ケンプのジグダンス
芝居が終わった瞬間、カーテン座は沈黙に包まれていた。誰もがキャッピュレットとモンタギューの争いによって亡くなった若きカップルの死に涙し、彼らを演じた役者の演技に魅入られていた。
平土間から劇を見ていたスザンナは、ただ黙っていることしかできない。舞台にいたエドマンドは本当にジュリエットそのものだった。彼はロミオを心の底から愛し、彼の死に涙を流しながら自ら死を選んだのだ。
その壮絶ながらも胸に迫る死に様に、スザンナは涙を流し、エドマンドが演じるジュリエットが短剣で胸を刺す瞬間には、思わず顔を逸らしてしまった。
凄いという言葉しか出てこない。自分と同じ年頃の少年が、これほどまで心に迫る演技ができるだんなて思ってもみなかった。
「凄いよ、エドマンド……」
涙をぬぐいながらスザンナは小さく呟く。その呟きに応えるように、ぽつりぽつりと拍手が鳴り、それは劇場全体を包み込むほどに大きくなっていった。
桟敷席に座る紳士や淑女までもが、立ちあがり称賛の声を口々に述べている。その中でも貴賓席に座る老婦人は満面の笑みを浮かべながら、優美に席から立ちあがった。
沈黙が劇場に舞い降りる。誰もが彼女に視線を向け、彼女の言葉をそっと待つ。
この国の支配者である女性は、微笑みながら高らかな拍手を送ってみせる。人々の口から歓声があがり、再び劇場は拍手の嵐に見舞われた。
もちろん、スザンナも拍手を惜しまない。ただ、問題なのはこれからなのだ。
「さあ、この国を統べる素敵な御令嬢もご覧になっている中、悲劇の次は陽気なダンスはいかがでしょうか!」
高らかなケンプの声が壇上に響き渡る。緑色の道化姿になった彼は、可憐なステップを踏みながらジグダンスを踊り始めた。
始まったとスザンナは思う。ここからが、自分たちの本領を発揮する部分なのだ。
「はい、お集まるの紳士淑女のみなさまも、ケンプと世界一周のジグダンスは如何ですか?」
弾んだケンプの声と共に、舞台のテラスで待機していた楽隊が陽気な音楽を奏で始める。その音楽を合図に、スザンナはケンプと同じステップを踏み始めていた。 スザンナだけではない平土間にいた何人もの劇団員たちが、いっせいにジグダンスを踊り始める。
「さあ、シアター劇場と共にケンプの世界一周旅行の始まりだっ!」
大声をはりあげ、ケンプは壇上から勢いよく跳び下りた。
「さあ、一世一代のシアター座の引っ越しだよ! 閲覧料は芝居と同じ一ペニー! シアター座がどこに運ばれていくのか、ついていかないか!?」
ケンプの声と共に外から陽気な音楽が鳴り響く。踊るスザンナが劇場の入口へと顔を向けると、山車に乗せられたシアター座の木材がジグダンスを踊る職人たちによって持ち運ばれるところだった。
これが父たちが考案した作戦だ。ジャイルズの敷地内にあるシアター座を解体し、白昼堂々新な土地へと移動させる作戦。その名もケンプの世界一周旅行作戦だ。
「さあ、歌って踊ってみんなで行こう新天地! もしかしたら、その先には新大陸があるかもしれない!!」
ケンプの言葉に平土間の観客たちが歓声をあげる。彼らはバラバラなステップをふみながらもケンプを筆頭に、入口へと向かっていく。女物の衣服をまとい前掛けをしたスザンナは、彼らからお代を貰っては、それを前掛けの大きなポケットへと器用に詰め込んでいく。
カーテン通りに溢れた人々は、シアター座の建材が積み上げられた山車を取り囲み、ジグダンスを踊りながら、シティ内を通りロンドン橋へと向かっていく。
商店の立ち並ぶロンドン橋の橋上では、同じくジグダンスを踊る劇団員たちの一行が待ち構えていた。ケンプ率いるジグダンスの一団はロンドン橋の一段と合流し、橋の向こうにあるサザック地区を目指して突き進む。
サザック地区でも空き地になっているその場所へと、ケンプたちが率いる山車の一団は入っていくのだ。そここそ、宮内大臣一座が新たに買った新劇場のための土地だった。
山車を空き地の中央に集め、人々は輪を作ってジグダンスを踊る。ジグダンスを導く軽快な音楽に合わせ、雇われ職人たちは解体した劇場を組み立てていくではないか。
「もしかして、このまま建てちゃうの?」
「いや、何ヵ月もかけて新しい劇場を作るんだ。そのあいだも、ケンプさんはジグダンスを踊りっぱなしだけど」
くるくるとジグダンスを踊るスザンナに対して、隣にいるエドマンドがにやっと微笑んで言葉を返してくれる。ジュリエット役の真っ白な衣装に身を包んだ彼は、ぴょんと山車の一つに跳びあがり。華麗なステップを踏み始めた。
ジグダンスを踊る人々の周囲で歓声があがり、軽快な音楽は昼の日差しを受けながら増す増す勢いを増していく。
「こういうのって、ありなのかな?」
楽しそうに山車の上で踊るエドマンドを見つめながら、スザンナは呟く。
「スザンナは楽しくないのかい?」
声をかけられ、スザンナはそちらへと振り向く華麗にステップを踏む父が、微笑みながらスザンナを見つめていた。
「ううん、凄く楽しい」
笑いながら踊るエドマンドを見て、スザンナは気持ちを口にする。思えばロンドンに来てこんなに楽しかったことは初めてかもしれない。
「それはよかった。スザンナの笑った顔を久しぶりに見たからな」
父が笑みを深める。その言葉を聞いて、スザンナは自分が心の底から笑っていることに気がついていた。
「そっか私、楽しいんだ……」
スザンナの顔に笑みが広がる。その笑みを見て、父のウィリアムはどこか寂しそうに眼を細めてみせた。
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