第22話 亡霊の正体

 翌朝、まだ大通りが閑散としている時間帯のことだった。

 ステージ中央を囲むようにずらりと並んだ顔触れは、揃いも揃って血の気がない。皆一様に視線を中央の床に落としている。そこには、空中演技で使用する布製の紐が、ズタズタに裂かれた状態で横たわっていた。


「紐の予備があったのは幸いねぇ……」


 ヴィヴィアンはゆったりと前向きな意見を口にしたが、その声はやはり言葉ほど明るくない。ウィグルは無言でしゃがみ込み、無惨な姿に変わり果てた紐を鷲掴んでゴミ袋へ無造作に突っ込んだ。

 昨晩の不可解な事件と相まって、朝からテント内の空気はひどく重たかった。


「そんな辛気くさい顔しないでくださいって。機材は何とか直りそうなんだ。開演はできるよ」


 アダムはなるべく明るさを声色に取り入れてそう告げると、観客席の後ろの方で影を潜めていた人物を手招いた。少年はぎこちない足取りで一同の前にやってくると、少しばかり緊張した面持ちで、何度か眼鏡の位置を正した。


「エンジニア見習いのロロと申します」

「はぁ……たまげた。まだエンジニアってのはいるもんなんだね」


 その返答にまごつくロロを見て、ニコラスは慌てて話題をそらした。


「機材が直るってのは本当の話なの?」


 途端に少年の表情につやが戻った。眼鏡の奥で瞳がぎらりと輝いた瞬間をアダムは見逃さなかった。


「ええ、もちろん直ります。むしろあれはとても古い型番でしたから、性能は飛躍的に向上するでしょうね。まずレンズは最新式のものに換えます。ランプは一種類から二種類に変更することで最大一〇〇〇〇ルーメンの高輝度を実現させることが可能です。液晶デバイスは新しい無機素材のものを使用、今より確実に高画質な映像を投影できます。それから冷却装置ですが、フィンからエアポンプに置き換えて――いたたた、何するんですかアダムさん!」

「まぁ、よく分かんなかったと思うけど、要するに『直る』ってことなので」


 ロロの右足を己の足でぐりぐりと踏みにじりながら、アダムは口早に会話を終わらせた。



「さっきのロロ、すごかったね。魔法使いが呪文を唱えてるみたいだった」


 褒めているのかけなしているのか分からないニノンの言葉に照れる少年を尻目に、アダムとルカは床に置かれた機材を覗きこんだ。損害の激しかったケースやレンズは全て取り払われ、人間の頭から脳みそだけを摘出したような状態で、機械の大事な中身の部分だけがきっちりと静置されていた。


「あとは部品が届けばそれを組み立てておしまいです。二日後のリハーサルまでには十分間に合いますよ」

「届く?」


 その時、ピルピルと可愛い電子音が鳴り響いた。ロロは慌ててポケットに手を突っ込み、小さな機械を取り出すと、取り付けられたボタンをプッシュした。


「はいロロで――」

『出るのが、遅い!』


 キイイン、と余韻を残して甲高い男の声が響いた。思わず耳をピストルで撃ち抜かれたような顔をして、ロロは機械を耳から引っぺがした。


『まぬけなお前を三コール分も待つほど俺は暇じゃないぞ』

「はい、ごめんなさい」

『生意気にもこの俺に発注などかけてきた勇気に免じて今回は許してやる。次やったら費用は全てお前の給料から天引きする』

「そんなぁ……。って、待ってくださいジャック、切らないで! 部品はどこに到着するんですか!」


 負けじと声を荒げた瞬間、スピーカーから「一番でかい港だ!」とつんざくような声がとどろいて、そのまま会話は途切れた。


「すっごい怒ってたね」

「ああ。なんつーか、まぁ、頑張れよ」

「ジャックは短気で怒りっぽいんです。いつものことですよ」


 慣れた口調でそう言うと、ロロは慌てて港へと駆けていった。パラシュートに括りつけられた小包みが空中からふわふわと落ちてくるはずだから、騒ぎになる前に回収しないとまた怒られてしまうのだと言う。


 少年の背中を見送っていた三人の耳に、グリエルモの奏でるトランペットの音色が聞こえてきた。アダムはうんと伸びをすると振り返って、さぁ、と気合を入れた。


「俺たちもうかうかしてらんねぇな。捜索再開だ」

「ハビさんお話聞けたかなぁ。ルカはどう? 絵画の修復、進んでる?」

「うん。あと丸一日あれば終わると思う」

「何かあったら手伝うから、いつでも言ってね」

「助かるよ」


 昨日、ニコラスは不気味な絵画を修復することを快諾してくれた。倉庫テントを自由に使っても良いという許しまでもらったので、ルカは早速修復作業に取りかかった。

 キャンバスのサイズが六号と比較的小さいものなので、今回の修復はルカ一人で行うことにした。お馴染みの黒いエプロンをきっちりと身に着けて、お馴染みの埃取りをもくもくとこなしていく。

 一旦作業がはじまるとその世界に没頭できるのがルカの強みだ。同じ体勢で、同じような作業を何時間行ったところで彼の口から「疲れた」の「つ」の字も出てきはしない。そんな職人気質の男を見る度に、アダムはいつも感心する。そして時に羨ましく思ったりもするのだ。「自分にもこんなひたむきさがあったなら」と。


 二人は時折ルカの作業風景を覗きこんだりしながら、なるべく埃をたてないように慎重にテント内を探して回った。しかし出てくるのはやはりショーで使うようなロープや小道具、終わった公演のチラシばかりで、鍵の付いた箱が出てくる気配は一向になかった。

 舞い上がった埃を手で払いのけた時、隅の方でニノンが何かを読みふけっていることに気が付いた。飽きて他事をやっているのかと、眉根を寄せながらアダムはこっそり近づいた。


「なーにさぼってんだよ」

「あ、アダム。こんなもの見つけたよ」


 覗きこむとそれは古びたアルバムだった。ニノンがページをめくると、引っ付いていたフィルムが剥がれるバリバリといった音がした。もう何年もこの倉庫でガラクタの下敷きになり、忘れ去られていたのだろう。


「ヴィヴィアンさん、変わらないなぁ」


 並ぶ写真はどれも色あせたものばかりだ。今と変わらないヴィヴィアンの姿や若かりし頃のルーグ、あどけなさの残るシュシュ。相変わらずべったりとメイクを施した――おそらくグリエルモであろうピエロ。育ち盛りの少年二人はやんちゃな笑顔をカメラに向けて肩を組み、大きくピースサインを掲げている。ページをめくる度に髪色の違うニコラスは、時おりド派手な化粧をしていたりする。そして、メンバーたちの傍らにいるシルクハットの男が、アルカンシェルの創始者、ゾラだろう。

 最後の数ページには幼い子どもの写真がたくさん詰め込まれていた。生まれたばかりの布に包まれた赤ん坊にはじまり、掴まり歩きをしながら無邪気に笑う男の子、大きなカブトムシを掲げて自慢げに笑う少年。傍らには良く似た笑顔の少女もいる。

 ニノンはこの笑顔をよく知っている。ウィグルが時折見せるものと同じだ。


「ウィグルさんは、自分が落ちこぼれだからお父さんに嫌われてるって思ってるみたい。そんなはずないのにね……。どうすれば誤解が解けるんだろう。ゾラさんの気持ちは感じ取れるのに、それをうまく伝えきれなくて」


 悔しいんだ、とニノンは唇をかんだ。あとほんの少しで手が届きそうなのに、それができない。もどかしい気持ちは心の中に積もっていくばかりだ。


「俺にはニノンみたいな力はないけどさ、この写真見てると分かるよ。それがただの誤解だってことくらい」


 アダムはすっくと立ち上がると、ニノンの膝に乗っていたアルバムをばたんと閉じた。勢いが良すぎて埃が宙に舞った。


「俺にだって分かったんだから、きっと伝わるさ。結局は意固地になってるだけなんだよな。だったらちょっと工夫してやればいいんだよ」

「工夫?」

「そ。たまにはココ使わなきゃな」

 そう言ってアダムは人差し指で己の頭をトントンと突いてみせた。





 夜になると大通りはたくさんの明かりに包まれて、人々の熱気や賑わいに包まれる。対してドゴール広場はというと、外灯が少ないので見上げれば夜空にぽつぽつと星の輝きを見つけられた。遠くに人々の笑い声が、反対側からはザァザァという波の音が聞こえてくる。大きく帆をはったテントも近付かなければ見つけられない程暗く、まるで世界から切り離されたように静寂に包まれている。


「アダムたちは先にホテルに戻ってくれてて良いのに」


 トリトンからこっそり拝借したタオルケットを抱え込んでやってきたアダムに、ルカが声をかけた。


「あのホテル、夜中うるさくねぇ? こっちのテントの方がよっぽどグッスリできるぜ」


 どうやらあの宿屋の店主は体内時計が昼夜逆転しているらしい。日中は仕事を放りだして眠りこけているのに、夜中になると、どこからかカンカンカンカンとおかしな物音が聞こえてくる。トリトンが本当にホテルなのか、アダムはまだ疑っていた。それは置いておいて、と彼は続ける。


「今日は見張りをするんだよ」

「見張り?」

「うん。犯人を捕まえるんだ!」


 ニノンがタオルケットを羽織りながら、意気揚々と答えた。


「犯人って、あれは呪いなんじゃなかったっけ」


 無表情な顔で言うルカにタオルケットを投げ渡し、アダムはぶっと吹きだした。


「お前、呪いとか信じるタチだっけか」

「言ってみただけだよ」


 もちろんルカは幽霊だとか呪いだとかのオカルト話は一切信じない人間だ。むしろそういった類を信じる人間が「犯人」などと口にしたので、少しからかってみただけだった。


「目星はついているんですか?」


 自前のエネルギーランタンを点け、床に腰を下ろして作業にふけっていたロロが顔をあげる。アダムは自信たっぷりに首を横に振った。「その自信の持ちようは、もはや才能ですね」と呆れるロロにタオルケットが投げられる。取り損ねたそれが床に落ちて、綺麗に並べられた部品をぐちゃぐちゃにした。


「とにかく、皆が安心してサーカスを開演できるようにしなきゃね。それが雑用係の仕事だもん」


 静寂を取り戻したテントの中で、ルカとロロは機械のように作業を進めた。

 酸化してにごってしまったワニスが取り払われ、画面は鮮やかな色を取り戻した。干ばつに見舞われた大地のようにひび割れていた絵具も充填され元の状態に戻っている。ルカは小瓶を取り出し、その中に詰められた真っ赤な粉を皿にあけた。エンジムシから採れる顔料だ。ニノンと出会った次の日、ルカは彼女を探す途中で偶然にもエンジムシを見つけていたのだ。

 今や希少となったエンジムシの顔料を油で練る。漂うオイルのにおいを嗅ぎながら、ルカはこの絵画を描いた画家のことを思った。そして、それを手元に置き続けたゾラのことを。


 この絵画に隠された謎が、あと一筆描き加えることによって蘇る。

 笑いあう二つの顔の意味。

 そしてタイトルに込められた想い。


「……できた」


 小さなルカの呟きは、ニノンの「誰かきたよ!」という声に被さって消えた。エネルギーランプのスイッチをOFFにして、音をたてないように倉庫テントの入り口カーテンを少しだけ開けた。月明かりに照らされたゴードン広場に人影はない。


「メインテントに入っていった」


 四人は頷きあって、足音を立てずにメインテントに忍び込んだ。

 中は真っ暗で、人はおろかどこに何があるのかさえ分からない。暗闇に目が慣れるまで待つこともできないので、手探り状態のまま歩きはじめる。その時、ロロが観客席の椅子を蹴飛ばして、ガシャンとけたたましい音が鳴った。


「眼鏡ー! なにやってんだよ!」

「すっ、すみません……」


 前方で人の気配がした。犯人はステージの方へ走っていく。裏の非常用出口から逃走を図っているのだろう。ロロはとっさにポケットからライトを取り出すと、スイッチに力を込めた。


「超拡散ハイパーライトです!」


 ロロの叫び声と共に、小さなライトがステージ全体を一気に照らし出す。明るさに目が眩んだ犯人は腕で顔を覆い隠し、その場にうずくまった。


「お前が色々いたずらしてた犯人だな」


 黒いマントで何もかもを覆い隠している犯人はぴくりとも動こうとしない。アダムは黒い布に手をかけて、一気にばさりとはぎ取った。


 その瞬間、一同は驚きに目を見張った。

 うずくまっていたのが、見知った少女だったからだ。


「どうしてここに――シュシュ?」

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