ソネット18番

 父とエドマンドの部屋の扉を開け、スザンナは眼を見開いていた。埃っぽかった部屋は綺麗に掃除され、部屋に置かれた寝台枠にはリネンのカーテンがかかっている。その寝台枠の上に、スモッグ(上から羽織る下着)を纏ったエドマンドがいた。長い濡れ場色の髪を象牙のくしで梳かしながら、エドマンドは困った様子でこちらへと顔を向ける。

「エドマンド」

「スザンナ……」

 エドマンドのシャツ(男性用の下着)を纏ったスザンナは、そっと彼へと近づいていた。エドマンドが困惑した様子でスザンナから顔を逸らす。寝台枠にのぼり、スザンナはそんな彼の頬を両手で包み込んでいた。

「これで、いいのかな?」

 困惑にスザンナは声をはっする。スザンナは椅子型のチェストに腰かけ、一心不乱に羽ペンを動かすウィリアムを見つめていた。

「いいぞ! いいぞ! スザンナ! エドマンドお!」

 彼は鼻息を荒く吐きながら、寝台枠のスザンナとエドマンドを見つめペンを走らせていく。がたりと椅子から立ちあがり、彼は一枚の紙を持ってこちらへと近づいていく。

「いいぞお。ロミオとジュリエットの初夜が頭の中に思い浮かぶ。スザンナ、エドマンド、抱き合って。そう。それからスザンナ、これをエドマンドに読んで聞かせて」

「……はい」

 鼻息の荒い父からの紙を、スザンナはおそるおそる受け取っていた。そこに書かれているのは、ソネット形式の詩だった。

「な……これを!」

 その美しいソネットを読んで、スザンナは思わず頬を赤らめていた。そこに書かれているのは、とある人物の美しさを夏に讃えた詩だ。その詩を父はエドマンドに向けて読んでほしいという。

 体が熱くなる。隣にいるエドマンドを見ると、彼は頬を赤らめ潤んだ眼を逸らしてきた。

「また、あれやるの……? 今度は、ウィルじゃなくてスザンナで」

「あの舞台稽古を見たとき思ったんだ。スザンナにロミオ役をやらせたいと……。ああ、スザンナが女じゃなかったら、とっくに舞台にあげてるのにな」

 父は己を強く抱きしめ、体をくねらせてみせる。そんな父の仕草がなんだか気持ち悪くて、スザンナはエドマンドの体をぎゅっと抱きしめていた。

「エドマンド、お父さんと暮らしていて恐くない?」

「もう、慣れたよ……。昔はあれでも、かっこいい人と思ってたんだけどね」

 あきらめきったエドマンドの声が耳朶を叩く。彼は大きくため息をついて、自身を抱きしめる父を見つめている。

「昔は……」

「うん、ただの思い込みだった……」

「思い込み……」

「さあ、スザンナ早く!」

 鼻息の荒い父の声が聞こえてくる。その声に引きながらも、スザンナは手渡された紙に書かれた詩を読んでいた。

「きみを、夏の一日にくらべたらどうだろうか。きみはもっと美しくて、もっとおだやかだ。五月のいとおしむ花の蕾を荒っぽい風が揺さぶり、夏という契約期間はあっというまに終わってしまう。天の太陽も、ときに、灼熱の光をはなつけれど、黄金のかんばせが雲にかくれることだって珍しくない。美しいものはすべて、いつかは美を失って朽ちる。偶像や自然の変移が、美しい飾りをはぎとってしまう」

 そっとエドマンドの頬に手を添え、スザンナは父から渡されたソネットを唱える。エドマンドは頬を赤くし、困った様子で眼をさまよわせた。そんなエドマンドの眼を見つめながら、スザンナはソネットを唱えていく。

「しかし、君が不滅の詩の中で時と合体すれば、君の永遠の夏はうつろうことはない。いま手にしているその美しさを失うこともない。死神が、やつはわが影を歩んでいる、とうそぶこともない。人が息をし、眼を見うるかぎり、この詩は生きる。そして、この詩がきみにいのちをあたえる」

「私を、詩の中に閉じ込めるのね……」

 かぼそいエドマンドの声がする。彼は恍惚とした眼差しをスザンナに向け、そっと首に腕を回してきた。

「エドマンド」

「どうぞ、私を永遠にして。そうすれば、あなたの書く詩の中に私は不滅に生き残る。あなたの詩の中に夏の私を閉じ込めて。青い青い、果実の香りのするこの体を」

 エドマンドの眼が、ふっと細められる。か細くも可憐な声が美しい言葉がスザンナの耳に響き渡るのだ。

「私は、永遠なる夏から、あなた永遠に思いましょう」

 彼の眼が笑みを描く。慈愛に満ちたその微笑みに、スザンナは大きく眼を見開いていた。そっと彼の五指がスザンナの頬を捉え、彼の視線がスザンナを捉える。彼はスザンナの唇に指を這わせ、スザンナの頬に口づけを落としていた。

「あ……」

 また、エドマンドの唇の感触を味わう。柔らかなその感触に、うっとりとスザンナは眼を細めていた。

「ああ……神よ。なぜこのように、夏の果実たちは麗しいのだ……」

 うっとりとした父の声が聞こえる。彼はこちらをじっと見つめながら、羽ペンを紙に走らせていた。

「書ける。ロミオとジュリエットの気持ちがよくわかる。そうか。ジュリエットは愛しい従兄を愛する男に殺されても、その男への愛を貫くのか……。おお、なんとけなげで麗しい乙女だ!!」

 叫びながら、父はものすごい勢いで羽ペンを紙に走らせていく。そんなウィリアムを見て、エドマンドは苦笑していた。

「あー、完全に自分の世界に入ってるな。あの人……」

 そっとスザンナの頬から手を放し、エドマンドは苦笑しながら執筆に熱中する父を見つめる。その眼差しは優しそうだった。

「ああなると、しばらくは声をかけても反応しないんだ。スザンナ、部屋に戻って着替えてなよ」

 ぴょんとエドマンドは寝台枠から跳び下り、纏っているスモッグを脱ぎ始めた。

「ちょ、エドマンドっ!」

 スザンナは眼を見開いて、エドマンドを怒鳴りつける。二度目ならぬ三度も自分に裸を見せるなんて信じられない。スモッグで体を隠しながら、エドマンドはスザンナに得意げな笑みを浮かべてみせた。

「何見てるの? 眼、瞑ってれば関係ないよね」

「う……」

 言われてみればそうだが、そこまで気が回らない方が当たり前じゃないだろうか。何だか納得いかないスザンナの眼の前で、エドマンドはウィリアムの座る向かいにある椅子型のチェストを開けて、しまっていたシャツやブリーチを纏っていく。

「やっほーお嬢さん方っ!」

 そんな中、扉を開けてリチャードが部屋へと入ってきた。明るい彼の声にスザンナはびくりと体を震わせる。

「あら、お楽しみ中だった……」

「そんなんじゃありません」

 シャツを纏うスザンナを見て、リチャードはにやっと笑う。スザンナはそんな彼を怒鳴りつけていた。

「あれ、リチャード兄ちゃん?」

 シャツの上にダブレットを着込んだエドマンドは、髪を結い上げ帽子の中にしまう。そんなエドマンドを見て、リチャードは口を開いていた。

「おお、エドマンドがちゃんと男の格好してる。本当にクロスにそっくりだな。どっちがどっちだか見分けがつかない。双子みたいだ」

 シャツを纏ったスザンナとエドマンドを見比べ、リチャードは笑ってみせる。その笑い声が何だが不快でスザンナは彼から顔を逸らしていた。

 まだ子供とはいえスザンナにはちゃんと胸がある。どうもその胸にリチャードは気がついていないようなのだ。正体がバレないからいいとは思うが、何だが気に入らない。

「あれ、クロス。どうした?」

「あの、なんの御用ですか?」

 そっと胸元を隠しながら、スザンナはリチャードに尋ねる。リチャードは盛大に破顔して、言葉を返した。

「これから、クロスの歓迎会をしようと思って、呼びに来たんだ。嫌なこともあったし、気晴らしにどうだい。といっても、俺とヘミングスが気晴らししたいだけなんだけど」

 リチャードの眼がかすかに悲しげな色を帯びる。ジャイルズとの話し合いに行っていた彼は、どこか疲れているように見えた。

「でも、おと……ウィリアムさんが」

 スザンナは一心不乱に羽ペンを走らせる父へと顔を向ける。

「おお、これはいい。なるほど、二人は本当に心の底から愛し合っているのか。おお……」

 リチャードが来たことに気がついていないのか、父はなにやら呟きながら得意げな笑みを顔に浮かべていた。

「ああなちゃうとウィリアムの奴は誰の声も聴こえないよ。留守番してもらおう」

 扉枠に体を預け、リチャードは苦笑しながら父を見つめていた。

「悔しいな。俺のロミオじゃ力不足ってことか……」

「えっ?」

 ぽつりとリチャードが呟く。その呟きにスザンナは彼へと顔を向けていた。

「いや、何でもないよ。お姫様」

 端正な顔に笑みを浮かべ、リチャードはスザンナに言う。彼の眼が自分の胸に向けられている気がして、スザンナは思わず自身を強く抱きしめていた。そんなスザンナを見つめながら、エドマンドは口元に人差し指をあててみせる。

 バレている。ぎょっとスザンナは眼を見開いていた。そんなスザンナにリチャードはにこやかに返して見せる。

「胸に詰め物をしてるなんて、クロスは女役でもやりたいのかな?」

「え、いえ、これはウィリアムさんに頼まれたんです」

「そうか、ジュリエットの代わりか。エドマンドにそっくりな君なら適役だな」

「クロスを舞台に立たせるの?」

 着替えを終えたエドマンドがこちらへとやってくる。彼はスザンナを見つめ、リチャードへと視線をやった。

「やめといたほうがいい。こいつ、本当に演技が下手だから」

 意地の悪い笑みを浮かべ、エドマンドは微笑む。その発言にスザンナは一瞬かちんときたが、エドマンドの顔に浮かぶ真摯な表情を見て口を噤んだ。

 男装をしてみんなを騙していることですら世間からすれば非常識な行為だ。そんな自分が舞台に上がり女だとバレれば、宮内大臣一座はただではすまない。

「そうか、適任だと思ったんだけどな」

 残念そうにリチャードは肩を落とし、扉枠から離れていく。

「ウィリアムに留守番を頼んで、俺たちはお暇しようか」

 彼は笑いながら執筆に励む父を一瞥し、自分たちに声をかける。そんなリチャードに連れられ、エドマンドとスザンナは部屋を後にした。

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