真理踏破者
青く輝くマナ湖に沿ったハイウェイを走る車中、運転手はこんな話をした。
「この湖の成り立ちをご存知ですか? このあたりはざっと二百年前、革命軍と王立軍が激しく衝突した戦場だったんです。この湖はマナという始祖の娘が、革命軍の勝利のために自爆した痕跡だとか」
「はあ、歴史の授業で習いましたけど、信じがたい話ですね」
後部座席でそう応じたのは、高宮ユージンという青年だった。
彼は高等真理教育を受けながらも最後まで芽が出ず、卒業した後は実家に戻ってぶらぶらしていたのだが、あることがきっかけで能力が発現した。
夏のある日、ユージンは海水浴場でライフセーバーのアルバイトをしていた。背の高いパイプ椅子に座り、きらめく海をぼんやり眺めていると、ふと何かに気づきそうになったが、甲高い悲鳴が彼を現実に引き戻した。沖のほうに溺れかけている女が見えた。
慌てて椅子から降りようとしたところ、足を滑らせて頭から砂浜に落下した。
その瞬間、ユージンは宇宙の真理の一端を見た。
意識を取り戻したとき、引き揚げられた女の周囲に人だかりができていた。彼はその中に分け入り、躊躇なく女の心臓の上に手を置いた――
車は曲がりくねる山道を上っていき、島随一の観光名所である山頂に到着したが、なぜか観光客の姿が見えない。怪訝に思いつつユージンが車を下りると、目の前に突然身なりのいい初老の男が出現した。
「お待ちしておりました、高宮様。私は国立真理研究所の五条ジョージと申します」
「あの、どうして僕をこんなところに?」
「説明は後ほど。まずは始祖の墓へご案内いたします」
二人が向かった先には大きな石碑があった。誰もが知る偉人、大橋カミオの墓である。その前に一人の少女が立っていた。
「こちらは大橋ルナの七代目の子孫であり、創造者をされている真理到達者の大橋ニーナ様です」
五条の紹介を受けて、ニーナは丁寧に頭を下げた。
「あなたは真理到達者の高宮さんですね。お会いできて嬉しいです。あたしたちは遥かな昔からあなたをお待ちしていましたから」
困惑したユージンは救いを求めて五条を見た。彼はゆっくりと頷いた。
「では、ご説明いたしましょう。私の先祖はこの国の初代首相、五条トシロウでした。彼は二百年前、大橋マナからある遺言を託された。元をたどればその遺言は、父である大橋カミオが残したものと同じ内容だったのです」
――死後、自分を復活させてほしい。
「彼は今際の際、宇宙の真理を完璧に理解していました。しかし自分の死を回避することはできなかったのです。そこで遥かな未来に蘇ることにした。島に創造者と賦活能力者が現れたなら遺言を実行させる。私の一族は代々、極秘にこの使命を受け継いできました」
「ええと、つまり僕が呼ばれたのは……」
思いもよらないスケールの話に眩暈を覚えるユージンに、ニーナは微笑んだ。
「あなたは死者を生者に戻せる。あたしは無から有を創り出せる。あたしたちが力を合わせれば何ができるかわかりますよね?」
彼が状況を受け入れかねているうちに、復活の儀式は始まった。
ニーナは石碑に向かって手のひらを突き出した。地中に散逸した情報を拾い上げ、意味を持った形に再構成していく。
ぼん、と破裂音が響いて、地面の上に白い衣を着た身体が現れた。
ユージンがおそるおそる近寄ると、穏やかに目を閉じた男の顔が見えた。当然ながら死体だった。創造者は生きた生物を創ることができない。
覚悟を決めて、ユージンは男の胸に手を当てる。
やがて、心臓が動き出した。
三人が固唾を飲んで見守る中、男はゆっくりと身を起こして立ち上がった。
「色々と手間をかけさせて悪かったね。ありがとう」
大橋カミオは、偉人らしからぬ謙虚な態度で三人に感謝を告げた。
ニーナと五条が涙に咽んで感激している一方、ユージンは胸騒ぎを覚えていた。
伝説によると、大橋カミオの次に「真理踏破者」となった薬院ツバサは、絶望のあまり自ら死を選んだという。カミオはそんな恐ろしい真理を知りながら、なぜ家族も友人もいない遠い未来に復活しようとしたのだろうか。
「カミオさん、あなたには何か目的があったんじゃないですか?」
うん、とカミオは静かに頷いた。
「この世界を終わらせようと思うんだ」
予想外の台詞に、三人は言葉を失って立ち尽くしていた。
「あの日、僕は気づいた。島も、海も、人間も、この世界に満ちているすべてが作り物だということにね。僕たちはこの世界を創った何かに縛られている。それは人々の悲しみや苦しみをただ観察しているんだ」
島で繰り返されてきた悲劇を振り返るように、カミオの表情に陰が落ちる。
「娘たちにも、ずいぶん苦しい思いをさせた」
「……だから、終わらせるんですか?」
「僕たちを支配してきた者に一矢報いるには、それしかない」
待ってください、とユージンが叫んだときにはもう遅く、カミオはすでに光の柱に変わっていた。輝く柱は天を貫き、風景は色を失った。島も海も消え、三人は宙に投げ出された。ほどなくして彼らの身体も霧散した。
世界は白紙に戻された。
こうして、二百六十九年に及ぶ島の歴史は幕を閉じたのである。
*
「――そういうわけで、大橋様のお父様が原因だと判明したわけです」
オフィスの応接室に、開発部の柳川と二十代前半の女がテーブルを挟んで座っている。柳川の長い話が終わると、女は神妙な顔で訊ねた。
「父が、お宅の会社に損害を?」
いえ、と柳川は慌てて否定する。
「正確に言えば、お父様の人格データです。ご本人様とは何の関係もございません」
昨年、百万人分の人格データを用いて大規模な社会物理シミュレーションを実行中だったスーパーコンピュータ群が、原因不明のクラッシュを起こし、未曽有の損害が発生した。開発部は総力を挙げて原因の解明に当たった。
柳川は、特定の人格データに原因があるのではと考えた。
問題のある人格データを特定するため、百万人から五十人ずつ抽出し、孤島環境で千年間の小規模なシミュレーションを実行した。プログラムが再び強制停止したのは一万七百六十一回目。解析の結果、「大橋上雄」という人格が大量のバグを生成していることが判明したのだが、クラッシュの原因はいまだ解明されていない。
そして事件から一年が経った今日、「大橋愛美」を名乗る女が本社を訪れた。
「にわかには信じがたい話でした。お父様の人格データを使用すると、シミュレータに膨大な不具合が生じたのです。座標が狂ったり、人格が複製されたり、ライブラリから勝手に物理モデルが呼び出されたり、しまいにはプログラム自体が吹っ飛んでしまいました」
「ご迷惑をかけたみたいで申し訳ありません。でも、父なら納得がいきます」
怪訝そうな柳川の表情を読んだのか、女は付け加える。
「父は私がまだ小さいころに亡くなってしまいましたが、もっと長く生きていれば歴史に名を残す人物になったはず、と母はよく話していましたので」
「……お父様はなぜお亡くなりに?」
「雷に打たれて感電死でした。ろくに雨も降っていない日だったのに、不運なことです」
胸の奥がざわめくのを柳川は感じた。
大橋上雄のデータを排除するとシミュレータは問題なく動いた。この現実世界でも同じことが起こったのかもしれない。何者かの見えざる手が大橋を排除したおかげで、この世界は稼働し続けているのでは――
馬鹿馬鹿しい、と柳川は荒唐無稽な考えを振り払った。
「ところで、父の人格データは――」
「ええ、今お渡ししますよ」
柳川はメモリースティックを女に渡した。故人の人格データを譲ってほしいという要望は多い。彼女が本社を訪れたのはデータの受け渡しのためだった。書類の記入を済ませると、彼女は小さなプラスチックの棒を大切そうに握りしめ、深々と頭を下げた。
「ありがとうございます。これで父も喜ぶと思います」
父も喜ぶ? 微かな引っかかりを覚えて、柳川は書類の署名に目を落とした。
大橋愛美――マナミ――マナとミナ。
その瞬間、脳裏をよぎったのは二百六十九年続いた物語の結末だった。
「娘としては、父の遺言は果たしてあげたいですから」
彼女の声にはっとして、柳川は書類から顔を上げた。
テーブルの向かいにはもう誰もいなかった。
一万字漂流記 松明 @torchlight
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