第11話 天体観測

 夜のとばりが下りた頃、宿屋を抜け出したルカ達はこっそり遺跡へと向かった。


  風のない穏やかな夜だった。

 日中の快晴は太陽が沈んでからも続き、空にはちぎれた綿のような雲が少し浮かぶだけであった。新月に限りなく近い三日月は今にも擦り切れてしまいそうで、木々の影からでも夜空に光り輝く星々を望むことができた。


 寂びれた獣道をしばらく行くと、唐突に視界がひらけ、先には大きな湖畔が広がっていた。水際に沿って歩いているうちに、広大な草原の真ん中にいくつも突き立つ細長い巨石群が見えてきた。


「メンヒルってのは、話に聞くより随分ド迫力だな」

「大昔からここにあるらしいんだけど、全然崩れないの。それにこの平らな岩、すごく座りやすいよ」


 ほらほら、とジルダは巨石遺構に三人を招き入れた。地面から突き出た五体のメンヒルに囲まれるようにして、中央に平らな岩が横たわっている。古代の遺跡を座椅子代わりにしてしまうことに多少の罪悪感を感じながらも、ルカたちは言われるがままに腰を下ろした。


「わぁ、すごい。星がきらきらしてる」


 三人は頭上に広がる夜空を見上げては、各々が感嘆の声を漏らした。

 瞬きするたびにいくつもの星の発見がある。終わることのない星の海。そこには昼とは違う明るさがあった。トレミーが取り憑かれたようにフィリドーザの星空を描き続けたのも頷ける。


 ルカはおもむろに両手のひらを伸ばして人差し指と親指でL字型を作ると、画家や写真家がするように、二つのLで夜空を切り取った。空中のキャンバスには下四分の一に湖畔をたたえ、左右には真っ黒な木、残りは広大な星空といった構図が浮かび上がる。

 まさしく『星の降る村』と同じ構図だった。


「トレミーさんは……ここで絵を描いてたんだ」


 年老いの画家が命を削ってまで完成させた絵画だ。もし本当にその絵画を描く原動力が彼の空想ではなく現実の風景だとしたら、一体この村にはどれほどの美しい景色が隠されているというのだろう。


「あ、ふたご座見っけ」

 考えに耽っていたルカの隣で、アダムが夜空に人差し指を向けた。

「ふたご座って何?」

 反対側の隣からニノンの興味津々な声がそう尋ねる。

「ほらあれ。赤い星と青い星が並んでるだろ」


 ルカとニノンはアダムの指先を追って星の海を目線で泳いだ。無限の輝きの中で隣り合う星を探すのは大変だろうと思っていたが、それらは案外簡単に見つかった。


「あった!」


 そう叫んで、ニノンもアダムと同じように、広大な夜空に寄り添うようにして輝く二色の星を指さした。


「左の赤い星がポルックス、右の青い星がカストルって名前だ」

「この二つの星が双子みたいだから『ふたご座』っていうの?」

「そ。ふたご座にはある神話・・があってさ」


 アダムは輝く双子の星に目線を移して話しはじめた。


 その昔、スパルタ王国にカストルとポルックスというとても仲の良い双子の兄弟が暮らしていた。二人は瓜二つの容姿をしており、スパルタ王国の英雄と持てはやされるほど、共に武術や馬術に秀でていた。しかしたった一つだけ異なる点があった。それは兄・カストルは命に限りある人間として生まれたということ。弟・ポルックスは不死身の身体を持って生まれた神の子だったのである。

 別れは突然だった。カストルは戦いの最中、心臓を矢に貫かれて命を落としてしまう。ポルックスは兄を亡くした悲しみに、死という深い溝を超えることができないもどかしさにひどく打ちひしがれた。


 ニノンはうら悲しげな表情でアダムの語る一部始終に耳を傾けている。


「カストルの死後、ゼウス神は息子のポルックスを神界に招き入れようとした。けど、ポルックスはそれを拒否する。自分だけが天に昇るなんて耐えられなかったんだな」

「だって、二人はずっと一緒に生きてきたんだもん……」

「そこでポルックスはゼウスに願ったんだ。『私たちは二人で一つです。どうか兄の後を追わせてください』」

「えっ」

「ポルックスの思いに動かされたゼウスは、二人がずっと一緒にいられるように、ふたご座として共に天にあげましたとさ――めでたし、めでたし」


 萎んでいたニノンの顔にはたちまち笑顔が戻り、パチパチと拍手まで送った。一方ルカはというと、青い瞳を瞬きながらアダムの顔をあっけらかんと眺めていた。


「なんだよルカ、その顔は」

「いや……アダムってたまにロマンチックなこと言うなって思って」

「あ? 別にロマンチックでもねえだろ」


 こういった類の話は弟や妹が喜ぶからたまに話してやってんだ、とアダムは事も無げに言う。ルカからすれば十分ロマンチックな男だと思う。

 古代から人々は夜空に輝く星を繋げてはおとぎ話を語り継いだり、また旅の道しるべとした。時の移ろいの中で変わらない存在は一体どれだけあるのだろう。少なくとも星は、人々の頭上で変わらず輝き続けている。

 画家トレミーもまた、永遠を纏う星々をこの場所で眺めていたのだ――。


「おまたせ! フィリドーザの星空楽しんでます?」


 三人が星空に見入っている間中、せこせこと何かを運んでいたジルダは、準備が終わるとルカの手を引いた。平らな岩の前に置かれたたいそうな三脚と、その上部に設置された大きな筒のような装置。ジルダは筒の先端を覗き込んでダイヤルを微調整する。


「覗いてみて。きっと、もっとすごいモノが見られるよ」


 促されるままにルカは筒の先端を覗きこんだ。筒には分厚いレンズがはめ込まれている。その奥に、一際輝く光の塊がいくつも見えた。


「『望遠鏡』か――初めて見た」

「へえ、何が見えるって?」

「私も見たい!」

「おい、俺が先だ!」


 望遠鏡は夜空の星を観察するために人類が開発した装置だ。観察や計算を駆使して宇宙を知る〈天文学〉の分野は、長い間人気を博した学問だった。

 しかしそれも時代の流れと共に衰退すいたいの一途を辿ることとなる。五十年前のエネルギーショック――地球に埋蔵されたエネルギー源が枯渇するという、地球史上類をみない未曾有みぞうの事態――はあまりにも多くの人間の価値観をひっくり返してしまった。人は皆エコロジカルな考え方に傾倒けいとうし、人類の知的欲求を満たすための研究はむざむざと優先順位を下げていった。

 そんな背景もあって、ルカやアダムはたった十二歳の少女が望遠鏡を持っていたことに驚きを隠せなかったのだ。


「私の夢は”天文学者”になることなの」


 ジルダは天を仰いだ。瞳に映った夜空に星々が瞬いている。


「でもきっと私の夢は叶わない。お父さんやお母さんは反対するに決まっているし、第一天文学者になったところで働き口があるわけでもないから」


 明るく続けたその声色は、夜空を見上げる少女の横顔を余計に物寂しげに見せた。地上からいくら手を伸ばしても、頭上に輝く星を掴むことはできないのだ。


「必要ないって決めつけるのは早いんじゃねえの?」


 一緒になって夜空を見上げていたアダムが、不意に口をひらいた。


「絶対叶うってわかってんなら、そりゃ夢じゃなくてただの現実だ。もしかしたら将来、別の星に引っ越しするなんてことがあるかもしれないだろ? そうしたらお前の天文学の知識は引っ張りだこだぜ」

「そんな夢みたいな話、あるわけないじゃない」

「そうだ。俺はいまの話をしてんだ」


 アダムの言葉には力が籠っていた。


「どんな夢でも叶う可能性はあるんだよ。自分が信じ続けてさえいればな」

「自分が、信じ続けてさえいれば……」


 その言葉はガサガサに乾いていたジルダの心に、水のように優しく体に沁みわたったようだった。それからしばらくは、誰も、何も発しなかった。穏やかな風が吹き抜ける草原の真ん中に座り、満点の星空の下で、ちっぽけな二つの目をただただ天に向けていた。


「しっかし本当にこの村の星空はすげェな。観光客はこれじゃ満足しないのか?」

 アダムはがしがしと頭を掻きながら唸る。ニノンもそれに同調するように「うーん」と首を傾げ、平らな岩に寝そべった。

「お客さんは『星の降る村』に描かれていた景色を見にやってくるんだもんね……。この星空よりも綺麗な風景って、あんまり想像つかないなぁ」


 しばらく岩の上であぐらをかいて物思いにふけっていたルカは、望遠鏡を弄るジルダを見て、ふと頭をもたげた。


「ジルダ、その望遠鏡はどこで手に入れたの?」

「え、これ? 家の物置にずっとしまい込まれてたの。掃除をしていたときに偶然見つけて」


 ふむ、とルカはあごに手をあてて再び考え込んだ。

 フィリドーザの星空、大きな湖畔、月が描かれることのなかった『星の降る夜』の構図、望遠鏡。

 ルカの頭の中に次々と単語が浮かびあがり、まるで星座のように結び合った。そしてそれはひとつの仮説を浮かび上がらせる。


「星の降る村――なんとなく、わかった気がする」

「わかったって、画家のじいさんの空想じゃなかったってことか?」


 驚く一同に、ルカはこくりと頷いた。よくよく考えればフィリドーザの夜を愛する画家が連作の最後に架空の風景をねじ込むはずがないのだ。

 トレミーは確かにここで、奇跡の瞬間を目の当たりにしたはずだ。


「それからもうひとつ、わかったことがある」

「もうひとつ……?」


 訝しむニノンにルカは再度頷いてこう続けた。


「画家トレミーの姿だよ」

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