第20話 サーカステントの亡霊

 事件が発覚したのは翌朝のことだった。

 ルカたちが身支度を整えてテントへ顔を出すと、中では既に騒々しいアコーディオンの音がジャカジャカ鳴り響いていた。「どうしよう、どうしよう」と言っているようだった。

 グリエルモのほかには、深刻そうな面持ちで腕を組んだままつっ立っているニコラスや、昨夜の癇癪かんしゃくがたたって腫れぼったい目をしたシュシュと、彼女を荷物のように担ぐルーグの姿があった。


「何かあったんすか?」


 おそるおそる尋ねたのはアダムだ。反応はまばらで、彼らの動きはカタツムリよりも鈍い。ぎょっとしたのは、こちらを振り向いた面々の顔が、揃いも揃ってお通夜の参列者のように浮かなかったからだ。


「サーカスで使う大事な機材が壊れたのよ」


 ニコラスは言葉と共に深いため息をついたが、身体の中から空気以外のものをすべて吐き出しそうな勢いだった。彼の憂鬱な視線が、入り口から入って間もない、観客席最後列のすぐ後ろを向く。ルカたちはルーグの大きな体とニコラスの間に割って入ると、その惨劇を目の当たりにして息を呑んだ。


「ひでェな……」

「うん、ぐしゃぐしゃだね……」


 大きなレンズがついていたであろう長方形の装置が、悲惨な状態で床に散乱している。黒っぽい箱は割れ、中からメカニックな基盤が飛び出してしまっている。ガラスの破片が辺りに飛び散っており、レンズは円いフレームしか残っていない。


「経年劣化なのか、取り付けが甘かったのか……それとも誰かのいたずらか」

 ニコラスは入り口の真上にある骨組みを指差した。

「機材を乗っけてた土台ごと落っこちたみたいでね。根元のボルトが外れてたのさ」


 彼はそのまま額を手で押さえると、再び長い長いため息をついた。お通夜が終わり、いよいよお葬式が始まってしまったかのように、空気はどんどん重くなっていく。


「おはようございます……って、あらあらみんな集まって。どうかしたの?」


 程なくしてやって来たヴィヴィアンほか残りのメンバーも、入り口付近の悲惨な状態を見るや否や一様に顔を青ざめさせた。破損した機材を囲む面々の全身から、この世の終わりを目の当たりにしたかのような空気が放たれている。


「あの、何に使う機械だったの?」


 ずっしりとした空気をふり払い、ニノンは思いきって尋ねた。未亡人然としたヴィヴィアンが、艶やかな黒髪を流して振り返る。


「昨日アダム君には話したんだけれど、これは真っ白いバックカーテンに映像を投影する装置なのよ」

「映像を、投影……?」


 アルカンシェルのパフォーマンスはいちサーカスとしては申し分のないレベルを誇っている。

 しかし、彼らの人気を支えているのはそれだけではない。綿密に練られた脚本と、それに沿うように繰り広げられるパフォーマンス。各々が何役もこなす魂の吹き込まれたキャラクター。観るものを不思議な世界へ誘う極彩色の衣装。独特な世界観を大いに盛り上げる壮大な音楽と、そんな世界に相応しいめくるめく美しい背景。それらの織り成す物語は、「サーカスの域を超えている」と虜になる者があとを絶たないのだという。


「代用するんじゃ駄目なんですか? 今から――たとえば、頑張って紙かなんかで背景を作るとか」


 アダムの提案に、彼女は黒い髪を揺らすだけだった。


「私たちのサーカスにはどれか一つでも欠けてしまってはならないの。仮にもプロだもの。未完成の作品をお客様にお見せするなんて、ねぇ」


 ヴィヴィアンの憂える気持ちは、幾度となく絵画を修復してきたルカには十分理解できた。

 同時にふっと思い出したのは、まだ学校に通っていた頃のこと。

 とある抽象画が高いAEPに還元されたことが話題となり、芸術家の間で抽象画がブームになった時期があった。AEP還元には法則性があるのではないか、とまことしやかに囁かれ始めた頃だったからだ。

 舞い込む修復依頼も抽象画ばかりだった。しかも、頼み込んでくるのは絵画で一攫千金を狙う画家まがい・・・・・――昔の芸術家たちに敬意をはらって、光太郎はたまに皮肉を込めて現代の画家をそう呼んだ――ばかりだった。

 なかには抽象画を幼児でも描けるものと考える人間もいる。しかし、修復を進めるとそうでないことが分かってくる。何重にも計算を重ね、試行錯誤を繰り返し、定められた運命のようにひとつの色や形に辿り着く。はっきりとした意志、伝えたい思いや、忘れたくない気持ちを伴って。

 だから、何か一つでも欠けてしまってはならないのだという気持ちが、ルカにはよく理解できる。


「……ゾラさん」


 先ほどから無言で立ちすくんでいたハビエルがふいに漏らした独り言は、あまりにも小さかったので誰の耳にも届かなかった。その顔は青白く血の気がない。それに気付いたウィグルが声をかける。


「ハビ、顔色が悪いぞ」

「……数日後の、公演のことを考えてた」


 血の通っていない顔を上げて、ハビエルは光の届かないテントの天井を見上げた。


「ちゃんと開催できるのか、ってことを」


 *


 ハビエルの言葉は静まり返ったテント内に響き渡り、今度こそみんなの耳に届いた。

 言葉を続ける者はいなかった。皆一様に口を噤み考えていた――公演を中止にするか、続行するか。


 虹のサーカス団発足以来、一度として公演を中止したことなどなかった。

 ニコラスはかつての師匠の姿を、縋るように思い返す。今は亡き団長、ゾラは、メンバーを心の底から奮い立たせる術を知っていた。空気が重たくなった時はいつだって、まるで未来を見通す力を持っているかのように「心配するな。すべて上手くいく」と唱えてみせた。根拠もなにもないのに、どうしてかその言葉だけは信じられたのだ。


――今の私にそんなことができるとでも言うんですか、ゾラさん。


 黙祷のような長い沈黙を破ったのはハビエルだった。


「僕は、中止にしたほうがいいと思う」


 その声には苦渋が滲んでいた。反論する者はいない。それどころかヴィヴィアンまでもが難しい顔をして、一歩、歩み出た。


「私もそう思いますわ。機材だけの問題じゃあないの。今回ばかりは……バラバラ・・・・なんですもの」


 切断された布の先端から繊維がほころぶように、ひとつに束ねられていた心は支柱が無くなればあっさりとバラバラになってしまう。人間は大抵が弱い生き物だ。親しき人の『死』を知るということ――どれだけ鍛えた肉体を持とうとも、その衝撃を和らげることは難しい。

 そしてそれはいつだって、一瞬の隙をついて人の心をむしばんでいく。


「いや――公演は予定通り行うわ」


 再び沈みかけた空気を、ニコラスははっきりと告げることによって一掃した。


「団長、それ本気? ……機材はどうするのヨ?」

「無理はしない方がいいと思いますわ」

「あんたらの言ってることはただの泣き言だよ」


 一喝した途端、細々とした反論は水を打ったように立ち消えた。


「ゾラさんがいなけりゃ何もできないサーカス団だったのかい? そんなの、あの人は望んでないはずだよ」


 最後の一言は自分自身に言い聞かせた。無理にでも奮い立たせないと、心が闇に引きずり込まれてしまいそうだった。


「だったら、機材のことは俺たち雑用係に任せてくれよ」


 堂々宣言する雑用係の声。ハッとして振り返れば、アダムがこの場に似つかわしくない自信満々な顔で腕を組んでいた。「俺たち・・?」と、隣でルカがいぶかしげな顔をする。


「その機械をゾラさんがどこで手に入れたかのか、誰も知らないんだよ。代用品なんか売ってるわけもない。なにしろメカを扱うお店なんてそうそうないからね、この時代じゃあ。任せろっていわれてもね……」

「大丈夫だよ。アテ・・がある」

「アテだって?」

「……あ。いるいる、メカに詳しい人!」


 めぼしい人物を思い出したらしいニノンが、アダムと視線を交わしてニッと笑った。


「機材のことは俺たちに任せて、アルカンシェルのみなさんは練習に専念してください」

「本当に大丈夫なんだろうね……?」

「なに疑ってんすか、団長。こういうときの雑用係だろ? なんてったって俺たち、プロの修復家・・・ですから」


 胸を突き出して自信たっぷりに答える男を、ルカが思いきりひじで小突く。大船に乗りきれないニコラスは、怪訝な表情のまま雑用係を見つめるのだった。


 *


「……で、僕がここに呼ばれたと。それはわかります。わかるんですが、アダムさん」

「なんだよ、眼鏡」

「その拳は一体なんですか? 僕に殴りかかろうとしてるようにしか見えないんですが」


 まぶしい笑顔には似つかわしくない拳を振りかざし、にじり寄ってくるアダムに、「僕たち、友だちですよね」とロロは念を押す。「ったりめーだろ」と信用できないことを脊椎反射で口にするアダム。

 何も知らずにサーカステントに呼ばれたロロは、まさか自分が問題解決の要になっていようとは思いもしなかっただろう。


「出会ったその日にゃ友だちだろ? あのピンチを切り抜けた戦友だぜ。で、今頼んだ修理の件だけど」


 傍観を決め込んでいたルカは、そこでいきなり首根っこを掴まれた。狩の成果を見せびらかすようにロロの眼前に突きつけられる。頬にうっすらと残った青痣が、眼鏡越しに相手の目に映った。


無料タダで頼むよ、親友!」

「そ――それ、僕、絶対断れないやつじゃないですか!」

「そのとおり。お前は俺らには逆らえねえ」

 完全なる恐喝である。

「く、あなたって人は悪魔ですね。修理ったって、部品とか結構高いんですから」

「悪魔じゃない。修道士だ」

「余計タチ悪いですよ!」


 さすがに憤慨するロロの肩を、今度はニノンが労うようにぽんと叩いた。


「うんうん、わかるよ。この人サイテーな修道士だよねぇ」

「おいニノンてめェ」

 どっちの味方だよ、という悪態には耳を貸さず、ニノンは真っ直ぐロロを見つめる。

「言葉は乱暴だけど、アダムはロロに助けてほしいだけなんだ。今回ばっかりはロロの力が必要なの。お願い、私たちに手を貸してくれないかな?」


 無料で、と付け加えたニノンの言葉は聞こえなかったらしい。ロロは唇を尖らせながらも、しぶしぶといった形で了承した。


「まぁ、そこまで言うなら」

「サンキュー! 持つべきものは友だな」

「……で、どれですか。その問題の機材というのは」

「これだよ。想像以上にバッキバキだけど、直せそうか?」


 そう言ってアダムは機材にかけられていた布を取り払った。その途端、不機嫌そうな顔をしていたロロは驚きの声をあげて床に這いつくばった。ポケットから取り出した小型のライトを焦る手つきで点灯させ、無残な姿の機械を隅々まで照らしだす。


「やっぱ無理か。上から落ちちゃったからな」

「いや――大丈夫です。直りますよ。むしろぜひ修理させていただきたいです!」


 その声は喜びにうち震えていた。同じく震える右手で眼鏡をくいと持ち上げると、ロロは立ち上がってアダムの手を取り力の限り握手をした。「いってぇ」と叫ぶアダムの手を放し、ニノン、ルカと順々に握手を交わしながら、ロロは鼻息を荒くした。


「どうしてここにこんなものが? いや、そんなことはどうでもいいか。地上にまだあの人の製造物が残ってること自体が奇跡なんだし。型番が相当古いから、昔から使ってたなごりなのかな。それでも十分凄いことですよ。ああ、こんなことが起こるなんて、まるで夢みたいです!」

「落ち着けよロロ。ぶつぶつ独りごと言って、気味わるいぞ」


 心の内に煮えたぎる歓喜の感情を噛みしめていたロロは、ハッと我に返ると恥ずかしげに頭を下げた。ここはあまり照明も当たらず日中でも薄暗い。だけど、そわそわと揺れ動く体を見ると、彼が今どんな表情をしているのかなんとなくわかる。

 ロロはもぞもぞと身じろぎしたあと、こほん、と小さく咳払いした。


「この機械の製造者は、僕のお師匠だった人の父親です。時代の闇に葬られた――偉大なエンジニアでした」


 ロロは再びしゃがみ込むと、床に散らばった部品を丁寧に拾いはじめた。

 ステージ上から、心の軸を優しく揺するコントラバスの音色が流れてくる。足で器用につままれたバチがバスドラムを叩く。その軽快なリズムにあわせて、ルーグがシュシュを天井に届きそうなほど高くまで放り投げる。

 パフォーマンスに合わせてくるくると回転するスポットライトが、一瞬、入り口付近で部品を拾う四人を照らした。

 ロロの瞳は機械を通してどこか違う場所を映していた。遥か遠くの、ここではないどこか。もう会えない誰か。

 ルカは同じ目を、以前にも見たことがあった。父親が時折見せる眼差し。亡き妻を想うときの――。


「どれくらいの時間を費やすれば、人は悲しみを超えられるのかな」


 グリエルモが二股帽子を揺らしながら打ち鳴らしたシンバルの音で、ルカの言葉はかき消された。


「あ? なんか言ったか?」

「……いや。人って、ずっと一緒にいればいやでも多少感化されちゃうんだなって」

 驚いてた、と言えば、逆にニノンに驚かれた。

「ルカ、驚いた顔してた? ぼーっとしてるようにしか見えなかったけど……」

「確かに。っつうか感化ってなんだよ」

「お人好しがうつりそうだ」

「なんだそりゃ?」


 ルカはふいとテントを見渡した。数日後に完成するはずだった芸術を修復するためには多くの力が必要になる。だったら自分の出来ることを、その修復の一端を担ってみよう。

 絵画修復家の少年の心に少しずつ、ほのおが灯りはじめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

コルシカの修復家 さかな @sakanasousaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画