エドマンドの想い
緊張に体が強張る。汗で濡れた体に不快感を覚えながらも、スザンナは楽屋で自分の出番を待っていた。劇の進行は順調に進み、リチャード演じるロミオが友人を殺したジュリエットの従兄ティボルトを殺した場面まで進んでいる。
この後、追ってから逃れたロミオはジュリエットのもとへとやって来るのだ。密かに婚姻を結んでいた二人は、初夜を迎え、生きたまま再開することは二度とない。
様々なすれ違いが、二人を引き裂き、死をもたらすのだ。
「どうしてお父さんは、二人を引き裂く最後にしたのかしら……」
そう言いながら、エドマンドと本物の彼の墓参りに行ったときのことをスザンナは思い出していた。彼は言っていた。カトリックと国教会。二つの争う宗派を元に、父はキャピュレットともモンタギューの対立構造を思いついたのかもしれないと。
その渦中にいるロミオとジュリエットの尊い犠牲により、二つの家は争うことを辞めるのだ。
ふと、思ってしまうことがある。父は、ロミオとジュリエットのように芝居によってその役目を果たそうとしているのではないかと。その犠牲となる者を思い浮かべるとき、スザンナはエドマンドのことを考えてしまうのだ。
父に焦がれるエドマンド。彼は、父のためならなんだってするだろう。たとえ命を落とすことになろうとも、彼は父のために芝居を通して戦うことを辞めない。
「強いな……エドマンドは……」
エドマンドを思い彼の言葉を口にする。父たちは無事に彼を助けることができたのだろうか。それとも。
嫌な思いが脳裏を過ぎって、スザンナは頭を振っていた。大丈夫、エドマンドと父のことだ。きっと無事に帰ってくる。
「クロスっ出番だよ」
乳母役のケンプが着替えを終え、慌ただしく舞台へとあがっていく。スザンナは彼を追いかけ、舞台に向かおうとした。と、誰かが自分にぶつかる。それは市民を演じていた端役の少年だった。
「ごめん……」
「えっ?」
彼がスザンナを突き飛ばす。スザンナの体は後方に開いていた奈落の階段を転がり落ちていった。
「スザンナ! スザンナ!」
誰かが自分の名前を呼んでいる。この声はエドマンドだ。意識の戻ったスザンナは、大きく眼を見開いていた。
捕らわれているはずのエドマンドが、自分の顔を覗き込んでいる。スザンナは驚きのあまり起き上がっていた。
「いたっ!」
「あうっ」
エドマンドの額と、自分の額がぶつかる。エドマンドは大きな声をあげ、額に両手をあてていた。
「痛いよ……スザンナ」
「エドマンド……無事に……」
「うん、君のお父さんもヘミングスもちゃんと戻ってきてるよ。みんな無事だ」
「エドマンドっ!」
「うわ、スザンナっ!」
涙が込み上げてくる。大きな声をあげスザンナはエドマンドにと抱きついていた。そんなスザンナをエドマンドは抱きしめる。
「急に抱きつくなって……」
「ごめん、でも嬉しくて……。エドマンドが無事で……」
潤んだ眼でエドマンドを見つめながら、スザンナは言葉をはっする。エドマンドが無事でいたくれたことが心の底から嬉しい。
「ごめん、スザンナ。俺が無事で喜んでくれるのは嬉しいんだけど、バトンタッチ」
「え……」
「足、挫いてる。ジュリエット役交代。というわけで、脱いでっ!」
「ぬっ脱ぐってっ!」
スザンナは驚きのあまり立ちあがろうとした。だが、足に激痛が走り座り込んでしまう。
「いたっ!」
「足が腫れてる。添え木はしたけど、こんなので舞台にあがるなんて無理だ」
エドマンドの言葉にスザンナは自分の足を見つめる。スザンナの足には布切れで小さな添え木が充てられていた。靴を脱がされた片足は痛々しい赤色に腫れている。
「そんな……」
そっとスザンナは自分の腫れた足に手を添えていた。それだけでも痛みが足に広がり、手を放してしまう。
「女王陛下が舞台を観覧なさってるのに、これじゃあ」
「だから、脱いでっ! 俺が行くから。スザンナの舞台を、あいつらなんかに潰させたりしない」
「エドマンド……」
凛とした彼の言葉にスザンナは大きく眼を見開く。よくみると、エドマンドはスモックの上に父が羽織っていたタブレットを着ている。救出されてここにまっすぐ駆け付けたのだろう。
エドマンドがタブレットを脱ぐ。その彼の体を見てスザンナは大きく眼を見開いていた。
彼の背中には痛々しい鞭の傷跡が刻まれていた。動くたびに傷が痛むのだろうか。エドマンドの顔がかすかに歪む。
「エドマンド、その怪我……」
「大丈夫、スザンナのに比べれば大したことないよ。ちょっと痛むだけ。それより早くっ」
エドマンドが苦笑を浮かべる。苦しげなその笑顔を見つめながも、スザンナは纏っていたガウンとカートルを脱いでいた。
エドマンドは父のタブレットをスザンナに着せ、スザンナの脱いだ衣装を手早く纏っていく。象牙の櫛で黒髪を梳き、彼はそっとスザンナを抱きしめていた。
「エドマンドっ」
「ごめん。ちょっと甘えさせて。今すっごい緊張してて……」
体越しにエドマンドの早い心音が聴こえてくる。彼の気持ちを代弁するように、彼の鼓動はスザンナを抱きしめたとたんゆっくりと鼓動を奏で始めた。ふうとエドマンドは息を吐いて、小さく呟く。
「ウィルが側にいなくても大丈夫になったのは、スザンナのお陰かな? 君といるとやっぱり安心する」
そっと眼を細め、エドマンドが微笑む。その微笑みを見て、スザンナは大きく心臓を高鳴らせていた。
――最近、エドマンドが男らしくなってきた理由が分かったかも……。
そう言っていたリチャードの言葉を思い出す。その言葉が何を意味するのかスザンナは分からない。分からないが、この鼓動の高鳴りと関係することなのかもしれない。
「ねえ、スザンナ。やっぱリチャード兄ちゃんとはしたの?」
頬を赤らめ、エドマンドがスザンナに尋ねてくる。
「したって……」
「では私の唇には、あなたから受けた罪があるのね……」
「ジュリエットの台詞……」
その台詞を聞いてピンとくる。エドマンドは劇でリチャードと自分がキスをしたのか聴きたがっているのだ。
「うん……したよ。リチャードさんと……」
顔が熱くなるのを感じながら、スザンナはエドマンドに答えてみせる。エドマンドは頬を赤らめ、大きく眼を見開いた。
「でも、リチャードさんとのキスはお芝居だし、その……」
「こんな感じだった?」
スザンナの頬を両手で包み込み、エドマンドは彼女の唇に口づけを落とす。エドマンドの唇の感触に、スザンナは大きく眼を見開いていた。
柔らかなエドマンドの唇が気持ちいい。そっと唇を放したエドマンドは、顔を真っ赤にしながら口を開いていた。
「ごめん……でも、あいさつ代わりだから……。キスなんて、あいさつ代わりだから……」
スザンナから顔を逸らし、エドマンドは小さな声で言い募る。そんな彼がなんだか愛らしく思えて、スザンナは彼を抱き寄せていた。
「スザンナっ!」
「みんなが待ってる。言ってきて、私のジュリエット」
「ジュリエットはスザンナだろ……」
「あら、私がロミオじゃ不満?」
「うーん、ロミオになれるように努力する」
エドマンドが苦笑を浮かべる。スザンナは小さく笑って、そんな彼の頬に唇を落としていた。
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