第39話 俺と婆さん

 ぴちゃん、と音がした。窓なんてない石畳の床に何年も変えてないのか薄暗い電灯。そこには鉄格子……その中にはパイプベッドが1こあるだけの小さな牢屋が並んでいる。


 なぜこんなところに移動したのかはわからないが、とりあえず人がきなさそうな気配であることに違いはなくて。そう思ったのか、みんなして輪になって会話を開始した。まず最初に切り出したのはバルーフだ。


「これで帰ればいいのか?」

「いや、吾たちはこの施設から出られんせん。せめてなにか屋敷のものがありゃんな」

「と言われると思って、帝王樹の腕輪・バルーフ作がここに」

「疾くよこされよ、というよりなぜ先に渡さん?」

「いや、いま必要だって知らなかったし」


 リュックサックの中からすちゃっと2つの腕輪を取り出した俺はみんなから批難轟々だった。ひどい。批難しながらも腕輪だけは俺の手から受け取りはめる2人はなぜかほっとした顔をしていた。


 だいたいなんでこの施設から出られないってわかんの? と尋ねる前に、気づいた。チャーリーのざんばらな髪は。もうすでにここから飛び出そうと、家に帰ろうとした証なのではないかと。長い髪程力が宿っている証拠、確かそんな風にバルーフは言っていたから知ってる奴なら髪になにかしたりはしないだろう。


 それなのにあんな風になっているということは。結界とか、それに準じるものが張ってあるんじゃないか? だって《幻獣ファンタジー》の中でも最高峰の生物であるドラゴンが、チャーリーは確かに暴れた跡があったのにそれを無力化できるくらいなんだから。それなりに高等なレベルの結界なのではないかと推測できる。


 そうだ、だってここは仮にも、《幻獣保護委員会ファンタジ・ル・エール》のど真ん中だろうから。


「ンゥ……」


 色っぽい、うめき声がした。俺たちの誰とも違う、大人の女性の声だった。


 侵入している身で、見つかるのもやばい。バルーフになんとかしてもらおうかとそちらを見ると予想外の出来事にかこっちも固まっていた。ダメやんけ!


 それは俺の後ろ、団子になっている俺たちから見て最初にその光景が目に入ったのはおそるおそる顔をあげたファニーだった。だからそう、叫んだのも。ファニーが一番早かった。


「エレノアさま!?」

「「「「え」」」」

「えれのあさまだと!?」


 その叫びを聞いた俺以外のみんなが俺の後ろを振り返る。そして、呆然と立ち尽くすことしか知らないかのようにその光景を見ていた。


 どくん、どくん。心臓が鼓動する音がよく聞こえる。振り向けば、振り向けばそこに家族がいる。最後の、爺さんが愛した人が、俺と血の繋がった家族が。思考は巡る、巡りすぎて苦しいくらいで、はあと一旦ため息をついてから俺は緩慢に振り返った。一気に振り返ってしまったら、なにかが崩れてしまうような。そんな気がして。


 口の中が渇く、かすれた声が音にならずにもれた。なにが、なにが起こっているのかわからなかった。それくらい、その仕業が人間のしたことだと認めたくはなかった。振り返った先にいたのは。


 まず目に入ったのは頭上で両手のひらを黒い楔で縫止められた、足にも札をたくさんはった枷を身に着けた20代くらいの女性。なめらかなウェーブのかかった薄紫色の髪は、薄暗い牢屋の中でも輝くようで。髪の隙間にはなにかはわからないが大きな白い花が絡まるようにたくさん咲いている。ワンピースはところどころ血だらけの麻っぽい材質でできていた。


 ただそれ以上に、異常なのは。腰辺りから生えた3本の楔。三日月のようにそれらを繋ぐ鉄。

 異常で異常で異常で。これ以上は見たくないと心が、脳が光景を拒否するようにそれはただ目に入ってきていた。ベッドの下にある排水溝に、両手のひらから出ている血が流れているのを見ていることしかできなかった。


 そんな俺をもどかしそうに見て、みんなが婆さんのいる牢に、鉄柵に駆け寄る。そして鍵がかかっているのを知ったバルーフが魔法で開いた瞬間。


【警告します、警告します。地下牢に侵入者あり。繰り返します地下牢に侵入者あり】


 びーっ、びーっと聞きなれない、慣れたくもない警告音とともに言葉が繰り返される。その言葉に固まってしまった、気づかれたと気づいてしまった分身入れて5人の家族に。


 撤退をしなければならない。でも、家族がいる。すぐそこに、最後の家族が。婆さんが。


 なら、俺は……。


 ふらっと自分でも知らないうちに牢へと近づいていた。扉を開き、中に入るとみんながやっと動いた俺に続こうとする。楔をとるよりも、呪符らしきものをとるよりも俺はただひとこと。そのすべらかなまろい頬に手を伸ばして、呟いた。


「……婆さん、俺の、家族」

「……【拝命インストール】シンニュウシャヲハッケンシマシタ、ハイジョヲカイシシマス」

「うおっと!? ……痛って!」

「「クロエ!!」」

「うぬ!」

「きさま!」

「クロエさま!!」


 俺の呼びかけに、うっすらと開いた目は濁った黄色。瞳孔は細く縦になっていた。温度のない平坦で機械的な声。


 ぞくりと嫌な予感が背筋を走って、俺はなにかを考える前にかがんだ。というか転がった。それが功を奏したといっていい、その上を婆さんの腰から生えていた鉄の楔が通り過ぎる。


 もしそのままでいたら、両側から鉄の楔で突き刺されてたことだろう。でも、通り過ぎる瞬間に三日月形の鉄が俺の肩を傷つけたから結局は功を奏したとは言えないかもだけど。鋭いそれはナイフのようにざっくりと俺の肩を傷つけていった。


 最初は熱くてなにが起こったのかわからなかったけど、だんだん痛みを催してくる傷にそれが怪我だと知った。瞬間、嵐の前の静けさのようにウェーブがかった薄紫色の髪がわずかに発光して、重力に逆らって上へと持ち上がる。と思ったら、思いっきりといったように髪は床を叩きつけて割った。なにを言ってるのかわからない? はは、俺もわかんないっつーの。


 駆け寄ってきたバルーフの分身はうねり、暴れ狂うような婆さんの花を咲かす髪に突き刺されて消えた。それに躊躇し、家族たちは入り口のところで立ち止まる。

 しかしぽたんと俺の血が牢の石畳に落ちた途端、ぴたりと動きを止める。

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