壇上
舞台では台詞の書かれた紙を持った役者たちが、輪を作ってなにやら話し合っていた。その中には、父ウィリアムの姿もある。
「既に申したことを繰り返すのみだ。娘はまだ世間知らず。十四の春も迎えて――」
「もっとキャピュレット公の気持ちを汲んで、娘をパリスに嫁がせたいのか、迷っているのか。感情を台詞に滲ませるんだ」
持っている台本を俳優につきつけ、父は声をはりあげてみせる。父の言葉に役者の男性は頷き、再び台本を片手に台詞を述べる。
「既に申したことを繰り返すのみだ。娘はまだ世間知らず。十四の春も迎えておらぬ。あと二夏がすぎぬうちは、花嫁となるにははやすぎる」
父の言葉のあとに述べられた台詞に、スザンナは聞き入っていた。娘を嫁がせることに迷っているキャッピュレット公の気持ちがよくわかる。まるで自分自身の身をキャピュレット公が心配しているかのようだ。
「もっと若くして幸せな母親となる娘もいます」
パリス役の青年が妖しい微笑みを浮かべ、キャッピュレット公を演じる役者に言葉を返す。キャッピュレット役の男性は苦しそうに眼を歪め、言葉を紡ぐ。
「若すぎる結婚は散るのも早い。わしの子供たちはみな土に還り、残るはあの子のみ。あの子だけがわが血を受け継ぐ希望なのだ。だが、口説かれるがよい、パリス殿、娘の心をつかむがよい」
「好きでもない男に、ジュリエットは抱かれるのかな?」
芝居の稽古に見入っていたスザンナは、エドマンドの声に我に返る。彼はじっと芝居を続ける劇団員たちを見つめながら、スザンナの手を強く握りしめていた。彼は自分の母親が娼婦であったことを語ってくれたことがある。
彼はそんな母親の姿を、好きでもない男に嫁がされるジュリエットに重ねているのだろうか。
キャピュレット役の俳優と、パリス役の青年が舞台の端へと移動する。
「エドマンド。おいでっ!」
楽屋の扉の前に立っていたエドマンドに父が声をかける。エドマンドは嬉しそうに破顔し、父のもとへと駆けていた。
「エドマンド、渡した台本は?」
「昨日、家で全部覚えた。何回も口に出して練習したから、今日やる場所は大丈夫だと思う。だから俺のぶんの台本、クロスに渡してもいい。クロスにロミオになってもらうんだっ!」
「お前」
「いいでしょ、ウィル」
エドマンドの眼に妖しげな笑みが浮かぶ。父はごくりと唾を呑み込み、そんな彼から眼を逸らしていた。そんなエドマンドからスザンナは視線を逸らすことが出来ない。
彼には妖しい魅力がある。人を虜にしてしまうほど毒のある魅力が。そんな彼が演技をしたら、どんなことになるのだろうか。
父と二三話を交わした後、エドマンドはカートルの翻しながら舞台の中央へと向かっていく。そこでは乳母役のケンプが、キャピュレットの妻を演じる青年と台詞を交わし合っていた。
「子羊ちゃん! てんとう虫ちゃん! あらやだ! どこにいらしたんでしょ。ジュリエットさま!」
乳母役のケンプが大仰な声でジュリエットを呼ぶ。
「はーい、だあれ?」
普段の口調からは想像もできない愛らしい声で、ジュリエット役のエドマンドはケンプに答えてみせた。ケンプはにっこりと笑って、ジュリエットのエドマンドに返す。
「はい、お母さま、ご用ですか?」
カートルの裾を翻し、母親役の青年にエドマンドは愛らしい笑みを浮かべてみせる。
「これが、エドマンド」
演技をする彼を見つめながら、スザンナは唖然と呟いていた。少女の服を着て演技に臨む彼を誰が男だと思うだろうか。言い方は悪いが、あのジャイルズがエドマンドに夢中になるのもわかる気がする。
「さ、言ってごらん、パリスさまを好きになれる?」
母親役の青年が、エドマンドに台詞を振る。エドマンドはふっと眼を曇らせ、俯いた。両指を組み、彼は台詞を紡ぐ。
「見ることで好きになれるのなら、見て好きになりましょう。でも、この目が放つ視線の矢は、あまり深くは刺さりません。弓を引くのはお母さまだから、それより遠くには飛びません……」
眼を伏せ台詞を紡ぐ彼は、望まない結婚に悲嘆するジュリエットそのものだった。エドマンドの台詞が終わると同時に、騒がしかった壇上は静まり返る。誰もがジュリエットになりきったエドマンドを見つめ、悲しみを映す黒真珠の瞳に釘付けになる。
「凄い……」
これが、自分と同い年の少年なのだろうか。いや、彼女はエドマンドではない。望まない結婚を押しつけられ、悲しみに沈むキャッピュレットの令嬢ジュリエットだ。
エドマンドは完全にジュリエットになりきって台詞をはっしている。父ウィリアム・シェイクスピアの想像の中にしか生きていない少女を、この現実の世界に顕現させているのだ。
「エドマンド……」
うっとりと父がエドマンドの名を口にする。父は恍惚とした微笑みを浮かべ、芝居に興じるエドマンドを見つめていた。スザンナの視線に気がついたのか、父は大きく眼を見開きこちらを見つめてくる。なんだか恥ずかしくなって、スザンナはそんな父から視線を離していた。
「恋人みたいに見つめないでよ……」
父には母のアンがいる。それなのに、あんな視線を少年俳優に向けるなんて卑怯だ。家族以上に父は、エドマンドを愛しているみたいじゃないか。
「クロスっ!」
父が自分を呼んでいる。スザンナは我に返り、彼に視線を向けていた。
「出番だよ」
父が自分に近づき、台本を渡してくれる。台本にはロミオの台詞のみが書かれていた。
「クロス、早くっ!」
エドマンドが自分を呼ぶ。彼は眼を輝かせながら、スザンナを手招きしていた。台本を強く握りしめ、スザンナは壇上の中心へと歩んでいく。
みなの視線がスザンナに向けられる。スザンナはじっと台本を見つめ、最初の台詞をはっしていた。
「卑しいわが手が、もしこの聖なる御堂を汚すなら、どうかやさしいおとがめを……。子の唇、顔を赤らめた巡礼者二人が、控えております。乱暴に触れらた手をやさしい口づけで慰めるために」
そっとエドマンドの手をとり、スザンナは台詞を口ずさむ。まるっきり棒読みな台詞だ。周囲から小さな忍び笑いが聞こえてくる。急に恥ずかしくなって、スザンナは顔を俯かせていた。
「大丈夫、俺に合わせてくれればいい……」
そんなスザンナの耳にエドマンドの囁きが聞こえる。彼はそっとスザンナの手を握り返した。
「俺だけ見てればいい。だから、大丈夫だ」
真摯な光を宿した眼がスザンナに向けられる。その眼を見つめながら、スザンナは小さく頷いていた。そんなスザンナに微笑みかけ、エドマンドは台詞を紡ぐ。
「巡礼さん、それではお手がかわいそう。こうしてきちんと信心深さを示しているというのに。聖者にも手があって、巡礼の手とふれあいます。こうして掌を合わせ、心を合わせるのが聖なる巡礼の口づけです」
「聖者には唇がないのですか、そして巡礼には?」
スザンナの震える唇が台詞を刻む。そんな彼女に嫣然と微笑み、エドマンドは台詞を返していた。
「あるわ、巡礼さん、でもお祈りに使う唇よ」
艶やかなエドマンドの唇に眼がいってしまう。顔が熱くなるのを感じながら、スザンナは震える声をはっしていた。
「では、聖者よ、手がすることを唇にも。唇には祈っています。どうかお許しを、信仰が絶望に変わらぬように」
「聖者は心を動かしません。祈りは許しても」
そっとエドマンドが眼を伏せ、台詞を紡ぐ。緊張に強張りながらも、スザンナは彼に台詞を返していた。
「では、動かないで。祈りのしるしを僕が受け取っているあいだ」
そっと艶やかな彼の唇に指を這わせ、彼に口づける。唇をはなすとうっとりと微笑むエドマンドの姿が視界に跳び込んできた。
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