少年の想い
部屋の寝台枠に体を横たえられたエドマンドは、そっと眼を開けていた。ぎょっとウィリアムが驚いた様子でこちらを見つめてくるが、エドマンドは気にしない。
「ウィルの大切なものって、何?」
「エドマンド……」
口から出た言葉に、ウィリアムは困惑した様子で顔を逸らしてみせる。そんな彼の様子がおかしくて、エドマンドは体を起こしていた。
「俺に遠慮して、ストラトフォードに戻らないなんて言い出さないでよ。代わりはもうこりごりだ」
「代わり……? エドマンド、なんのことだ」
ウィリアムの顔に困惑の表情が広がる。エドマンドは笑いながら、そんな言葉を継いでいた。
「言葉の通りだよ。俺はウィルにとって家族の代わり。でも、もう、スザンナがいるからその代わりもしなくてすむんだ。ウィルにとって俺はお払い箱になる」
「お前の代わりなんて、どこにもいないっ」
ウィリアムが声を荒げ、エドマンドの顔を覗き込む。エドマンドはそんな彼を見つめながら、彼の両頬を包み込んでいた。そして、彼の唇に自分のそれを重ねてみせる。
「エドマンドっ!」
ウィリアムがエドマンドの体を引きはがす。そんな彼を見てエドマンドは笑っていた。自分の中に芽生えたこんな思いを、家族を愛する彼が受け止められるはずがない。
「俺にとってのウィルはこういう人。最愛の人。世界で一番愛したい人。その感情を人は堕落だって言う。俺は、あなたの側にいちゃいけないんだ……」
「お前はソドマイドなんかじゃっ」
「俺は、ソドミーだよっ!」
凛としたエドマンドの声がウィリアムの言葉を遮る。眼に涙をためて、エドマンドは驚いた様子でこちらを見つめるウィリアムに言った。
「ウィルに愛されたくて、愛されたくてしょうがない。でも、スザンナが来てよく分かった。スザンナは、女の子は柔らかくて、優しくて、男のおれなんかとは比べ物にならないぐらい魅力的で……。そんなものに、なれるわけがない……。なっちゃいけないんだ……」
ほろほろと涙が頬を流れていく。その涙をぬぐいながら、エドマンドはそっと纏ったカートルを脱いでいた。
「エドマンドっ! 何をっ?」
上半身を露わにしたエドマンドを、ウィルアムは驚いた様子で見つめることしかできない。そんな彼に微笑みながら、エドマンドは言葉を続ける。
「胸なんてどこにもない。固くて骨と皮ばかりで、俺の体はスザンナみたいに柔らかくない。姿かたちばっかり女に似せても、俺はずっと偽物……。偽物なんだよ、ウィル! 俺は、女なんかになれっこないっ!」
たいらな胸板に指を滑らせながら、エドマンドは叫ぶ。スザンナのように柔らかい胸はエドマンドにはない。彼女のように丸みを帯びた体つきも、甘やかな香りも自分からはしない。
姿かたちばかり似せたまがい物の女になっても、ウィリアムに愛されることは決してないのだ。
ウィリアムは悲しげに眼を細め、そんなエドマンドの頬に手を添えていた。
「それでもお前は、私のミューズだよエドマンド……」
「そのミューズは、あなたの偽りでできてる……」
エドマンドの言葉にウィリアムは黙ったままだ。頬に添えられた彼の手をそっと降ろして、エドマンドは言葉を続けていた。
「ごめん、しばらく一人にして。頭がぐちゃぐちゃで、訳が分からない……」
「今晩はシアター座にいるよ。明日には戻ってくる」
「ごめんなさい……」
「私こそ、すまない……」
小さな彼の謝罪に、エドマンドは顔をあげていた。ウィルアムはエドマンドに背を向け、扉へと向かっていく。
「ウィル……」
彼の名を呼んでも彼が振り向くことはない。ウィリアムは何も言うことなく部屋を去っていった。
自分は、何のために女の役をするようになったのだろう。
そんな疑問を抱きながら、エドマンドは夜の街を歩く。ふっと硝子窓の嵌めこまれた窓を見つめると、女の格好をした自分がそこには映りこんでいた。黒い髪をなびかせ、レースの美しいカートルとガウンを羽織る姿は少女のそれにしか見えない。
けれど、エドマンドはその姿が偽りだということを知っている。
「スザンナの方がずっと綺麗だ」
思いが口になる。
初めて舞台に立ったのは、ウィリアムに拾われてすぐのころだった。宛がわれたのは劇での端役。それでもエドマンドは嬉しくて、何度も何度も紙に書かれた台詞を繰り返し唱えた。
劇に夢中になる自分を見て、喜んでいるウィリアムの顔をずっと見ていたかった。そんな彼を独り占めしたいと思うようになったのは、いつからだろう。
彼が家族の話をするたびに、心が痛むようになったのはいつからだろう。
「男なのに、おかしいよな……」
こつりと硝子窓に額を押しつける。スザンナが来てからエドマンドはそのことを嫌というほど思い知らされた。
ウィリアムがスザンナに向ける眼が、とても優しかったから。スザンナの笑顔が、とても魅力的だったから。自分は彼女には敵わないと分かってしまった。
せめて、女だったらこんな感情を抱かずにウィリアムの側にいられたのだろうか。自分が、スザンナのように愛らしい少女だったら。
「俺は汚い男だし、そんなの無理なのに……。女になんてなれないのに」
「君は素敵な女の子だよ、エドマンド」
下卑た笑いが耳にへばりつく。一番会いたくない男のその笑い声を聞いて、エドマンドは嘲笑を顔に浮かべていた。
「負け犬さんが何のよう? 今俺、最強に気分が悪いんだけど」
苛立ちが言動に現れてしまう。それでもジャイルズは笑みを崩すことなく自分を見つめていた。下宿先を抜けてきた自分をずっとつけてきていたのだろうか。
「いやいや、君もなんだかショックを受けているようだが、どうしたのかな? おじさんに話してみないかい?」
口元を歪めジャイルズが笑みを深める。その嫌らしい微笑みにエドマンドは体に怖気が走るのを感じていた。
どのような用件でこの男は自分をつけてきたのだろうか。嫌な予感しかしない。
「俺に何の用があるのか知らないけれど、どのみちあんたの負けは決まっているんだ。俺に手を出したところで、もう何の意味もないと思うけど?」
「勝ち負けの問題じゃないんだよ、エドマンド」
ジャイルズの眼が妖しい光を帯びる。その眼差しを見て、エドマンドは眼を見開いていた。何かがおかしいそう思った時にはもう遅く、怪しい気配がエドマンドを取り囲む。
「私は君とゆっくり話がしたい。ただ、それだけだ」
「断ったら?」
「クロスといったかな? 宮内大臣一座に入った新人はとても君にそっくりだというじゃないか。彼ともゆっくり話をしたいと思っていたんだよ」
「ゲス野郎」
舌打ちしながら、エドマンドは吐き捨てる。逃げたところで、ジャイルズの雇ったならず者たちをまけるとも思えない。エドマンドの選択肢は一つしかないのだ。
「話を聴けばいいんだよな?」
「ああ、君が嫌がることは極力しないつもりだよ。極力ね……」
ジャイルズの唇が嫌らしく歪められる。彼はエドマンドに近づき、その体を抱き寄せていた。
「ちょっ!」
「ああ、君がこんなに側にいるなんて夢のようだよ、エドマンド……」
うっとりとジャイルズはエドマンドの腰を撫でまわす。エドマンドは顔を顰めながらも、彼に返していた。
「俺の嫌がることは、極力しないんじゃなかったのか?」
「おお、これはすまない。急に抱きつくのはさすがに君でも嫌だったね」
そっとエドマンドの腰から手を放し、ジャイルズは笑ってみせる。彼はそのままエドマンドの肩を抱き、言葉を続けた。
「通りに馬車を用意させてある。それで、私の家まで行こう」
「俺は家に帰りたいんだけど」
「今日から君の家は、私の邸宅になるんだよ」
嫌らしいジャイルズの顔が目の前に広がる。エドマンドはそんな彼を睨みつけながら、言葉を放っていた。
「みんなになにかしたら、ただじゃおかねえから」
「何もしないよ。約束しよう。ちゃんということをきいてくれればね……」
ジャイルズがエドマンドを抱き寄せてくる。その行為に不快感を覚えながらも、エドマンドは彼と共に通りに止められていた馬車へと乗っていた。
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