ウィリアム・シェイクスピア


 背中に痛みが走る。スモックを纏ったエドマンドは、上等な羽布団の敷かれた寝台枠に寝かされていた。鞭打たれたせいで体中が痛み、汗が肌を伝って布団を濡らしていく。

 激痛に唇を噛みながら、仰向けになったエドマンドは羽根布団を握りしめていた。さきほどまでジャイルズが舐めていた傷跡が疼いて、荒い息が止まらない。

 起き上がろうとそっとエドマンドは体を起こす。鞭の傷がその度に疼き、エドマンドを苛むのだ。

「畜生……」

 体の震えを感じながら、エドマンドは眼に涙をためていた。スザンナに何かあってはたまらない。何度も逃げ出そうとした自分を、ジャイルズは容赦なく打ち据えたのだ。

 もうすぐこの雲雀が飼われた屋敷からエドマンドは別の場所へと移される。それまでに、何とかここを出なければ自分の行方はまた分からなくなってしまう。

 けれど、激痛に体が思うように動いてくれない。歯を食いしばって体を起こしても、エドマンドの体を痛みが駆け巡るばかりだ。

「しかも下着姿のまま人質をおっぽり出すとか、あのおっさん変態すぎ……」

 苦笑を浮かべながら、エドマンドは吐き捨てる。ジャイルズが自分を無理やり犯そうとした。その事実にエドマンドは吐き気を催しそうになる。

「変なの、女じ男なのに全然違う……」

 ウィリアムに抱きしめられているときは安心しかしないのに、ジャイルズにふれられているときのあの嫌悪感はなんだろうか。

「俺が女だったら、もっと気持ち悪いって思ったのかな?」

 思いが呟きになる。スザンナは自分にふれられて嫌ではなかったのだろうか。それなのに、彼女には随分と嫌なことしてしまったように思う。

 特に裸を見せたことは今になって後悔している。けれど、不思議とスザンナになら見せてもいいと思ったのだ。

 彼女なら自分の中になるウィリアムの思いも、男でありながらどこかで少女であることを望んでいる自分を受け入れてくれるような気がしたから。

「変なの……。そんなの、あり得るわけないじゃん……」

 スザンナはあくまで自分がウィリアムの家族であることを認めているに過ぎない。エドマンドにとっても彼は父親代わりとも言うべき人物だ。

「俺が女だったら、ウィルは俺を受け入れてくれたのかな……」

 そんなはずはないと分かっていても、思いが言葉になってしまう。この思いが罪であることをエドマンドは知っている。そして、その罪の証がジャイルズによって刻まれた鞭の跡なのだ。

 油断して街に出た自分が馬鹿だった。スザンナとウィリアムの絆に嫉妬して、何も考えない自分が愚かだった。

「ごめんなさい。ウィルっ……」

「謝るのは私の方だよ、エドマンド……」

 いるはずのない人の声が聴こえる。体が痛むことも忘れて、エドマンドは体を起こしていた。錠がされていたはずの扉が開き、ウィリアム・シェイクスピアその人が顔を覗かせている。

「ウィルっ! どうして」

「静かに……」

 彼の言葉に応えるように、庭から喧騒が聞こえてくる。そっと耳を澄ませると、得物のかち合う音が庭から聞こえてくるではないか。

「これ……」

「ヘミングスが追っ手を引きつけくれている。その隙に、ここを逃げるんだ」

 寝台枠へと剣を持ったウィリアムが迫ってくる。背中の傷を思い出し、エドマンドはとっさに毛布で自分の体を覆っていた。

「どうした、エドマンド」

「ごめん……その」

「いいから、見せなさい……」

 ウィリアムが布団を引きはがす。エドマンドの体に刻まれた傷を見て、ウィリアムは眼を見開いた。

「これを、ジャイルズがやったのか?」

「ごめんなさい……あなたが大切にしてる俺の体……。あいつのせいで」

「そんなことはどうでもいいっ!」

 ウィリアムの怒声が耳朶に響き渡る。驚くエドマンドをウィリアムは力強く抱きしめていた。

「ウィル……」

「すまない、エドマンド。私のせいで、こんな……」

 ウィリアムの上擦った声が聴こえる。すすり泣く彼の声を聞きながら、エドマンドは口を開いていた。

「ウィルのせいじゃない。俺が勝手に下宿先を抜けたりしたから……」

「私のせいだ。お前の気持ちをきちんと受け止めなかった、私の責任だよ」

「じゃあウィルは、望んだら俺を抱いてくれる?」

「エドマンドっ!」

 エドマンドの体を放し、ぎょっとした様子でウィリアムが顔を覗き込んでくる。驚く彼の顔が見たくなくて、エドマンドは顔を逸らしていた。

「俺の想いはそういうの……。ウィルが、好きで好きで仕方がなくて……。あなたがいないと不安で……。だから……あなたが欲しいんだ……」

 愛しいウィリアムに抱きつきながら、エドマンドは言葉をはっしていく。自分の中になるこの気持ちは、明らかにソドミーそのものだ。

 捨てられてもいい。ただ、自分の気持ちを彼に伝えたかった。たとえこの身が神に背こうとも、この気持ちを偽ることはできない。

 クロスという少年は、ウィリアム・シェイクスピアによってエドマンドという新たな生を与えられたのだから。

 そっとエドマンドはウィリアムの頬を両手で包み込む。大きく眼を見開く彼の唇を、エドマンドは静かに奪っていた。

「ウィリアム。俺の神はあなただ……。あなただけが俺の運命を従えられる。あなただけに俺は仕える。あなたが俺の神になることはないけれど……」

 そっと唇をはなし、エドマンドはウィリアムに告げる。ウィリアムは眼を伏せ、そっとエドマンドの唇に己のそれを重ねていた。

「いいよ、エドマンド。君がそれを望むなら、供に神に背こう……。私の愛しいミューズ……」

 そっと唇を放し、ウィリアムはエドマンドに告げる。エドマンドは大きく眼を見開いて、言葉を継いでいた。

「ウィル……。それは、言っちゃいけない……。駄目だよ……」

 それでも嬉しくてエドマンドは笑っていた。ほろほろと涙を流しながら、エドマンドは愛しい人を抱きしめる。

「エドマンド、私は劇団のみんなが、故郷で待つ家族が大切だ。君のことも大切に思っている。けれど、君が違う道を望むのなら、私は神を捨て君を選ぼう。君と共にソドムの民になろう。私の愛しいエドマンド」

「嬉しい、その言葉だけでもう十分だ……。もう、何もいらない……。ありがとう、俺の愛しい人……。ウィリアム・シェイクスピアは俺の神さまだ」

「エドマンド……」

「あなたが側にいてくれればそれでいい。それで俺は十分だよ……」

 ウィリアムにエドマンドは優しく微笑んでみせる。ウィリアムも顔に微笑みを浮かべ、そっと寝台にいるエドマンドを横抱きにしていた。

 廊下から騒がしい声が聴こえてくる。ウィリアムはエドマンドを抱き寄せ、強い口調で言った。

「跳ぶぞ、エドマンド」

「うんっ!」

 閉じられていた窓を蹴破り、エドマンドを抱いたウィリアムは雲雀の放たれた中庭へと跳ぶ。空から降ってきた突然の乱入者に、屋敷の護衛たちはたじろく。そんな彼らの只中を、ウィリアムは颯爽と駆けていくのだ。

「無理しすぎですよ、ウィリアムっ!」

 刺客と剣をかち合わせるヘミングスが、そんなウィリアムを窘める。悪いとウィリアムはヘミングスに明るい声をはっし、中庭を突っ切って屋敷の出口へと向かう。

「やけに機嫌がいいですね。ウィリアム」

 刺客を剣で切りつけ、ヘミングスはそんなウィリアムの隣をかける。彼の問いかけにウィリアムは喜々として答えた。

「私のミューズが見つかったからねっ! あとは公演の成功を祈るだけだっ!」

「ウィル、公演ってっ!?」

 自分がいないあいだ、誰かが劇の代役をやってくれていたのだろうか。ふと気になり、ウィリアムに抱かれるエドマンドは問いかけていた。

「スザンナが舞台に立っている。あの子も戦っているんだっ!」

「スザンナがっ!」 

 ウィリアムの言葉にエドマンドは声を荒げていた。女が舞台に立つなんて正気の沙汰ではない。バレたらそれこそ、逮捕すらされかねない行為だ。それなのに、スザンナは舞台に上がっているという。

「あの子も戦っているんだよ、エドマンド……」

 ウィリアムが悲しげな眼差しをエドマンドに向けてくる。一人で舞台に立つスザンナを思い、彼は眼を曇らせているのだろう。

「ウィル、早くスザンナのところに行こう」

 そんなウィリアムにエドマンドは優しく話しかける。ウィリアムは少し眼を見開いて、優し微笑みをエドマンドに向けてくれた。


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