエドマンドの顎をあげ、リチャードが顔を覗き込んでくる。エドマンドは困惑に眼を震わせながら、彼を見つめ返していた。そんな彼らを見守る女性陣から黄色い声が湧きあがる。
「な、なんなんだ! このソドミーはっ!!」
ジャイルズが叫ぶ。そんな彼を睨みつけ、エドマンドは口を開いていた。
「は、ソドマイドはあなたでしょ? 俺を鞭打って、その鞭の傷に舌まで這わせてたくせに。それに、あんなことまで……。俺、男なのに……あんな……」
「エドマンド、そんな……」
ほろほろとエドマンドの眼から涙が零れ落ちる。そんなエドマンドをリチャードは優しく抱き寄せていた。
「リチャード兄ちゃん、俺汚されちゃったよ。こいつに身も心も蹂躙されて……。もう、こんな穢れた体じゃあ、教会にも行けないっ! 俺、死にたいっ!」
「エドマンド、そんなことない! お前は綺麗だっ! エドマンドっ!」
二人はお互いに抱きしめ合いながら、涙を流す。そんな二人を見つめる観衆の眼は、いつしかジャイルズへと向けられていた。
「エドマンドのあの傷は、ジャイルズがつけたのか?」
「まさか、本当にあんな子供を手籠めにするなんて……」
「違う! 俺は何もっ!!」
「お黙りなさい、ジャイルズ・アレンっ!」
冷たい観衆の視線にさらされながらも、ジャイルズは叫ぶ。そんな彼の声を遮る女性がいた。
観客の視線が声のした貴賓席へと向けられる。その貴婦人は纏っていたヴェールを剥ぎ取り、観衆に己の顔を露わにした。
「じょ女王陛下っ!!」
ジャイルズが叫ぶ。そこにいた誰もがその女性に釘付けとなり、彼女の言葉を待って沈黙する。
「この国を統べる女王の前でお前は嘘偽りを述べるのですか? この者は正真正銘のエドマンド・シェイクスピア。私の愛するジュリエットです。そのエドマンドを傷つけたとは、どういうことでしょうか」
冷たい女王の声が場を支配する。その声にジャイルズは大きく眼を見開き、膝をつく。項垂れる彼を背後にいた役人たちは静かに捕えていた。
「エドマンド・シェイクスピア、こちらへいらっしゃい」
「えっ?」
女王がエドマンドを呼ぶ。呼ばれたエドマンドは一瞬訳が分からず困惑した。
「女王陛下がお呼びだよ、ジュリエットっ」
「ちょ、エドマンド兄ちゃんっ!」
そんなエドマンドにリチャードが纏っていたタブレットを纏わせる。彼はエドマンドを横抱きにし、貴賓席へと向かっていく。
「まあ、ロミオに抱かれてなんて羨ましい」
「ちょ、リチャード兄ちゃんっ!」
うっとりと女王その人が声をはっする。その声を聞いて、エドマンドは涙声をはっしていた。うっかりしていた。女王陛下の前で全裸を披露するなんて極刑にも値する大罪だ。そのうえ女王陛下にお目通りするなど、恥ずかしすぎて死んでも死にきれない。
リチャードの首に両手を回し、エドマンドは彼の顔を埋めていた。失礼だとはわかっていても、顔をあげることができない。
「ジュリエット、女王陛下の前だよ? ご挨拶は?」
リチャードの言葉にエドマンドは渋々顔をあげる。眼前には凛とした佇まいをした女王が控えていた。
「その……このような格好を晒してしまい申し訳ありません。罰は受けますので、どうぞ劇団のみんなには……」
「何を言っているの? あなたはジャイルズ・アレンの悪事を暴くために証拠を見せただけでしょう?」
優しい女王の声が、エドマンドの言葉を遮る。彼女は微笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「それに、あの子の演技も素晴らしかったわ。大切なもの守りたい女は、男よりも強いものよ」
女王の眼差しはエドマンドの後方に控える観衆に向けられていた。彼女の眼にはきっと、ウィリアムに抱かれたスザンナが映っているに違いない。
よくわかったなと感心してしまう。それだけスザンナは必死になって自分の代わりを演じていてくれたのだ。女王陛下とこの宮内大臣一座のために。
何よりもエドマンドの名誉のために。
「リチャード兄ちゃん放して」
「大丈夫なのか?」
エドマンドの小さな声にリチャードは心配そうに尋ねる。そんな彼にエドマンドは微笑んでいた。
「大丈夫か」
リチャードは微笑み、そっとエドマンドを放す。エドマンドは女王に膝まづき、彼女に微笑んでいた。
「スザンナは俺なんかよりずっと強い女の子です。強くて、とても優しい」
「そう、あの子はスザンナというの。気に入ったわ。女が演劇をするのも悪くないかもしれないわね」
エドマンドの言葉に女王は微笑む。そんな女王の手をとり、エドマンドは彼女の手の甲に口づけを落としていた。
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