第17話 虹のサーカス団(3)

 扇形のステージが、薄暗いテントの中でいくつものスポットライトに当てられて輝いている。背景には大きくて真っ白な垂れ幕が掛かり、その左右には真紅のビロードのカーテンが重々しく垂れ下がっている。


 ステージ上ではアルカンシェルのメンバーが円形に並んでいた。早朝に招集がかかるのは珍しいのか、まだ眠そうな顔をしている者もちらほらいる。

 輪の中に混じる新顔を興味津々に見つめるのは、ピエロのメイクを施した男ぐらいのものだ。後のメンバーは様々にあくびをしたりつまらなさそうに髪の毛先を弄ったりしている。


「ウィグルが朝礼に出るなんて珍しいンじゃない? 何か良いことでもあったのかしら」


 ねー。と可愛らしく首をかしげながら、シュシュはルーグの左肩へ飛び乗った。身軽な動きはまるで子猫のようだ。大柄な男のルーグは、出会った時と寸分違わぬ表情のままじっと突っ立っている。


「今日は大事な話があるって団長が言ってたからね」


 聞こえているのかいないのか、大あくびをしている本人ウィグルの隣でハビエルが代わりに答える。


「フゥン……。ハビは本当にお人好しさんなのネ。昨日もあのツンツンハリモグラに荷物持ちさせられてたんだって~? 言ってやりなさいヨ、たまにはご飯でも奢れって」


 お人好しを体現したようなたれ目が、苦笑いで更に頼りなく垂れ下がる。


「聞こえてんだよ、シュシュ」


 すっかり目を覚ましたウィグルが、獲物を見つけたハイエナのような目つきでじろりと少女を睨んだ。


「ぶん投げてやる」

「わ、ウィグルが怒ったっ。投げられちゃうー! ルー、助けてー!」


 ウィグルはキャキャッとはしゃぐシュシュをルーグの巨体から引っぺがし、そのままボールの要領でぐんっと天高く放り投げた。


「えっ……!?」


 突然始まった幼女への暴行に面食らう三人。

 ひゅるひゅると落下してきた少女をルーグが見事にキャッチし、またしてもその小柄な体をぽーんと放り投げる。それを再びウィグルが受け取り、ルーグに投げ返す。キャッチボールの玉になってしまっている少女からは、「キャハハ」とこの状況には似つかわしくない楽しげな笑い声が聞こえてくる。


「な……何だこりゃ」


 呆然とアダムが呟く。

 ルーグが何を考えているのかさっぱり分からないのは昨日と同じだが、ウィグルが怒っているのか、シュシュが拷問を受けているのかさえも、今の状況からは分からない。


「驚いた?」

 落ち着いた青年の声が背後から聞こえて、三人は一様に振り向いた。

「いつものことだから気にしなくていいよ。急に始まるんだ、こういうわけ分からないスキンシップは大抵ね」


 昨日ウィグルを追いかけてテントを出ていった青年だった。優しそうに見えるのは、印象的なたれ目だからだろうか。


「えっと――」

「ハビエルだよ。みんなには”ハビ”って呼ばれてる」

「じゃあ……ハビ、さん」

 名前を呼んでみたものの気恥ずかしくなったのか、ニノンは慌てて語尾に「さん」を付け加えた。ハビエルがまた笑う。元々のたれ目が、笑うことによって更に細くなった。


「団長の話っていうのは、多分君たちのことだよね」

「あ、はい。きっとそうだと思います――」


 パンパン、と手を叩く小気味良い音がテント内に響いた。「さ、そのへんにして」という声とともに、ステージの脇から黄緑色の髪の毛を揺らして、団長のニコラスが姿を現す。


「いつもより少し早い時間の集合だったけど、さすが優秀だね。誰も朝寝坊してない」


 ニコラスは満足げに笑うと、ぐるりと輪を作っているメンバーを眺めた。

 アダムとニノンだけが不自然な笑みを作っている。

 それもそのはず、朝早くにルカに叩き起こされていなければ、今この場に二人の姿はなかったのだから。


「朝礼を始める前に伝えておくよ。新しい仲間が――といっても期間限定の雑用係だけれど、三人加わったので、その紹介を。さ、こっちにいらっしゃい」


 ニコラスは手を叩いて三人を呼び寄せた。

 促されるままにぞろぞろと前に歩み出たルカたちを、三者三様の視線が出迎える。

 まずはじめに口をひらいたのは年長者のアダムである。


「アダム・ルソーです。縁あってお世話になることになりました。アルカンシェルで働けること、とても光栄に思います。短い間ですが一生懸命お掃除などしますので、ぜひよろしくお願いします」

「私一押しのイケメンよ。はい、次」


 真面目な挨拶に横やりが入り、黒髪の美女がくすくすと笑いをもらした。


「道野ルカです。よろしくお願いします」


 え、それだけ? 俺は真面目にコメントした上にオカマに邪魔されたのに? といった視線が隣から飛んでくるが、無視する。

 そうこうしているうちに、反対隣りでニノンがぴょんと一歩前に出た。


「ニノンと言います。サーカスとっても楽しみです!」

「まて、そりゃ客サイドの感想だぞ!」


 たまらず突っ込みを入れてから、アダムはハッとしてすごすご後退した。暗くこわばっていた空気が少し緩み、ちらほらと笑いがこぼれた。「仲いいんだね、君たち」とフォローを入れてくれたのはお人良しのハビエルである。


「……ということで、この可愛い三人には私たちの代わりに掃除やビラ配りなんかをやってもらう予定だよ。必要があればいつでもお仕事押しつけちゃってちょうだい」


 メンバーに向けてそう報告したニコラスは、次に三人に向き直り、「軽くメンバーの紹介をしておくわね」と続けた。


「まずは、踊り子のヴィヴィアン」


 艶めく絹のような黒髪をなびかせた美女は、魅惑的なダンスの一節を披露し、上品に会釈した。そのなまめかしいボディは驚異的な柔らかさを誇り、踊り子と同時にコントーション――体を自由自在に曲げる芸――を行う軟体曲芸師でもある。と、ニコラスは述べた。


「よろしくね、坊やたち」


 ウインクしたまぶたに乗せられたヴァイオレットのシャドウが、大人の色気を最高にかもし出している。鼻の下が伸びっぱなしなアダムを放置して、ニコラスは隣に移動する。


「このピエロはグリエルモ。音楽家なの」


 グリエルモと呼ばれたピエロは返答の代わりに、アコーディオンで陽気な音楽を奏でてみせた。道化師の恰好をしてはいるが、別段一芸をするわけではない。彼は音楽家。一度に六つの楽器を操って、プログラムの進行に欠かせない音楽を一人で演奏するという。


「とっても恥ずかしがり屋だし、喋ることができないけれど、彼は言葉の代わりに音楽で答えてくれるからノープロブレムよ」


 グリエルモは恥ずかそうに俯くと、短い小節の中に音符を詰め込んで、アコーディオンをかき鳴らした。そこで三人はニコラスの言っている意味を理解した。演奏された音楽が、まるで「よろしく」と言っているようだったのだ。


 次にニコラスは、動物の親子のように重なり合っている男と少女を指差して、

「あの熊みたいな大男がルーグ、小さいふわふわしたほうがシュシュよ」と説明した。


 二人は個々に玉乗りやトランポリン、火吹き芸などしてみせるが、ペア技の人間ジャグリングが彼らの一番の得意芸であり、人気があるのもペアでの演目だという。

 彼らの強みは瞳を合わせずとも意思疎通のできる類稀なる同調率にある。阿吽あうんの呼吸を体得した彼らの曲芸は、見るものに息をすることすら忘れさせる。


「チャオ~。私たちの分までビラ配り、頑張ってネ」


 巨木の枝のような腕を使って大車輪を始めるシュシュを気にもとめず、ルーグは三人にぺこりと頭を下げた。


「それから、あのたれ目がハビエル。金髪のツンツンがウィグル。彼らは主に空中曲芸を担当してるわ」


 鍛え抜かれたしなやかな筋肉を使い空中を舞う曲芸は、サーカスの花形と言っても過言ではない。しかし同時に、おそらくどの演目よりも危険と隣り合わせの芸でもあった。落下すれば死に繋がる可能性があるからだ。


「彼らの最も輝いている曲芸といえば、何を隠そう空中――」

「なぁ、自己紹介はこれくらいでいいだろ。先に練習やらせてもらうぞ」


 ニコラスの言葉を遮ったウィグルは、不機嫌そうな顔でステージ裏へと消えていった。


「なんなんだ、アイツ?」


 アダムは彼の消えていった方を凝視しながら首をかしげる。不機嫌になるタイミングだっただろうか、と。同じくステージ横の扉を眺めながら、ニコラスが重々しい溜息を吐く。


「気にしないでちょうだい。思春期をこじらせた子どものようなものだから」


 団長の言葉を聞いて、ハビエルはお得意の苦笑いを浮かべるばかりだ。


 「ああ――それから、最後になってしまったけれど」

 三人は一様にニコラスに向き直る。彼は咳払いをひとつして、身なりを整えた。

「ダンスと司会クラウンを務める虹のサーカス団団長、ニコラスよ」



 *



 その日の三人はゴミというゴミに追われ、掃除に明け暮れることとなった。各地域に長期間停留することのないテントの中に、一体どうすればこんなにもゴミくずを溜めこむことができるのか。ほとほと疑問である。


「今でゴミ袋何枚使った?」

「二十三枚」

「……引っ越し前の大掃除かよ」


 はじめのうちこそ意気揚々とほうきを振り回しては掃除に勤しんでいたアダムも、時間が経つにつれぶつくさ文句を垂れる回数が増えた。なにしろゴミの出てくるペースが、数時間経った今でも変わらないのである。

 一方ルカは、こういった地味で忍耐力の要る作業が得意だった。掃除は修復作業と通じる部分も多いのだ。


 代り映えのない作業が続き、午後も半ばを過ぎたころだった。

 「ヒャア」と、一人の情けない叫び声がテント内にこだました。


「ひぃ、ルカ、ちょっと……ちょっと来いって!」

「なに、アダム」

 今にも倒れそうな顔で、アダムが擦り寄ってくる。

「ヤツが、ヤツがいるぞ――暗闇に隠れて俺たちを狙ってるんだよ!」

「ヤツ……?」


 アダムは微動だにせず、ある一点を凝視し続けている。

 ルカは怯える視線の先を見やった。目を凝らしてみると、薄暗闇の中で何かが動いているのが分かった。


「なんだ、ゴキブリか」

「シッ! ヤツに聞こえるだろ」

「いや聞こえないよ」


 冷静に返して、ルカは無駄のない動きでそれにポリ袋を被せた。願いどおり侵入者を捕獲してみせたのに、「げぇ」と失礼な反応を受ける。ルカは何食わぬ顔ですたすたとテントの入り口に向かって歩き出した。


「まてまてまて」

 顔をしかめながらアダムがついてくるので、仕方なくルカは振り向いた。

「なに?」

「それをどうする気だ」

「どうって……入り口から逃がす?」

 アダムは戦慄し、叫び声をあげた。

「そんなことしたら家族を引き連れて戻ってきちゃうだろ、ここに! 『ツルノオンガエシ』よろしくヤツは復讐する為に――おいやめろ、そのゴミ袋を俺の顔に近づけるな!」


 ルカはしばらく無礼な男に仕返ししたあと、踵を返してステージに向かった。そうして、ペアの演目を練習している大男に近付くと、控えめに手招きした。


「どうかしたか」

「ルーグさん。これ・・をテントに戻ってこれないくらい遠くに放り投げてくれませんか」

 木から降りてくる山猫のように、シュルシュルと男の肩から這い寄ってきたシュシュは、目を細めてニヤッとした。

「具体的な場所を言ってくれなきゃネ。ルーの力はすごいわヨ。どこまでだって飛ばせるもの」


 ルカは思案した末に、ぱっと顔をあげた。


「じゃあ……バヴェラ鋭峰の彼方まで」


 バヴェラ鋭峰とは、ルカの生まれ育ったレヴィの村からよく見える、標高の高い岩山のことである。当然アジャクシオからその姿は望めない。


「いやいや、さすがのルーグさんもそこまでは無理だろ……」

「了解した」

「マジっスか?」


 ルーグは無表情のままポリ袋を掴み取ると、そのままテントの外へ出ていった。その後それ・・がバヴェラ鋭峰の彼方へ到着したかどうかは定かではない。



 一悶着はあったにしろ、それは些細な問題に過ぎない。

 一番やっかいだったのはニノンだ、と後にアダムは言っている(自分のことは棚に上げて)。


「私、モップかける!」


 自信満々にそう言い放ち、バケツとモップ片手にニノンが暗い客席へ消えて数十分。事態に気づいたのはルカだった。どこかで雨漏りでもしているのかというほど床が濡れていたのだ。

 もちろん犯人はニノンで、バケツに付いている絞りの使い方がわからず、べちゃべちゃの状態でモップをかけたのだという。


「ニノン、お前、掃除クビ! ビラ配ってこい」

「ええー」

「ええー、じゃありません。これ全部配り終わるまで帰ってくんなよ!」


 ドングリを頬張ったリスのように頬をむくれさせたニノンは「アダムのケチ!」と言い残して、しぶしぶテントを出ていった。対してアダムは片手をヒラヒラさせて、野良犬を追いやるような仕草をとった。彼らの精神年齢はほぼ等しい、とこのときルカは悟ったのだった。


「頑張ってるわねぇ」


 流れる川のように美しい声が背後から降ってきて、はたと二人は顔を上げた。

 ちょうどゴミ袋を三十枚消費した頃だった。


「ヴィヴィアンさんの声で疲れも吹きとびました」

「あらあら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」


 ヴィヴィアンはにこりと微笑むと、おもむろにプリーツドレスを脱ぎはじめた。


「えっ、あの、な、なにを……!?」


 狼狽えたアダムの手が、自身とルカの視界を塞ぐ。やわらかな布擦れの音がしばらくして止んだと思ったら、今度は隣から中途半端な溜め息が聞こえた。どうやらアダムは、自分だけ人差し指と中指のすき間から様子を覗き見ていたらしい。

 視界を覆う手のひらから解放されると、そこにはショルダーレスのレオタードに身を包んだヴィヴィアンの姿があった。彼女はおおよそ人とは思えないほど身体を折り曲げ、ストレッチに勤しんでいる。


「もしよければ、休憩がてら私の演技を見ていかない? 観客目線のアドバイスをくださいな」

「あ、はい! よろこんで!」


 アダムは腹八分目のゴミ袋を放り投げて、意気揚々とステージによじ登った。ルカはとぼとぼとその後をついていき、ステージには登らずに、ぞんざいに扱われた可哀想なゴミ袋を拾い上げる。


「あれ、ルカは見ねェの? ちょっと休憩しようぜ」

「俺は残りのゴミを拾ってくる。あと少しで片付くし」

 え、と間抜けな顔を晒すアダムからヴィヴィアンに視線を移し、

「彼の意見、きっと参考になると思います」

 ルカは頭を下げた。それから二つのゴミ袋を引っさげて、ステージを後にする。


「ああ……気にしないでください。あいつ、クソ真面目なんです。サムライのソウルが混じってるんで」

「あらあら、律儀でイイ子なのねぇ」


 二人の間で交わされた会話など本人は知る由もない。ルカは自身の仕事をまっとうすべく、再びゴミくずを掻き集めはじめたのだった。

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