楽屋裏

  エドマンドとともに楽屋へとやって来たスザンナは、立ち止まったエドマンド見つめることしかできない。エドマンドはそっとスザンナの手を放し、言葉を放った。

「相変わらずキモかった……。ねえ、めちゃくちゃ気持ち悪くない? あいつ」

 嫌そうに顔を歪め、エドマンドはスザンナへと振り返る。彼は自分の口元を片手で覆い言葉を続けた。

「どうしよう、吐きそうだよ……。なんでしょっちゅう所有地ですらないカーテン座にまで来るわけ……。本当に気持ち悪い……。おまけにスザンナまで俺だと思って、うわ……」

 ふらつきながら彼はスザンナに抱きついてくる。

「ごめん。ちょっと気持ち悪いから、体貸して……」

「その、ジャイルズさんて……」

「うん、正真正銘のソドミーだよ。しかも体目的の……」

 朝食の時に見たエドマンドと父の会話を思い出す。父は、エドマンドの身をとても案じているようだった。ジャイルズがエドマンドに手を出さないか、父は心配していたのだ。

「土地のいざこざだけじゃなくて、あの野郎俺みたいな少年俳優にまで手を出そうとしてるんだ。死んだバーべリッチさんに成り代わって、宮内大臣一座を乗っ取ろうとしてる……」

「まさか、売春っ?」

「そう、女王陛下もお気に入りの宮内大臣一座の役者たちを抱けるってなれば、桟敷席を使うお客さんたちは喜んで金を払うだろうね。老若男女問わず……。本当に悪夢としかいいようがないよ」

「そんな……」

 父が故郷に戻れない本当の理由を突き付けられ、スザンナはショックを受けていた。父の命を救ってくれたストレンジ一座の面々は、そのほとんどが宮内大臣一座に移っている。そんな大切な仲間たちが一人の男によって慰み者にされようとしているのだ。

 特に父にとってエドマンドは大切な存在だ。ロンドンを離れられるわけがない。

「もう、本当にどっちにいっても行き詰まりだよ、俺たち。シアター座を経営してたバーべリッチさんが亡くなってから、嫌なことばっかり起こる。男なんて抱いて何が楽しいんだよ……」

 エドマンドの顔に嘲笑が浮かぶ。彼の体がかすかに震えていることに気がつき、スザンナは彼を抱きしめ返していた。

「大丈夫、エドマンド」

「うん、落ち着いてきた。どうしてかな、スザンナに抱きしめられるとなんか安心する」

「え……」

「スザンナからはいい匂いがするんだ……。香水みたいにいい匂い……。それに、女の子って柔らかいんだね」

「エドマンド……」

 耳元で囁かれる言葉にスザンナは顔を赤らめていた。まるでエドマンドに愛の言葉を送られているようだ。そんなはずはないのに、心臓が早鐘を打ってしまう。

「ごめん、甘えすぎた」

 エドマンドが体を放してくれる。彼は恥ずかしそうに赤らんだ顔を逸らし、言葉を続けた。

「変なことしちゃってごめん……その、ちょっと不安で……。あいつを見てると気持ち悪くて……。俺、男なのに……」

 口元に手をあて、エドマンドは気まずそうにスザンナから顔を逸らす。そんなエドマンドを見て、スザンナは胸が高鳴るのを覚えていた。

 どうしてだろうか。自分とそっくりのエドマンドが少しばかり可愛いと思えてしまうのは。

「もう、恐くない?」

 そっと俯く彼の頬に手を充てる。彼は弾かれたように顔をあげ、じっとスザンナを見つめた。エドマンドの呼吸が早い。顔を赤らめたエドマンドは、そっと口を開く。

「あのスザン――」

「エドマンド、スザンじゃなくてクロスちょっと来てくれるか?」

 震えるエドマンドの声は、扉から聞こえてきたケンプの声によって遮られる。彼は困ったような笑みを浮かべ、こちらに声をかけてみる。

「その、二人っきりにした方がよかったかな?」

「え、ううん。うううん」

 エドマンドが奇妙な声をあげながら首を激しく振る。彼は潤んだ眼をスザンナに向け、縋るようにスザンナを見つめてきた。

「ええと……はい、今行きます」

 戸惑いながらもスザンナは彼の手を握り、楽屋の扉へと向かっていく。

「変なことがあったのにすまないな。リチャードとヘミングスがジャイルズと話をつけてくると出て行ってな。その、どうたもんかと」

「は、それじゃ打ち合わせできないじゃん。誰がロミオ役やるの?」

 困ったといわんばかりにエドマンドが声をあげる。

「リチャードは台詞を全部覚えてるから問題はないと思うんだが」

「リチャード兄ちゃんは論外。俺はあの人みたく一度読んだら二度と台詞を忘れないような頭はしてないよ。ああ、誰か代わりにロミオの役……あ」

 エドマンドが間抜けな声をあげてスザンナを見つめる。にいっと彼は得意げな笑顔を浮かべ、スザンナに声をかけた。

「ねえ、クロス。俺のロミオになってよ」

「えっ?」

「そうと決まれば稽古! 稽古! クロス早くっ!」 

「ちょ、まってエドマンドっ!」 

 エドマンドはスザンナの手を引き、舞台へとかけていった。


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