開幕
グローブ座の舞台の上でスザンナは劇のプロローグを読み上げる。彼女は白のカートルに銀糸の織り込まれたガウンを羽織り、平土間に集う観客に頭をさげた。
ほうっと観客たちから感嘆としたため息が漏れ、顔をあげたスザンナに称賛の声を送る。
けれど、彼らがほめているのはスザンナではなく、この場にいないエドマンド・シェイクスピアだ。その彼に成り代わり、スザンナは舞台になっている。
スザンナの眼は、貴賓席へと向けられていた。そこに赤い衣服に身を包んだ貴婦人がいる。彼女こそ、お忍びで劇を観に来たエリザベス女王そのひとだ。
彼女の凛とした眼差しがまっすぐスザンナに向けられている。その眼差しを受け止めながら、スザンナは彼女を見つめ返した。
まるですべてを見透かされているかのような彼女の眼を見て、スザンナは息を呑む。それでもスザンナは動じることなく彼女に微笑んでみせた。
ここで動揺しては正体がばれてしまう。自分は今、ジュリエットを演じるエドマンド・シェイクスピアなのだから。
化粧で彩られた女王の顔に笑みが浮かぶ。スザンナを見つめながら、彼女は静かに手を叩く。
エドマンドのように人を引き込む演技をできるのか、スザンナには分からない。だが、今はやるしかないのだ。
父ウィリアム・シェイクスピアの名にかけて、娘であるスザンナ・シェイクスピアは誓ったのだから。父のように戦うと。
女王エリザベスに認められる。それこそが演劇における戦いの勝利条件。彼女に微笑みを送りながら、スザンナは踵を返してグローブ座の楽屋へと戻っていく。
「やっちゃった……」
楽屋の入り口前で、スザンナはへなへなとへたり込んでいた。心臓が早鐘を打って、自分が何をしていたのかよく覚えていない。
「どうしよう……エドマンドに怒られないかな……?」
きちんと台詞を言えたのか不安になって、スザンナは胸に手を充てる。
「大丈夫、ちゃんと俺のジュリエットを演じられてたよ、お姫様」
後方から声が聞こえて、思わずスザンナはそちらへと顔を向けていた。舞台衣装を身にまとったリチャードが、微笑みをこちらへと向けている。青いビロードのタブレットを纏う彼は、そっと膝を折りスザンナに手を差し伸べる。
「大丈夫、エドマンドもびっくりの名演技っぷりだった。いや、エドマンドそのものといった方がいいかもしれない。いつのまに、そんな技術を身につけたんだか」
「ずっと、見てたから……」
リチャードの手をとり、スザンナは立ちあがっていた。スザンナの言葉にリチャードは口笛を吹いてみせる。
「分かる。エドマンドのジュリエットは誰でも虜になるよ。なんであいつ男なのかな」
「リチャードさんっ!?」
「いや、俺にはヘミングスがいるから、浮気はしないよ。あ、これヘミングスには秘密ね」
にっと笑いながらリチャードは口元に人差し指を充ててみせる。その仕草がおかしくて、スザンナは思わず吹き出していた。
「あれ俺、変なこと言った?」
「いいえ、なんだか緊張がほぐれました」
ひょうきんなリチャードといるとこちらまで不思議と明るい気持ちになってくる。宮内大臣一座の看板俳優の名は伊達ではないのだ。
それに、ずっとエドマンドの演劇を見つめていたのは本当だ。稽古として舞台に上がったあの日から、スザンナはエドマンドから視線が離せなくなっていた。
彼を見つめるたびに、彼の唇の感触を思い出す。エドマンドは挨拶のようなものだと言っていたけれど、スザンナにはそうは思えなかった。
「最近、エドマンドが男らしくなってきた理由が分かったかも……」
リチャードが苦笑を顔に描く。スザンナは彼の言葉に大きく眼を見開いて、声をはっしていた。
「たしかに、エドマンドは女の子みたいですけど……」
父を想う彼の姿は恋する乙女そのものだ。それを承知しているのか、父のウィリアムも普段からエドマンドに少女の格好をさせている。そんな二人の関係に、スザンナが口を挟むことはできない。
「エドマンドもさ、そろそろ気がついてるんじゃないかな。自分が男だって。ウィリアムの側を離れる日も近いかもな」
そう語るリチャードはどこか寂しそうだ。彼はそっと眼を伏せて、言葉を続ける。
「俺も父親が死んだときへイングスとウィリアムたちがいなかったらどうなってたか……。ずっと俺、守られてばっかりだからな。守るものができたエドマンドが羨ましいよ」
「エドマンドの守るもの?」
それは他ならぬ父ではないのだろうか。でも、リチャードはその父からエドマンドが離れていくと言っている。
「うん、俺も守られる側じゃなくて、守る側にならなきゃな。ヘミングスを、劇団のみんなを守れるように」
ぎゅっと彼が力強く手を握りしめてくれる。スザンナはその手の大きさと温かさに驚いていた。そして、彼の手はかすかに震えてもいる。
「ちゃんと戻って来いよ、ヘミングス、ウィリアム……。俺たちは、ここで戦うから」
「はい。戦いましょう、リチャードさん」
凛とした声を発し、スザンナはリチャードに微笑んでみせた。その微笑みを見て、リチャードが大きく眼を見開く。
「ああ、その笑顔のせいでエドマンドは……」
「リチャードさん」
「ううん、何でもない。そろそろ俺の出番だ。行こうか、愛しのジュリエット」
「はい、ロミオ」
そっと握るスザンナの手を持ち上げ、リチャードは微笑む。その微笑みにスザンナは笑顔で応えていた。
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