戸惑い

 グラスを打ちつけ合う音がサザック地区の空き家に響き渡る。新生シアター座の誕生を祝うために、空き地には椅子やテーブルが運び込まれ、劇団員と職人たちが思い思いに談笑を交わし合っていた。

「知ってますかっ? ジャイルズの奴、真っ青な顔して私のところにやって来たんですよっ! これはどういうことだ!? 自分の敷地内にある劇団を勝手に解体されたってね」

 グリーンワインをたんまりと飲んで赤ら顔になったヘミングスが、大声で言葉をはっする。

「もうあれ、超受けたよね、ヘミングス! あのジャイルズの顔、肖像画にして新しいシアター座に飾ってやろうかなっ!?」

 革製のジョッキからビールを煽り、リチャードがヘミングスに言葉を返す。口が悪いですよ坊ちゃんと笑うヘミングスの肩を、リチャードは嬉しそうに抱いていた。

「いやあ、あの二人。あいかわらずラブラブだね」

 ピューターに入ったエールを煽るエドマンドは、とろんとした眼でそんな仲睦まじい二人を見つめている。エドマンドの隣に座すスザンナは、そんな彼に声をかけた。

「ちょっと飲みすぎじゃないの? エドマンド」

「いいの、あのジャイルズからやっと解放されるんだから、飲まなきゃやってられないよ」

 そういって彼は船を漕ぎ始めた眼をスザンナに向けてくる。スザンナは苦笑しながら、エドマンドに返した。

「そろそろ帰る? 明日は夏の夜の夢の公演なんでしょ? 飲みすぎると明日の公演に差し障るわよ」

「うん、スザンナが代わりに出てくれる?」

 ひょいっとエドマンドがスザンナの体に甘えるように凭れかかってくる。スザンナはぎょっとして、思わず彼を引き離していた。

「エドマンド、酔い過ぎっ!」

「ごめん……。ちょっと甘えてみた」

 とろんとした眼をスザンナに向け、エドマンドが微笑んでみせる。スザンナはそんな彼を見つめながら、心臓が高鳴るのを感じていた。

「スザンナは……もうすぐウィルと故郷に帰っちゃうんだね?」

「エドマンド?」

「いや、少し寂しいなと思って……」

 エドマンドが首に腕を巻きつけてくる。彼はこつんとスザンナの額に自身の額を重ね合わせ、言葉を続けた。

「ウィルはすぐに帰ってくるっていうけれど、スザンナはストラトフォードに戻ったらそれっきりなんだろうね」

「エドマンドっ!」

 また彼を引き離す。エドマンドは不満そうに口を尖らせながら、ピューターに入った酒を煽った。

「ごめん、なんか大団円のはずなのに気持ちが乗らなくて……。どうしてかな? 俺ってこんなに女々しい奴だったっけ……?」

「エドマンド……」

 エドマンドの言葉を聞いて、スザンナは黙ってしまう。彼はそっとスザンナに寄り添い、言葉を続けた。

「スザンナにロミオを演じてもらってから、ずっとスザンナの側にいると気持ちがそわそわした。女の子って柔らかくて、すっごい気持ちのいい香りがするの……。オンナモドキの俺とは大違い……。女になれない俺とは、大違い……」

 エドマンドの声が心なしか弱々しい。不思議に思ってスザンナは彼を見つめる。気持ちよさげにエドマンドは眼を閉じて眠っているではないか。

「エドマンド……」

「ああ、寝ちゃったみたいだね」

 父、ウィリアムの声がする。スザンナは後方に立つ彼へと振り向いた。彼は困った様子で眠っているエドマンドを見つめる。

「その、このままなのかな?」

「私が家まで連れて行こう」

 そう言って父はエドマンドを横抱きにした。ううんとエドマンドが唸るが、彼が目を覚ます様子はない。ウィリアムは苦笑しながらそんなエドマンドの顔を覗き込んだ。

「劇を終えた後、ずっと踊りっぱなしだったから疲れたんだろう。そんなに張り切らなくてもいいのに……」

 父の顔に浮かぶ優しい笑顔を見て、スザンナは大きく眼を見開く。彼がエドマンドに向ける眼差しは、愛しいわが子に親が送るそれととてもよく似ている。まるで、二人が本物の親子だと言わんばかりに。

 ベルトに巻いた財布をそっと握りしめ、スザンナはそんな二人を見つめていた。エドマンドは父にとって家族も同然の存在だ。そんなエドマンドを一人残し、彼が故郷のストラトフォードに帰るとは思えない。

「エドマンドも一緒にストラトフォードに来てくれるかな?」

 ハムレットの遺髪が入った財布をなでながら、スザンナは言葉をはっする。父はそんなスザンナへと顔を向け、言葉を返した。

「難しいだろうな。エドマンドは役者だ。劇の公演に穴を開けるわけにはいかないから、たぶんロンドンを離れることはないと思うよ」

「じゃあ、エドマンドを置いて?」

「ハムネットにはきちんと会いに行くつもりだよ。アンにもジューディスにも会いたい。心の底からそう思う。ちゃんと帰るよ、ストラトフォードに。それが、私なりのけじめのつけ方だ」

「けじめ……」

 父のその言葉に引っかかりを覚えてしまう。まるで、二度と故郷には戻らない。そう父が言っているように聞こえるのだ。

「お父さんはロンドンに残るつもりなの?」

 スザンナの問いかけに、ウィリアムは困った様子で微笑むばかりだ。エドマンドを抱えなおし、彼は言葉を継ぐ。

「ずっとストラトフォードにはいられないだろうな。ここにも、私の大切なものがあるから。とても大切なものが……」

 腕の中のエドマンドを父は愛しげに見つめる。そんな父の眼差しから、スザンナは視線を逸らしていた。父にとってエドマンドは家族よりも大切な存在なのかもしれない。そんな思いが芽生えてしまう。

「先に帰ってるよ、スザンナ」

「うん……」

 ウィリアムが笑顔を向けてくれる。その笑顔からスザンナは顔を逸らすことができなかった。




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