第4話 俺とあの子

 気がつけば、どこともわからないところに立っていた。困惑のあまり立ち尽くしつつも周りの観察を行う。『どんな時でも常に観察を忘れるな、そうすれば必ず勝機が見えてくる』昔、ゲームに負けて拗ねていた俺に向かって爺さんが言った言葉だ。


 とっさに空を見上げれば、虹色の雲に黄緑と赤の惑星、どこからの光源なのかはわからないが空から光がふってきているのがわかる。飛行機雲のようなそれをよく見ればガラスでできた花だった。時折吹く風に、さわさわと優しく揺れていて、それが宙に、遥か高みに浮いていてめまいを起こしそうになる。下は地面……というか花畑だった。いつの間にか、俺は花畑に立っていた。


 これだけを見れば優雅な光景かと思うかもしれないが実際はそんなことはない。花はところどころ枯れているし、そもそもこの花畑の先には切り立った崖が見え周囲も崩れたのか下には瓦礫が散らばった崖だらけだ。周りも荒れた土地か雑草が蔓延っている、そんな場所だった。もう未来は長くないとわかるほどに痩せた土壌。


『なんで……』


 背中の方から脳に直接伝わるみたいに空気を介さない泣きそうな声がした。振り返れば、蛇にも似た竜……というより龍だろう。それくらいに大きかった。それが花畑から少し離れた崖の上から俺を見下ろしていた。


 白い滑らかな鱗は降ってくる光に縁だけ虹色に輝いてとぐろを巻いていて、首は3つに途中から割れて1つの頭に黄色と緑の目玉が2個縦に並んでいる。どこか禍々しくも神々しいその生き物はしゅるしゅると真っ赤な舌を出し入れしながら。こちらを見ていた。

 異形の憤怒とも言える覇気に圧倒されて立っていることしかできなかった俺に、龍のような蛇のような生き物は問う。


『お前は誰だ? なんでお前から敬一郎の匂いがする? なんで、なんで今さら。こんな場所に閉じ込めたくせに、どの面を下げておれに会いに来た!! 答えろ!!』


 異形の龍が吠えたと同時に火柱が空から降ってくる。それはまるで雷みたいに、ジグザグに俺の横へと落ちた。周りの花が消し炭になる匂いが鼻に伝わる。それと同時にまた1つ、関係のない場所で崖が崩れる。

 いけないと思った。これ以上この龍に力を使わせたら、吠えられたら死ぬ。それ以上にこの箱庭じみた場所がだめになってしまう。

 だから俺は必死で声を張りあげた。


「俺はクロエ、片倉クロエだ! 片倉敬一郎の孫で、爺さんは1年前に死んだ! 俺は爺さんにあんたたちを任されてここに来た!」

『敬一郎が死んだ……? 嘘、嘘だ! 敬一郎は、敬一郎はあいつらを救うまでは死ねないと言っていたんだ! お前は嘘つきだ!』

「違う! あんたが言った爺さんの匂いってのはこれだろ!? 爺さんの骨で作られたものだ!」


 首に下げた骨ダイヤの入ったペンダントを見せれば、縦になった3対の目が見開き鼻と思わしき切れ込みがまあるく開く。まるでペンダントの匂いを嗅いでいるような仕草に、俺は長めの鎖につけられたペンダントを前に突き出す。


『嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ嘘だああああああああ!!』


 悲しみと絶望の声があたりに響き渡る。この狭い世界の外に漏れだしそうなほどの絶叫。

 虹色の雲が声にかき消され、天空に咲いていたガラスの花がその余波を受けて砕けて散る。上から降ってくるガラスを避けつつ、自棄になったように箱庭の崩壊も気にせずに身をくねらせて暴れ回る龍にもガラスがふり、目を傷つけたのか蛇のように瞳孔の細い目から血を流している。それがどうしようもなく泣いているように見えて。


『嘘つきが!! 仲間を取り戻すと言ったじゃないか!! 約束は! 嘘だったのか、敬一郎ぉぉぉぉ!!』


 俺は龍に一目散に駆け寄った。

 別に俺まで自棄になったわけじゃない。ただ、爺さんが家族と呼んだ相手だ。『無理なら、せめてあの子の話し相手になっておくれ』そんな願いを託されたのは俺だ。そして、爺さんとの約束を、覚えていてくれる相手だ。でも反面、別の感情もよぎる。


 近づこうとするのも、龍が身体を地面に叩きつけているおかげで地が揺れてままならない。それでも、俺は這って龍の近くに来ると思いっきり叫んだ。声を荒げたといってもいい。むかついたんだ、こいつが。被害者づらして、こんなにも爺さんに思われていてなお爺さんの気持ちにも気づかないこいつが。


「爺さんは!!」

『!!』

「爺さんは身体が動かなくなる15年前までずっと、あんたの仲間を、家族を取り戻そうと単身で国と戦ってた! そんな戦いにあんたを巻き込みたくなくて、人間なんかの醜い欲望に触れさせたくなくてあんたをここに入れたんだ! 頼むから、爺さんが大切な家族だって、仲間だって、戦友だって言ったあんたが!! それを否定するな!!」

『……あ……あ……、敬一郎。なんで、おれも、おれも連れていってくれなかったんだ……なんで』

「そんなの、爺さんの性格わかってるあんたが一番よく知ってるんじゃないの?」

『あ……あ……、あああああああ!!』


 そうだ、爺さんは優しい人だった。そして、恐がりだった。そんなこと、白い身を震わせながらぼろぼろ涙をこぼして慟哭しているこいつのほうが、俺よりもわかってるはずだ。

 きっと、第二次世界大戦で戦果を挙げることも辛かっただろう。俺は爺さんと暮らしてたわけじゃないからそこまではわからないけど、俺よりもずっとずっと長い時を過ごしたこいつなら、たぶんわかる。


 爺さんは恐れたんだ、最後に残ったこの龍だけは守らなくちゃいけないと思って、この場所に入れたのだろう。そしてきっと、15年も待つつもりはなかった。すぐにでも後継者に渡したかったに違いないのに。この龍が、必要なことを聞いたら俺を一撃で殺すこともできたのにそれをしなかった心優しいこの龍が寂しい思いをしないように。せめて話し相手になってくれと願うくらいには。


 ただただ、もう届かない泣き声を空を震わせるくらいにあげる龍には。きっと、いまの俺の言葉は届かないと知っていたから。だらんとうなだれたその頭をそっと撫でることくらいしか俺にはできなかった。

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