第21話 俺とファニー3
「ああああああああああ、けいいちろう、けいいちろうさま、ごしゅじんさま、私の、あたしの、あたしのだいじなかぞくっ、敬一郎さまああああああああ!!」
悲哀なんてもんじゃなかった、苦痛なんてもんじゃなかった。すべてを思い出したらしいファーヴニルは、ただ骨ダイヤのペンダントトップと歪な金でできた指輪を震えるその手にゆっくりすくいとり。大粒の涙をこぼしながら泣き叫んでいた。
俺は、反するかのように穏やかに吹いてきた春風に混じってこちらまで漂ってきた血臭に吐き気がして、歩道の端の方へとふらつきながら歩くと屈みこんでほとんど消化していた嘔吐物を吐き出した。残った胃酸が喉を焼くのを感じながらも、それでも吐き気が止まらなかった。俺を掴んでいたバルーフが腕を放し、丁寧に背中をさすってくれる。
人が死ぬ瞬間を初めて見た。それも老衰や爺さんみたいな綺麗な死に方ではなく、力による圧倒的な殺され方を。自業自得とはいえ死んだ老婆、その首を落としたファーヴニルがとんでもなく恐ろしいものに感じる。そんな俺の心を読んだかのように、バルーフが背中を上下にさすりながらひどく優しい声で言う。
「……クロエ、いまは無理だと思うが。ファニーを、ファーヴニルを恐がらないでやってくれ」
「な……おっえ……」
「敬一郎はおれたちとともに戦争を生き抜いた。おれたちの手はとっくに血にまみれている。そしてそれは他ならぬ、敬一郎の手もだ」
「爺さん、爺さんは……」
「戦争を生きたものは、この国はもう、多かれ少なかれ血にまみれて生きているのだということだけは、どうか。忘れないでくれないか。そして、おれたちドラゴンにとって、主人以外のものに仕えることを強要され主人の死に目にも会えなかった。そのことがどれだけ屈辱か、絶望か。どうか、わかってくれ」
ああ。
俺は唐突に理解した。
俺はバルーフを人間だと思ってたんだ。
あんなに表情があって好奇心旺盛で穏やかで優しいこの龍を、自分には絶対に危害を加えない加えられない人間だと。
だから、おかしいのは俺の方。決意したじゃないか。この先何が待ち受けていても、爺さんの期待に応えられない人間になることだけは嫌だと。
そんな決意も忘れて、平然と暮らしていてなにが《
そこまで考えたときには、考え方を変えたからなのかもう吐き出すものがないのか吐き気は収まっていた。散々吐いた口もとを乱暴に拭って、俺は深呼吸を1回すると背中を撫でていてくれたバルーフに礼を言って立ち上がると。いまはもう、すすり泣きに変わったファーヴニルの方へと歩いていった。そして、へたり込んでいる彼女の側まで行くと屈んで手を差し出す。心配そうなバルーフの視線を背中に感じながら。
「初めまして、俺は片倉敬一郎の孫で片倉クロエって言います」
「……敬一郎さまの、お孫さま」
「うん、クロエでいいよ。とりあえずさ、爺さんの骨はあんたが持ったままでいいから一度うちにおいで」
「! おうちに、屋敷に行ってもいいの!?」
「当たり前。あんたは爺さんの《
「あたしの、家……みんなの」
唇をひきむすんで、また潤みだした目に。あわてて俺は差し出した手を引っ込めてリュックサックを漁り中からタオルを取り出すと、それでそっと目尻を拭いた。
大人しく拭かれていた彼女は、俺からタオルを受け取りぐしぐしと顔を拭う。そして、俺がもう一度手を差し出すと、今度はその手をほんのりと冷たい白い手がしっかりと掴んだ。そしてふり絞る声が吐き出された。
「かえりたい……帰りたいよ……!」
「うん。帰ろうよ」
「帰ろう、クロエ、ファニー」
いつの間にかゆっくりと近づいてきていたバルーフが、俺とファーヴニルの繋いだ手に自分の両手を重ねる。するとぐわんと周りの空気が変わり、景色がたわんで気がついた時には。
屋敷の前にいた。
俺は階段を上がるとエントランスへと通じるチョコレート色の形の大きな扉に鍵を差し込んでまわし、鍵の開いた扉を思いっきり開ける。くるりと後ろを振り返って、所在なさげに佇むファーヴニルと満面の笑みでファーヴニルと手を繋ぎ並んでいるバルーフ。対照的で隣同士な2人に向かって、俺はできるだけ優しい声で優しい笑顔で言った。
「おかえり。バルーフ、ファーヴニル」
「……た、だいま!」
「ただいま!」
嬉しそうな大きい声と、遠慮がちな泣きまじりの小さい声が広いエントランスに木霊したのだった。
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