カーテン座

 カーテン座はその名の通りカーテン通りに面した劇場だ。ジェイムス・バーべリッチが三番目に建てたこの劇場が今では宮内大臣一座の唯一の生命線といってもいい。

 そんな小さな劇場の壇上に立たされ、スザンナは舞台を取り囲む宮内大臣一座の面々にじっと顔を見つめられていた。

「本当にエドマンドにそっくりだな」

 背の高い中肉中背の青年が、ぽつりとそんなとを呟く。彼は端正な顔をじっとスザンナに向けている。

「家は赤字でやってるのに、また食い扶持を増やすのか」

 その隣にいた壮年の男性が、はあと大きなため息をついた。帳簿の束を手に持つ彼は、嫌そうな顔をスザンナに向けてくる。

 歓迎されていない。彼らを見つめながらスザンナはそう思った。まるでロンドン塔の動物園の珍獣でも見るように、彼らはスザンナを指さし小さく笑い合ってみせるのだ。

「おっほん」

 そんな彼らを黙らせるべく、スザンナの隣にいるケンプが大きく咳払いをした。

「彼はウィリアムの遠い親戚にあたる子で名をクロスという。今日からウィリアムの家に世話になる代わりに、ここで雑用係として働くことになった。みんな、くれぐれもよろしく頼むよ」

「ええ、賃金……払えるかな……?」

 ケンプの言葉に壮年の男性が小さく声をあげる。ケンプはそんな彼に向って微笑んでみせた。

「大丈夫だ。クロスは演劇の世界に興味があってな、ストラトフォードに帰るまでにその世界にどっぷりと浸かりたいんだそうだ。下宿先はウィリアムの家だし、食費もすべてウィリアムが持つ。劇団に迷惑はかけないそうだ」

「よかった……」

 安心したのか壮年の男性はほっと息をつく。その様子がなんだか気に食わなくて、スザンナは俯いていた。

「クロス。みなさんにご挨拶を……」

 ケンプがスザンナの肩を叩き、挨拶を促す。

 スザンナは顔をあげ、彼らを見回した。彼らの中にもスザンナと共に地方巡業を回っていた人々がいる。そんな彼らの中には人差し指を唇にあてて笑ってみせたり、小さくスザンナに手を振る者もいた。

 ケンプがみんなに根回しをしてくれたと言っていたが、上手くいったみたいだ。 ほっとスザンナは息をはき、口を開けていた。

「ウィリアム・シェイクスピアの親類クロスと申します。どうぞ、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げると、スザンナを見あげる劇団員たちが拍手を送ってくれる。特に壮年の男性は力強くスザンナに向かって拍手を送っていた。

 自分をただでこき使えることがそんなに嬉しいのだろうか。なんだか嫌になって、スザンナは壮年の男性を軽く睨みつけてみせる。すると彼はびくりと肩を震わせ、スザンナから視線を逸らしていた。

「ヘミングス、それじゃ嫌われるぞ」

「リチャード坊ちゃん、そうは言いましてもねえ」

 青年が男性の肩に手を回し笑ってみる。そんな二人を見てケンプは声をはっしていた。

「そうだ紹介しようクロス。我が宮内大臣一座の看板役者リチャード・バーべリッチと、帳簿を預かるジョン・ヘミングスだ。二人とも宮内大臣一座の結成時からいる古株だよ」

「よろしくお願いします」

「そう硬くならなくていいよ。劇団は男所帯だから、エドマンドみたいな美人が増えるのは本当に嬉しい。労働力が増えるって喜んでるおじさんもいるけどね」

 リチャードと呼ばれてた青年が、ヘミングスを抱き寄せ笑ってみせる。

「世知辛いおじさんで悪かったですね……」

 そんなリチャードにヘミングスは冷たく返していた。なんだよヘミングスとリチャードは笑いながら彼の体に抱きついていた。

「ソドミー……」

 父とエドマンドの同衾姿を思い出し、スザンナは思わず呟いてしまう。その呟きにぎょっと二人は眼を見開いて、スザンナを見つめてきた。

「クロス……その」

 隣にいるケンプですらスザンナの発言に引いているみたいだ。スザンナはケンプから顔を逸らし、言葉をはっしていた。

「いや、一座ではこういうのって当たり前なんですか?」

 ぽっと頬を赤らめ、スザンナはケンプに尋ねる。

 プロテスタントたちは劇場を堕落の温床と叩くことが多い。彼らの言う通り淫蕩な同性愛が堂々とまかり通る世界なのだろうか。

「まさか、やってるのはエドマンドとウィリアムぐらいだよ。俺たちは敬虔なるキリスト教徒だ。けっしてそんなことはしない」

 ヘミングスを放し、リチャードはきっぱりと言い放つ。彼は意味深な笑みを浮かべ、スザンナを見あげてきた。

「でも不思議だな。君は本当の女の子みたいだ。その黒真珠のような眼がとても素敵だよ」

「すみません。正直、そういうの受けつけないんです」

 きっぱりとスザンナは彼に返す。リチャードはがっくりとわざとらしく顔を項垂れ、ヘミングスに寄りかかっていた。

「ああ、ヘミングス。この子、エドマンド以上にきついよ」

「ソドマイド扱いされたいんだったら、どうぞ続けてください」

 ため息をつきヘミングスは彼を引きはがしていた。ヘミングスが冷たいとリチャードはわざとらしく喚きながら再び彼に抱きつく。

「相変わらず騒がしいですな。このソドムの都は」

 そんな賑やかないっこうに声をかけてくるものがある。スザンナは眼を見開き、入口から入ってきたその人物を見つめた。

 いかにも豪華そうなひだ襟をつけたその男性は、下卑た笑みを浮かべスザンナを見つめていた。

「ジャイルズさん」

 リチャードが動揺した様子で声をあげる。昨夜、エドマンドから聞いた話を思い出し、スザンナは息を呑んでいた。

 地主のジャイルズ・アレン。シアター座の土地の所有者であり、シアター座の権利を渡すよう宮内大臣一座に迫っている男だ。

 彼の後方には、いかつい使用人たちが恭しく付き添っている。ただ挨拶をしに来ただけには到底見えなかった。

「やあ、エドマンド。きちんと服を着ている君も素敵だね」

 嫌らしい男の視線がスザンナの体を嘗め回すように見つめてくる。スザンナは思わず自身を抱きしめ、ジャイルズから視線を逸らしていた。

「おやおや、エドマンドは相変わらず恥ずかしがり屋さんだな。そんなにジャイルズおじさんが恋しかったのかい?」

「いやあ、お久しぶりですジャイルズさん。今日もひだ襟が素敵ですね。皿に乗った生首みたいだ!!」

 そんなスザンナの前に立ち塞がり、ケンプは明るい声をはっしてみせる。自身の服装を揶揄されてジャイルズは一瞬あっけに取られていたが、次の瞬間大きな声で笑っていた。

「はははは! さすがは天下の名道化。言うことが一味違う。是非とも私が作り出す新たな劇団に招き入れたいものだ!」

「それ、前に俺にも言ってたわ……」

 あきれた様子でリチャードが声をはっする。その言葉を聞いたジャイルズは笑うのをやめ、リチャードへと顔を向けていた。

「やあ、リチャード君。相変わらずいい男っぷりだね。今日は君と話がしたくてここに来たんだ」

「地代とシアターの所有権につきましては、財政を預かる私にお話し願いたい」

 リチャードを庇うように、ヘミングスがジャイルズの前へと進み出る。ジャイルズは不機嫌そうに眼を眇め、自身の顎髭をいじってみせた。

「すまないが、私はあの土地を借りたバーべリッチ家の人々と話をつけたいんだ。劇団員の君は下がっていてくれないかな?」

「その土地に立っているシアター座の管理を任されているのは私です。お話でしたら私を通して頂かないと困りますね」

 すっと眼を細め、ヘミングスはジャイルズを睨みつけてみせる。ジャイルズは気味の悪い笑みを浮かべ、ヘミングスの顔をまじまじと見つめた。

「年をとっているとはいえさすがは元名役者だ。なかなかに整った顔をしている。帳簿だけをつけているのは正直言てもったいないな」

 ジャイルズの太い指が、ヘミングスの引き締まった頬をなぞる。不快そうにヘミングスは顔を歪め、その手を払いのけていた。

「そういうことが目的ならサザックにでも行け。好みの女がお前の世話をしてくれるぞ」

「ここもソドムの都ではないか。プロテスタントたちはそう言って、ここを悪の根城だと断じているぞ。ここで、ソドムで起こっていたことが再びおこなわれているとも……」

 舐めるようなジャイルズの視線が、壇上のスザンナを捉える。舌なめずりをしながら、彼はスザンナの方へと近づいて来た。

「私の側から離れないで」

 ケンプが鋭い声をはっする。彼はスザンナの手をしっかりと握り、こちらに向かってくるジャイルズを睨みつけていた。

「そう怖い顔をすることはないだろう、ケンプ。私は土地のことについて話し合いに来ただけだ。シアター座を譲ってくれれば、地代についても考え直そうと思っている。まあ、条件付きだがね」

 ジャイルズの嫌らしい眼がケンプの後ろにいるスザンナへと向けられる。彼は嘗め回すようにスザンナを見つめ、下卑た笑みをその顔に浮かべてみせた。

 そんな彼の足元に、煌めくものが突き刺さる。それは、携帯用のナイフだった。

「ごめんジャイルズさん。それ、俺じゃないから。雑用係のクロス。そっくりでびっくりしたでしょ?」

 エドマンドの笑い声が劇場に響き渡る。彼は楽屋裏の扉から顔を出し、にこやかな笑みをこちらに向けているではないか。纏っているカートルの裾を翻しながら、彼はスザンナの側へと駆けつけていた。

 ケンプの後ろに隠れるスザンナの手を握りしめ、彼は楽屋へと駆けていく。

「おお、エドマンドっ!」

 そんなエドマンドにジャイルズは喜々として声をかけるのだ。エドマンドは足を止め、彼の方へと振り返った。妖艶なる笑みがエドマンドの唇を彩り、艶やかな光が唇に添えられる。

「またあとでね、素敵なジャイルズさん……」

 眼に妖しい光を宿しながら、エドマンドは笑みを深めてみせる。

「ああ、エドマンド……」

 ジャイルズはうっとりと声を漏らし、嫣然と微笑むエドマンドを見つめるばかりだ。そんなジャイルズから顔を逸らし、エドマンドはスザンナの手を引いて楽屋へと向かっていった。



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